第39話「君と歩くランウェイ」
こんなに悔しそうな顔をした真司を、桜子は初めて見た。
どうにかしてあげたい。
しーちゃんが、ずっと好きだったもの。
その大切な一歩を、こんな形で諦めてほしくない。
「代わりの人、探さなきゃ」
桜子は周囲を見回した。
「誰か、代わりに出られる人はいないんですか?」
スタッフの一人が困ったように首を横に振る。
「急なことだから、すぐに出られる人がいなくて……」
「他のモデルの人は?」
「みんな自分の出番があります。それに最後の浴衣は、あのモデルの子に合わせて作ってありますし……」
舞台裏に、再びアナウンスが聞こえてくる。
『最後のペアランウェイは、準備に時間がかかっているため、今しばらくお待ちください』
客席のざわめきが大きくなった。
「いつまでかかるんだろう?」
「もう結構待ってるよね」
真司は俯いたまま、ぎゅっと拳を握っている。
その姿を見て、桜子は唇を結んだ。
そして――。
「……私じゃ、ダメかな?」
「え?」
真司が顔を上げる。
勇人も驚いたように桜子を見た。
「着付けならできるから」
桜子は真司を見つめた。
「しーちゃんがデザインした浴衣、みんなに見てもらいたい」
「このまま終わっちゃうなんて、私も嫌だよ」
「でも……」
「桜子、人前は苦手でしょ?」
「うん、大勢の人の前は苦手」
桜子は小さく笑った。
「苦手だけど、しーちゃんが夢を掴むために、私にもできることをさせて」
そして、真司を安心させるように笑った。
「大丈夫、任せて」
そう言ったものの、桜子の胸は今にも飛び出しそうなほど大きく鳴っていた。
たくさんの人の前を歩く。
考えただけで、足が震えそうになる。
しかも、世界に向けて配信されているステージ。
怖くないわけがなかった。
真司はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……ありがとう、桜子」
スタッフたちはすぐに準備を始めた。
桜子は女性用の浴衣を受け取り、更衣スペースへ向かう。
深い紺紫から淡い紫へと移ろう色合いに、小さな花が散りばめられた浴衣。
帯を締め、鏡の前で全体を確認する。
「よし……」
着付けは問題ない。
けれど――。
「どうしよう……」
髪をまとめようとするが、うまくいかない。
何度やっても、髪が指の間からするりと落ちてしまう。
「なんで……」
普段なら、こんなことはないのに。
ステージから聞こえてくる音楽。
待っている観客。
もうすぐ自分が、あそこを歩く。
そう思った途端、指先が震えた。
「桜子」
後ろから勇人の声がした。
「勇人……」
「緊張してるんだろ」
「……うん」
桜子は小さく頷いた。
「髪、うまくできなくて……」
勇人は桜子の手元を見ると、髪留めを受け取った。
「貸して」
「え?」
「髪をアップにするくらい、俺にだってできるよ」
「勇人、できるの?」
「姉ちゃんたちに何度もやらされたからな」
勇人は桜子の後ろに立つ。
髪を丁寧にまとめ、手際よく留めていく。
「すごい……上手」
「姉が三人もいるとな、嫌でもこういうこと覚えるんだよ」
「勇人のお姉さんたちに感謝しなきゃ」
「なんで桜子が感謝するんだよ」
勇人が笑う。
その声を聞いているうちに、桜子の緊張が少しずつほどけていった。
「勇人、ありがとう」
桜子は鏡を見つめる。
「でも、メイクが……」
「メイク直しだな」
「それも手伝うよ」
勇人はメイク道具を手に取った。
「真司みたいに上手くはないけど」
「これくらいなら、俺にもできる」
「じゃあ、お願いします」
桜子は思わず笑った。
「任せろ」
勇人は桜子の顔を覗き込む。
「動くなよ」
「う、うん……」
顔が近い。
そう思った瞬間、桜子の心臓が大きく跳ねた。
勇人の指が、そっと桜子の頬に触れる。
「……桜子?」
「な、なに?」
「顔、赤くない?」
「赤くない! 緊張してるだけ!」
「本当か?」
勇人が笑う。
「もう……早くして」
「はいはい」
しばらくして、勇人が桜子から離れた。
「できた」
「どうかな?」
桜子が振り返る。
勇人は一瞬、何も言わなかった。
浴衣姿の桜子を、じっと見つめる。
「……桜子」
「なに?」
「可愛いよ」
「……っ」
桜子の頬が、一気に熱くなった。
「もう……」
恥ずかしくなって俯く。
そんな二人のところへ、真司がやって来た。
「桜子、準備できた?」
「しーちゃん!」
桜子が顔を上げる。
そこには、男性用の浴衣に着替えた真司が立っていた。
淡い水色を基調に、青い花をあしらった浴衣。
真司自身がデザインした一着。
女性用の浴衣を着ていた時とは、まるで雰囲気が違っていた。
「わあ……!」
桜子の顔がぱっと明るくなる。
「これが、しーちゃんがデザインした浴衣なんだね!」
「うん」
真司は少し照れたように笑った。
「すごく素敵!」
桜子は嬉しそうに真司の浴衣を眺める。
そして、いつものように笑った。
「しーちゃん、頑張ろうね!」
勇人に「可愛い」と言われた時は、あんなに赤くなっていたのに。
自分には、いつもと変わらない笑顔を向けている。
「……あぁ。ありがとう」
真司は笑顔を返した。
ほんの少しだけ、胸の奥が寂しかった。
スタッフが二人に声をかける。
「準備お願いします! まもなく出番です!」
「はい!」
桜子が返事をする。
けれど、ステージへ続く通路を見た瞬間、再び足が止まった。
「……勇人」
桜子が振り返る。
勇人はそこに立っていた。
「桜子なら大丈夫だ」
「行ってこい」
勇人は笑った。
「……うん!」
その一言に、桜子は勇人を見つめ、大きく頷いた。
そして、真司の隣に並ぶ。
『大変お待たせいたしました』
会場にアナウンスが響く。
『最後のペアランウェイです!』
大きな拍手と歓声が上がった。
真司と桜子は顔を見合わせる。
「楽しむよ、桜子」
「うん!」
二人は並んで、光の差すステージへと歩き出した。




