第13話「当たり前になった距離」
講義が終わり、三人は教室を出た。
「今日は暑いなぁ」
勇人が肩を回しながら歩く。
「もう夏だもんね」
桜子は窓の外を見上げ、小さく笑った。
真司は二人の後ろを歩きながら、何気なくその様子を眺めていた。
大学構内を歩いていると、自動販売機が目に入る。
「何か飲んでいく?」
勇人が財布を取り出した。
「今日は俺が奢るよ」
「えっ、いいの?」 桜子が少し驚く。
「この前は真司にコーヒー奢ってもらったし」 勇人は笑った。
「それなら私はお茶」 桜子が答える。
「私はスポーツドリンクかな」
真司も続けた。
勇人は三人分の飲み物を買い、桜子へペットボトルを手渡した。
「ありがとう」
桜子は自然に受け取る。
その様子を見ていた真司は、ふと微笑んだ。
ベンチに腰掛け、三人は少しだけ休憩する。
講義の話や課題の話。
他愛もない会話が続く。
ふと、桜子がバッグをごそごそと探し始めた。
「あれ……」
「どうした?」
「ハンカチが見つからない」
勇人は何も言わず、自分のバッグから新品のポケットティッシュを取り出した。
「ほら」
「使っていいよ」
「あっ、ありがとう」
桜子は嬉しそうに笑う。
そのやり取りは、とても自然だった。
まるで昔からそうしてきたように。
真司は二人を見つめながら、小さく息をつく。
(いつからだろう。)
(こんなに自然になったのは。)
以前なら、桜子は遠慮していただろう。
勇人も照れながら渡していたはずだ。
それが今では、お互い何の迷いもない。
(そうすることが、当たり前になっていた。)
少し歩き始めると、人混みが見えてきた。
勇人は何気なく桜子を自分の隣へ寄せる。
人混みを見た瞬間、体が先に動いていた。
二人の肩が触れそうな距離になる。 「危ないから、こっちな」
「うん」
桜子も当たり前のように頷いた。
二人とも、それを特別なことだと思っていない。
真司は静かに歩きながら、その背中を見つめる。
「そういえば、この前の恋愛心理学で習ったわよね」
真司が口を開く。
「人は、居心地のいい距離を保とうとするって」
「恒常性だっけ?」
勇人が思い出したように言う。
「ええ」
「最初は緊張していた距離でも、毎日一緒にいると、それが普通になっていくの」
桜子は首をかしげる。
「普通になる?」
「そう」
「気付かないうちに、
『この距離が一番落ち着く』って心が覚えてしまうの」
真司は穏やかに笑う。
「へぇ。なんか不思議」
桜子は素直に言った。
勇人も笑う。
「確かにな」
三人はそのまま大学をあとにした。
並んで歩く三人の距離は、自然といつも通りだった。
誰も、それを気にしてはいなかった。
ただ一人を除いて。
(もう……。)
真司は胸の奥が少しだけ締めつけられる。
(二人にとって、この距離が当たり前になってる。)
その事実だけが、静かに心へ残った。




