第19話「分かってないのは、誰?」
「あの」
「神谷先生」
「勝木さん、どうしました?」
「あの……少し聞いてもいいですか?」
「もちろんいいですよ」
真司は少し迷ってから、口を開いた。
「家族みたいに大切に思う『好き』と、恋愛の『好き』って……やっぱり違うものなんですか?」
神谷先生は少し意外そうに真司を見た。
「難しい質問ですね」
「私は……家族みたいに大切に思う『好き』も、誰かを愛している『好き』も、同じものだと思ってたんです」
真司は視線を落とす。
「大切で、ずっとそばにいたいって思う気持ちに、違いなんてないと思ってたから」
「でも……違う人もいるのかなって」
神谷先生は穏やかに微笑んだ。
「そうですね。人によって、『好き』という気持ちの捉え方は違います」
「心理学を学べば、人の心を理解するためのヒントは得られると思います」
「でも――誰かを好きになる気持ちに、ひとつの正解があるわけではありません」
「……正解」
「家族のように大切に思う人が、恋愛の相手になることもあります。ならないこともあります」
「それを決めるのは、心理学ではなく、その人自身の気持ちです」
真司は黙った。
桜子の顔が浮かぶ。
そして――勇人の顔も。
ずっと好きだった。
簡単に諦められるはずなんてなかった。
「ありがとうございます」
真司は小さく頭を下げ、その場を離れた。
校舎を出ると、少し先を歩く勇人の姿が見えた。
一人だった。
真司はその背中を見つめる。
桜子を好きな気持ちは。
そんなに簡単に、手放せるものではなかった。
その答えを、真司はまだうまく言葉にできなかった。
「勇人」
後ろから声をかける。
勇人が振り返った。
真司はまっすぐ勇人を見つめる。
「少し、話せる?」
勇人は一瞬だけ驚いたあと、小さく頷いた。
「……あぁ」
二人は人気の少ない中庭へ歩いていった。
しばらく沈黙が続く。
先に口を開いたのは真司だった。
「昨日のこと、気にしてるんでしょう?」
勇人は苦笑した。
「分かるか」
「ああ」
再び静かな沈黙が流れた。
勇人は空を見上げる。
「昨日さ、桜子がお前に寄りかかってただろ」
真司は何も言わない。
「見ていて思ったんだ」
「やっぱり、お前なんだなって」
夕焼けの風が二人の間を吹き抜ける。
「俺が入り込める場所じゃない」
真司はゆっくり首を横に振った。
「違う」
「違わない」
勇人は寂しそうに笑う。
「桜子、すごく安心した顔してた」
「俺じゃ、あんな顔にはならない」
真司は勇人を真っすぐ見つめた。
「桜子は恋愛感情で寄りかかったわけじゃない」
「幼い頃から一緒だった私だから、安心して甘えただけ」
「桜子自身も、そう言ってた」
(……分かってる。)
(桜子が私に向けてくれる『好き』と、恋愛の『好き』は違う。)
真司は一度、言葉を飲み込んだ。
けれど、寂しそうにしていた桜子の顔が浮かんだ。
「だから……」
真司は少し迷ってから、口を開いた。
「あんたが勝手に身を引く必要なんて……ないのよ」
勇人は少しだけ目を伏せた。
「でも」
「本人も気づいてない気持ちって、あるんじゃないかって」
「俺には、そう見えた」
「だから」
「少し距離を置いたほうがいいと思った」
真司の表情が曇る。
「勇人」
「それは違うんだ」
「いや」
「桜子は何も分かってないよ」
勇人は穏やかに笑った。
「……俺さ」
「もしかしたら」
「ずっと邪魔してたのかもしれない」
「だから違うって言ってんだろ」
思わず真司は、勇人の胸ぐらをつかんだ。
自分でも感情より先に、こんな行動を取ることに驚いた。
「離せよ」
「お前何もわかってないだろ?」
「うるせぇな」
勇人は苦しそうに眉を寄せた。
「わかってないのは、真司だろ」
(好きな人が幸せなら、それを受け入れてやるもんだろ)
「俺はわかってるよ」
「だから、こんなに……」
真司は顔を歪め、勇人の胸ぐらから手を離した。
「桜子を泣かせるようなことだけは、するなよな」
それだけ言い残し、真司は去っていった。




