第46話「一緒に見るはずだった花火」
花火大会の当日。
待ち合わせ場所に現れた桜子を見て、勇人は一瞬、言葉を失った。
大学のフェスで着た、ORIHANAの浴衣。
あの日はランウェイを歩くことに必死だったけれど、今日は違う。
勇人と二人で花火を見るために着てきたのだ。
「桜子、すごく可愛いよ」
「ありがとう」
桜子は少し照れながら笑った。
「勇人も、とても素敵だよ」
「……ありがと」
今度は勇人が照れくさそうに目を逸らす。
二人は並んで、花火大会の会場へと歩き始めた。
辺りには、色とりどりの浴衣を着た人たちが行き交っている。
その中には、どこか見覚えのある浴衣もあった。
「それにしても、真司がデザインした浴衣、着てる人多いな」
「本当だね。ORIHANAの浴衣も、たくさんの人が着てる」
桜子は嬉しそうに周囲を見渡した。
「あのフェスをきっかけに、それだけたくさんの人に知ってもらえたってことだよね。嬉しいな」
「そうだな」
真司は今、遠いアメリカにいる。
だけど、真司が作ったものはこうして日本に残り、たくさんの人を笑顔にしている。
それが桜子には、とても嬉しかった。
しばらく歩くと、二人は花火がよく見えそうな場所を見つけた。
「ここなら見えそうだな」
「うん」
レジャーシートを敷き、その上に持ってきた薄いクッションを二つ並べる。
二人で隣り合って腰を下ろした。
辺りには、屋台から漂ってくる美味しそうな匂いが広がっていた。
「桜子、お腹すいた?何か食べたいものある?」
「えっと……」
桜子は少し考える。
「焼きそばと唐揚げ、りんご飴、チョコバナナ。」
「…………」
「勇人?」
(食い過ぎじゃないか?)
勇人は心の中で思ったが、口には出さなかった。
「わかった。買ってくるから、ここに座って待ってて」
「うん。ありがとう」
勇人は立ち上がると、屋台が並ぶ人混みの中へ消えていった。
桜子は一人で、勇人の帰りを待つ。
何気なく周囲を眺めていると、少し離れたところから女性の声が聞こえてきた。
「あっ、佐藤くん!」
聞き覚えのある名前に、桜子は思わず顔を上げた。
人混みの向こうに、勇人の姿が見える。
「勝木くんって、いつ帰国するの?」
「あの、勝木くんと同じ大学の人ですよね?」
大学生くらいの女性だけではない。
社会人らしき女性や、高校生くらいの女の子まで、次々と勇人に声をかけている。
(勇人……?)
勇人は何かを答えているようだった。
人が多くて何を話しているのかまでは聞こえない。
桜子は膝の上で、そっと両手を握った。
その時だった。
「あの男性モデルの隣にいた子、可愛かったよな」
近くを歩いていた男性二人の会話が耳に入った。
「もしかしたら今日いるかなって思ったけど、これだけ同じ浴衣着てる人がいたら分かんないな」
二人は桜子に気づかないまま、通り過ぎていった。
(よかった……)
桜子は小さく息を吐く。
この時ばかりは、同じ浴衣を着ている人がたくさんいることに、少しだけほっとした。
もし一人でいる時に、知らない男性から声をかけられたら。
きっと、びっくりしてしまう。
桜子はもう一度、勇人がいた方を見る。
まだ、戻ってこない。
先ほどの女性たちと話している勇人の姿が、頭から離れなかった。
(どうして……)
胸の奥が、ざわざわする。
大学で聞いた、あの会話が頭をよぎった。
――やっぱナンパする人って、他の人にも結局してるんだよね。
(勇人はそんな人じゃない)
そう思っている。
思っているはずなのに。
胸の奥に生まれた小さな不安が、今度は別の感情に変わっていく。
どうして、こんなに嫌なんだろう。
勇人は何も悪いことをしていない。
ただ、声をかけられて話しているだけ。
それなのに。
「桜子、お待たせ――」
顔を上げると、焼きそばと唐揚げ、りんご飴、チョコバナナを手にした勇人が戻ってきた。
さっきまで楽しみにしていたはずなのに、今は素直に喜ぶことができなかった。
「……勇人」
「ん?」
「ごめんなさい。やっぱり今日は、もう帰る」
「……は?」
勇人の表情が固まった。
「どうしたんだよ、急に」
「なんでもないの」
「なんでもないわけないだろ」
桜子は俯いた。
言ってはいけない。
勇人は何も悪くない。
頭では、ちゃんと分かっているのに。
気付いたら言葉を口にしていた。
「……勇人ってさ」
「ん?」
「私以外の女の人にも、自分から声をかけたりするの?」
「……は?」
勇人の眉が寄る。
「なんで今、そんな話になるんだよ」
「さっき、女の人たちと話してたでしょ?」
「あれは向こうからの質問に答えてただけだけど」
「でも……」
桜子は浴衣の袖をぎゅっと握った。
「勇人は、私にも声をかけたじゃない」
一瞬、勇人が何も言わなくなった。
遠くから聞こえる祭囃子と、人々の楽しそうな声。
その中で、二人の間だけに重たい沈黙が落ちる。
「……桜子」
勇人の声が、少し低くなった。
「俺のこと、信じてくれてなかったの?」
「違うの。そういう意味じゃ……」
「じゃあ、どういう意味だよ」
「それは……」
言葉が出てこない。
自分でも、この気持ちをどう説明したらいいのか分からなかった。
ドンッ――。
大きな音とともに、夜空に花火が咲いた。
周囲から歓声が上がる。
楽しみにしていたはずの花火なのに、桜子は顔を上げることができなかった。
「……ごめんなさい」
「桜子」
「今日は、帰るね」
それだけ言って、桜子は勇人に背を向けた。
「おい、桜子!」
「一人で帰るのは危ないだろ」
呼び止める声が聞こえる。
それでも桜子は、振り返ることができなかった。
勇人はその場に立ち尽くしたまま、遠ざかっていく桜子の背中を見つめていた。
両手には、焼きそばと唐揚げとりんご飴とチョコバナナ。
二人で食べるはずだったものだけが、手つかずのまま残されていた。
一方、桜子は人混みを抜け、一人で家へ帰ろうとしていた。
「きゃっ」
俯いて歩いていた桜子は、誰かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫?」
その声に顔を上げる。
「……蓮さん?」
そこに立っていたのは、夜空だった。
「桜子さん?」
夜空も驚いたように目を丸くする。
「どうしてここに……」
「今日は祭りだからね。近くの店の手伝いに来てたんだ」
「そうだったんですね……」
夜空は桜子の顔をじっと見る。
「一人?」
「……はい」
「勇人は?」
その名前を聞いた瞬間、桜子は俯いた。
「……わかりません」
「そっか」
夜空はそれ以上、何も聞かなかった。
「もう外も暗いし、女の子一人じゃ危ないから送るよ」
「でも……」
「遠慮しないの」
夜空は優しく笑った。
「ありがとうございます……」
二人は並んで歩き始める。
遠くから、大きな音が響いた。
夜空を見上げると、色鮮やかな花火が咲いていた。
本当なら。
勇人と一緒に見るはずだった花火。
桜子は足を止めることなく、夜空に咲く花火から目を逸らした。
どうして、あんなに嫌で、腹が立ったのか。 桜子は、自分の気持ちに戸惑うことしかできなかった。




