第34話「甘い卵がゆ」
しばらくして、桜子は買い物を終えて勇人の部屋へ戻ってきた。
借りた鍵でそっと扉を開ける。
「ただいま……」
小さな声で呼びかけたが、返事はない。
部屋の奥を覗くと、勇人はベッドで眠っていた。
「ちゃんと寝てたんだ」
桜子は少し安心したように笑う。
買ってきた袋をキッチンへ運び、バニラアイスを冷凍庫に入れる。
卵とスポーツドリンクを冷蔵庫にしまい、買ってきただしを置いた。
それから勇人の家にあった米を研ぎ、炊飯器のスイッチを入れる。
桜子はタオルを水で濡らして固く絞ると、眠っている勇人のそばへ戻った。
「熱、まだあるかな……」
そっと額に手を当てる。
やはり、まだ熱い。
桜子は冷たいタオルを勇人の額に乗せた。
「早くよくなりますように」
しばらくすると、勇人がゆっくりと目を開けた。
「……ん」 「……桜子?」
「起きた?」
「うん。買い物から戻ってきたよ。」
勇人は額に乗せられたタオルに気づく。
「気持ちいい?」
「あぁ……。冷たくて、気持ちいい」
いつもより素直な返事に、桜子は小さく笑った。
「今、ご飯炊いてるから。炊けたらおかゆ作るね」
「……おかゆ?」
「卵がゆ、食べられそう?」
「うん」
「じゃあ、もう少し待ってて」
「……はい」
また子どものように返事をする勇人に、桜子は思わず笑ってしまった。
やがて、ご飯が炊き上がる。
桜子は鍋にご飯と水を入れ、だしを加えて柔らかくなるまで煮込んでいく。
最後に溶いた卵をゆっくりと流し入れると、ふんわりとした卵が鍋の中に広がった。
出来上がった卵がゆを器によそい、勇人のところへ運んだ。
「勇人、おまたせ」
「できたよ」
「ありがとう」
勇人が起き上がろうとすると、桜子は慌てて手を伸ばした。
「ゆっくりでいいよ」
勇人はベッドの上で身体を起こし、桜子から器を受け取ろうとする。
「熱いから、待って」
「え?」
桜子はスプーンで卵がゆをすくう。
「ふー……ふー……」
冷ましてから、勇人の口元へ差し出した。
「はい」
勇人はスプーンと桜子の顔を交互に見る。
「……食べさせてくれるの?」
「えっ?」
言われて初めて気づいたのか、桜子の頬が赤くなる。
「だ、だって勇人、病人だし」
「自分で食べられるけど」
「病人なんだから、いいの!」
恥ずかしさをごまかすように、もう一度スプーンを差し出す。
「ほら、口開けて」
「……はい」
勇人は素直に口を開けた。
「どう?」
「……おいしい」
「本当?」
「うん」
「本当に美味しいよ」
その言葉に、桜子は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もう一口ね」
また卵がゆをすくい、
「ふー……ふー……」
勇人のために冷ましていく。
勇人はそんな桜子をじっと見つめていた。
「……どうしたの?」
「いや」
勇人は少しだけ笑う。
「風邪ひくのも、悪くないなって思って」
「もう!」
桜子は頬を膨らませた。
「そんなこと言ってないで、早く治してよ。」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「……はい」
素直に返事をする勇人に、桜子はまた笑ってしまった。
卵がゆを食べ終わったあと、勇人がぽつりと呟いた。
「……桜子」
「なに?」
「アイス食べたい」
「え?」
「バニラアイス……。」
「あっ」 「ちょっと待ってて」
桜子は思い出したように立ち上がると、冷凍庫からバニラアイスを取り出した。
「お待たせ」
勇人に差し出したが、勇人は受け取ろうとせず、じっと桜子を見つめた。
「……食べさせてくれないの?」
「え?」
「おかゆは食べさせてくれたのに」
「もう……」
桜子は困ったように笑う。
「しょうがないなぁ」
バニラアイスの蓋を開け、スプーンですくう。
「はい、あーん」
勇人は嬉しそうに口を開けた。
「……おいしい」
「本当にアイス食べたかったんだね」
「うん」
「ふふっ、じゃあ、もう一口」
桜子は笑いながら、もう一度アイスをすくった。
アイスを食べ終えると、桜子は空になった容器を片付けた。
「じゃあ、今度こそちゃんと寝てね」
「……うん」
「私、もう少しいるから」
「分かった」
勇人は安心したように目を閉じた。
しばらくすると、静かな寝息が聞こえてくる。
「……寝た」
桜子はそっと立ち上がると、テーブルの上に置かれた夜桜羊羹へ目を向けた。
「そういえば……まだ味見してなかった」
眠っている勇人をちらりと見る。
「……ちょっとだけ」
桜子は夜桜羊羹を一口分だけ切り分けた。
「……綺麗。いただきます」
一口食べる。
「……おいしい」
思わず笑みがこぼれる。
見た目だけじゃない。
味もしっかりと仕上がっている。
優しい甘さが口の中に広がると、心までじんわりと温かくなった。
自分のために、勇人が作ってくれたもの。
そう思うと、余計に嬉しい。
でも――だからこそ、やっぱり無理はしてほしくない。
しばらくして、勇人がゆっくりと目を開けた。
「……桜子?」
「起きた?」
「うん……」
「少しは楽になった?」
「さっきよりは」
「よかった」
桜子はほっとしたように笑った。
「あ、そうだ。夜桜羊羹、味見したよ」
「どうだった?」
「あのお店の羊羹にはまだ届かないけど……私は、とても美味しいと思う」
「本当?」
「うん。小豆の優しい甘さと、桜の塩漬けのほんのりとした塩味がちょうどよかった」
勇人は安心したように笑った。 「よかった……」
「でも、だからってまた徹夜しちゃダメだからね?」
「……はい」
「じゃあ、私そろそろ帰るね」
桜子は立ち上がり、借りていた鍵を勇人に差し出した。
「これ、ありがとう」
「ああ」
勇人は鍵を受け取った。
「スポーツドリンクは冷蔵庫に入ってるから、ちゃんと飲んでね」
「分かった」
「それから、今日はもう何も作らないこと」
「はい」
「ちゃんと寝ること」
「はい」
桜子は満足そうに頷くと、玄関へ向かった。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。今日はありがとう、桜子」
「どういたしまして」
桜子は玄関の扉を開け、振り返る。
「私が出たら、ちゃんと鍵閉めてね」
「分かった」
「おやすみ、勇人」
「おやすみ」
扉が静かに閉まる。
しばらくして、カチャリと鍵のかかる音が聞こえた。
その音を確認してから、桜子は安心したように笑い、家へと帰っていった。




