第32話「桜の開花」
「まずは、桜の花をきれいに見せたいよね」
桜子は塩抜きした桜の花を見つめた。
「うん。透明な寒天の中に、桜が咲いているみたいにしたい」
「それ、絶対きれいだな」
二人はさっそく試作を始めた。
桜子は箸を使い、桜の花びらを一枚ずつ丁寧に広げていく。
「これくらいかな」
「いい感じじゃない?」
きれいに開いた桜の花を型の中に置き、その上から寒天液をゆっくりと流し込む。
しかし――。
「あっ」
寒天液の流れに押され、せっかく整えた桜の花が動いてしまった。
「端に寄っちゃった……」
「思ったより難しいな」
二人は顔を見合わせる。
「もう一回やってみよう」
今度は、できるだけ静かに寒天液を注いでみる。
けれど、桜の花がふわりと浮かび上がってしまった。
「ああっ……」
桜子が慌てて箸で戻そうとする。
「待って、花びらが閉じちゃう」
「本当だ……」
きれいに咲かせたはずの桜は、箸で触れるたびに形を崩していく。
ただ寒天の中に桜を入れるだけなら簡単だと思っていた。
一輪の桜が透明な寒天の中で美しく咲いているように見せるには、花を入れる位置も、寒天を注ぐタイミングも考えなければならない。
二人は何度も試作を繰り返した。
今度は花びらが思うように開かない。
「うーん……」
桜子は失敗した寒天を見つめた。
「少し固めてから、桜を置いたらどうかな?」
「なるほど」
二人は型に少量の寒天液を流し込み、少し固まるのを待った。
その上に桜子が慎重に桜の花を置く。
「動かないでね……」
箸の先で、そっと花びらを広げる。
その上から、残りの寒天液を静かに重ねていく。
二人は息をするのも忘れるように、その様子を見守った。
「……今度はどう?」
「さっきよりいいかも」
透明な寒天の中に、淡い桜色の花が浮かんでいた。
ところが――。
「惜しいな」
桜の位置はきれいだった。
しかし、花びらが少し閉じている。
桜子も覗き込んだ。
「もう少し、ふわっと咲いているように見せたいね」
「だな」
失敗ではない。
けれど、二人が思い描く『見ても楽しめる桜羊羹』には、あと少し届かない。
「和菓子って、本当に繊細なんだね」
桜子が呟く。
「店主さんが言ってた意味、分かった気がする」
勇人は出来上がった羊羹をじっと見つめた。
「でも、あと少しだと思う」
「うん」
「これ、ちゃんと完成したら絶対きれいだよ」
桜子は嬉しそうに笑った。
「私もそう思う」
それからも二人は試作を続けた。
気がつけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「もうこんな時間」
桜子が時計を見て驚く。
「外も暗いし、駅まで送るよ」
「大丈夫だよ?」
「いいから。夜道、一人で帰せないって」
二人は並んで駅まで歩いた。
「じゃあ、また明日」
「うん、おやすみ」
桜子が改札の向こうへ消えるまで見届けてから、勇人は一人、部屋へ戻った。
部屋に静けさが戻った。
(本当は俺、洋菓子派だけど、桜子が好きな和菓子なら、もっと美味しく作りたい)
勇人はキッチンへ戻ると、並べられた試作品を見つめた。
どれも悪くない。
けれど。
「……もう少しなんだよな」
桜がもう少しきれいに開けば。
透明な寒天の中で、本当に花が咲いているように見えれば。
勇人は時計を見る。
まだ少しくらいなら大丈夫だろう。
「あと一回だけ」
再び寒天を火にかける。
けれど、その一回が終わると、また次が気になった。
花を置くタイミングを少し変える。
寒天の温度や固まり具合を調整する。
桜を置く位置を何度も試した。
「今度こそ……」
何度目かの試作品を取り出す。
「……惜しい」
もう一度だけ。
あと一回で終わらせる。
次こそ。
それを繰り返しているうちに――。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込み始めていた。
勇人は時計を見て、目を見開く。
「……マジか」
ほとんど眠らないまま、朝を迎えていた。
それでも勇人は、最後に作った桜羊羹を見つめる。
透明な寒天の中で。 桜の花が、静かに咲いていた。
「……できた」
勇人は小さく笑った。




