第44話「夢への旅立ち」
真司がアメリカへ旅立つ日が、近づいていた。
出発を数日後に控えた昼下がり。
桜子と勇人、真司の三人は、大学近くの和食屋に来ていた。
「しーちゃん、アメリカに行ったら和食が恋しくなるかもしれないでしょ?」
桜子がそう言うと、真司は呆れたように笑った。
「半年よ? それに、アメリカにだって和食のお店くらいあるわよ」
「そうだけど……」
「桜子なりに考えたんだろ。最後くらい素直に喜んどけよ」
「最後って言わないでくれる?」
真司が勇人を睨む。
「半年後には帰ってくるんだから」
「わかってるって」
「しーちゃん、何食べる?」
「そうね……」
三人でメニューを覗き込む。
いつもと変わらない会話。
いつもと変わらない三人。
けれど、こうして三人で過ごせるのも、しばらくの間は今日が最後になる。
それを考えると、桜子の胸の奥が少しだけ寂しくなった。
それでも今日は、笑っていたかった。
料理が運ばれてくると、三人はいつものようにくだらない話をしながら食事をした。
アメリカで何を勉強したいのか。
どんな服を作りたいのか。
真司は楽しそうに話した。
その横顔を見ながら、桜子は思う。
寂しい。
でも、それ以上に嬉しかった。
大切な人が、自分の夢に向かって歩き始めることが。
食事を終えて店を出ると、桜子は突然立ち止まった。
「しーちゃん」
「なに」
桜子は背中に隠していた花束をそっと差し出した。
「これ」
小さな花束だった。かすみ草、スターチス、そして千日紅。三種類の花が優しく束ねられている。
「……私に?」
「うん」
真司は驚いたように花束を受け取った。
「この三つ、ドライフラワーにしたの」
桜子は花束を指差した。
「だから、向こうに行っても飾ってもらえたらいいなって」
真司は黙って花束を見つめる。
「それとね」
桜子は少し照れくさそうに笑った。
「この花は三人をイメージして選んだの」
「三人?」
「そう」
桜子は、白く小さな花を指差した。
「かすみ草は、私」
「なんで?」
「私、一人より、みんなと一緒にいるのが好きだから」
「桜子らしいな」
勇人が笑う。
「じゃあ、これは?」
真司がスターチスを見る。
「それは勇人」
「俺?」
「うん。花言葉に『変わらぬ心』っていう意味があるんだって」
「へぇ」
勇人は少し照れくさそうに頭をかいた。
「勇人、しーちゃんに言ってたでしょ? 私たちはここで待ってるって」
「……よく覚えてんな」
最後に千日紅に触れながら言った。
「これは、しーちゃん」
「私?」
「うん。長い間、色があせにくい花なんだって」
桜子は笑った。
「ずっと夢を追いかけてきた、しーちゃんみたいだなって思ったの」
「桜子……」
真司は何も言わなかった。
ただ、花束を大切そうに抱きしめる。
「……ずるいわね」
「え?」
「こんなのもらったら、寂しくなるじゃない」
「しーちゃん……」
桜子はぎこちなく笑った。
真司は花束を見つめ、優しく笑った。
「ありがとう。向こうに行ったら、毎日見るわね」
「よかった」
三人は顔を見合わせて笑った。
真司はもう一度、手の中の花束を見る。
「それにしても……桜子」
「なに?」
「あなた、花を選ぶセンスあるのね」
「えっ?」
「三種類とも全然違う花なのに、ちゃんと一つにまとまってる」
真司は花束を少し持ち上げた。
「色の組み合わせも素敵だわ」
「本当?」
桜子の顔がぱっと明るくなる。
「ええ。母親が華道家だからっていうだけじゃないと思う。桜子自身に、そういうセンスがあるんじゃない?」
「私の……?」
桜子は、真司の腕の中にある花束を見つめた。
自分で花を選んで。
組み合わせて。
誰かのことを思いながら、一つの形にする。
それを見た人が喜んでくれる。
(……なんだろう)
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
(花って、誰かに渡すだけじゃないんだ)
花の組み合わせで、気持ちを伝えることもできる。
もっとたくさんの花を使ったら。
大きな場所を、花で飾ったら。
どんな景色になるんだろう。
そんなことを、桜子は初めて考えた。
そして、真司が旅立つ日。
空港で、桜子と勇人は真司を見送っていた。
真司の荷物の中には、あの日のドライフラワーが入っている。
「じゃあ、行ってくるわね」
「待って」
「これ、俺から」
勇人が差し出したのは、綺麗にラッピングされた丸いクッキー缶だった。
蓋の中央は透明になっていて、そこから食用のビオラを飾ったクッキーが見える。
まるで缶の中に、色とりどりの花が咲いているようだった。
「……クッキーに花がついてる」
「食えるやつ。ビオラだって」
「勇人がこんな洒落たもの作るなんて……」
「うるせぇ。いらないなら返せ」
「誰が返すって言ったのよ」
「しーちゃん、行ってらっしゃい!」
桜子は精いっぱいの笑顔で手を振った。
「たくさん勉強して、いっぱい素敵な服を作ってきてね!」
「ええ!」
「真司」
勇人が声をかける。
「帰ってきたら、ちゃんと連絡しろよ」
「当たり前でしょ」
真司は笑った。
「半年後、二人とも驚かせてあげるんだから」
「楽しみにしてる!」
真司は二人に背を向けた。
けれど、数歩進んだところで立ち止まった。
そして振り返る。
「桜子! 勇人!」
「なに?」
「二人とも、私がいないからってつまらない毎日送るんじゃないわよ!」
「送らねぇよ!」
「しーちゃんもね!」
「当たり前よ!」
もう一度、三人は笑った。
そして今度こそ、真司は歩き出した。
その背中が少しずつ遠くなっていく。
桜子は、見えなくなるまで手を振り続けた。
夢に向かって歩いていく真司の背中は、桜子にはとても輝いて見えた。
そして桜子の心にもまた、小さな何かが芽生え始めていた。




