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07まあ、お客様ですね。陛下どうしましょう?

 翌朝。帝都の正門には選りすぐりの黒鉄騎士団が集結した。背後にはお弁当を満載した地走りの若木たちが列をなす。


「出発だ!」


 アーレイ様の号令と共に東の空へと進軍を開始した……しかし、街の外れまで来た時、一人の少女が私たちの行く手を阻むように立ちはだかる。昨晩見かけたあのエルフの少女。よく前に出れるなと感心する。無謀な行為とも言えるけれど。


「待って。あなたたちのその食べ物面白い匂いがする」


 若木に積まれたお弁当箱を指差す。


「東の聖域の番人、エル。お弁当を一つくれるなら龍の谷の本当の抜け道を教えてあげてる」


 エルフの少女エルは無表情ながらも、お弁当から漏れ出る魔力の香りに抗えないよう。


「まあ、お客様ですわね。陛下どうしましょう?」


「……案内役がいるに越したことはない。フロラベル、彼女にもお弁当を」


 こうして、奇妙な同行者を加え、未知の東方へと足を踏み入れた。


 龍の谷へ至る険しい山道の途中、一行は野営を張った。夜の帳が下りる中、フロラベルは休息もそこそこに移動式の温室となっている地走りの若木の背へと登る。

 そこには帝国を発つ前に自ら植え付けた、特殊な魔導植物たちが青白く発光しながら揺れていた。


「お弁当だけでは足りませんわ。東の汚染は、想像以上に深そうですもの」


 フロラベルは手際よく、大粒の魔力蓄積葡萄を絞り器にかける。滴り落ちる果汁は溶けたエメラルドのように輝いていた。次に彼女が取り出したのは自らの血を数滴、肥料として与えて育てた黄金の月見草の蜜。特殊な配合で混ぜ合わせ、攪拌していく。


「……何をしている。ポーションなのか?」


 アーレイが梯子を登り、狭い温室の中に入ってきた。フロラベルの無茶を心配しつつも手から生み出される未知の命に強い興味を抱いている。


「陛下。これは常緑の滴。一口で枯れ果てた魔力を全快させ、さらに数時間は精神汚染を完全に遮断する聖水です」


 出来上がった琥珀色の液体を、小瓶に詰めていく。一般的にポーションといえば錬金術師が鉱石や薬草を煮詰めて作るものだ。フロラベルの作るそれは、植物の生命力そのものを凝縮した飲む奇跡。


「……ありえない。神殿の奥深くに眠る神の涙と同じ純度だぞ」


 背後からエルフの少女エルが音もなく現れた。驚愕に目を見開き、フロラベルが作ったポーションを食い入るように見つめる。


「あなたの魔法……植物を操るだけじゃない。植物の魂の波長を書き換えている。そんなことができるのは伝承の中の最初の巫女だけ」


「まあ、大袈裟。この子たちが一番輝ける形に整えてあげているだけですもの」


 フロラベルは微笑みながら最後の仕上げに日光を蓄えた苔の粉末を振りかけた。瓶の中の液体がカチリと音を立てて安定し、眩い黄金色の光を放つ。


「どんな毒の森でも戦えます。陛下も一瓶持っていてください。もしもの時は守って差し上げますから」


 アーレイは苦笑し、手渡された温かい瓶を握りしめた。皇帝である自分が、一人の令嬢に守ると言われる。激怒しただろうが、今の彼にはそれが何よりも心強かった。


 夜。見張りに立っていたアーレイとエルの前に、山道を這い上がってくる不気味な影が現れた。王国の末路と同じ、黒い蔦に寄生された魔獣たちだ。


 以前とは様子が違う。魔獣たちの肉体はすでに崩壊し、中身は空洞。代わりに黒い根が神経のように張り巡らされ、意思なき操り人形となって襲いかかってきたのだ。


「……汚らわしい。フロラベルの庭を汚させるか」


 アーレイが剣を抜こうとした瞬間、エルが制止した。


「待って。剣で斬っても根はすぐに再生する。……フロラベル、あなたの出番よ」


 温室から顔を出したフロラベルは、襲いくる異形の群れを見ても動じなかった。

 彼女は作りたての陽光のポーションを一瓶、空中に放り投げた。


「陛下、あちらを!」


「心得た!」


 アーレイが空中で瓶を射抜く。弾けた琥珀色の滴が、雨のように魔獣たちに降り注いだ。


 ジュウウウゥッ!!


「……ギイイィイッ!?」


 黒い根が太陽の光に焼かれたようにのたうち回り、一瞬にして白い灰へと変わっていく。ポーションの霧が触れた場所から、芽吹くはずのない岩肌に青々とした草が生え、死の気配を完全に上書きしていった。


「……これがあなたの力」


 エルは戦慄していた。


 龍の谷。切り立った崖が幾重にも重なり、常に龍の咆哮に似た突風が吹き荒れる禁域だ。

 一行が谷の入り口に足を踏み入れた瞬間、空気を震わせるような重圧のプレッシャーが一同を襲った。


「……来た。谷の守護者。汚染に苦しんでいる者」


 エルが空を指差す。雲を割り、悠然と舞い降りてきたのは全身を白銀の鱗で覆われた古龍。

 美しい鱗の間からはドクドクと脈打つ黒い蔦が食い込み、瞳は理性を失った血の色に染まっている。


「総員構えろ!フロラベルは背後に!」


 アーレイが抜剣し、周囲の温度が一気に氷点下まで下がる。古龍が大きくあぎとを開き、全てを焼き尽くす咆哮を放とうとした時。


「待ってください、陛下。この子、お腹を空かせているだけみたいです」


 フロラベルがアーレイの制止をすり抜けて前に出た手には、風呂敷に包まれた特大の三段重。


「……フロラベル正気か?相手は伝説の古龍だ」


「蔦に魔力を吸われて、内臓がボロボロなんです。そんな状態で戦うなんて可哀想じゃありませんか」


 フロラベルは無造作に風呂敷を解き、お重の蓋を開けた。瞬間、谷の寒風を塗り替えるような豊潤で力強い命の香りが溢れ出した。

 本日の献立は古龍救済御膳。世界樹の雫で炊き上げた黄金米の爆弾おにぎり。中身は毒素を吸着して排出する浄化の梅肉。

 火炎鳥の照り焼き、千切り魔力キャベツ添え。強引に生命力を底上げし、自浄作用を活性化させる肉料理。

 精霊の湧き水で煮込んだ万能薬草パナケイアの筑前煮。黒い蔦によって傷つけられた内臓を修復する。


「召し上がれ。お行儀よくしないとデザートの魂の癒やしプリンは抜きです」


 魔法で香りを増幅させると、古龍の動きがピタリと止まった。真っ赤だった瞳が、美味しそうな香りに釣られて左右に揺れる。


「……グル、ゥ……?」


 古龍は自分に突きつけられた剣よりも、目の前のおにぎりに屈した。巨大な頭を地面に落とし、甘えるように鼻先をフロラベルに寄せる。笑いながら、おにぎりを一つ古龍の口へと放り投げた。

 一口飲み込んだ瞬間、巨体が眩い緑の光に包まれた。バキバキと音を立てて、食い込んでいた黒い蔦が枯れ、剥がれ落ちていく。古龍の喉から漏れたのは破壊の咆哮ではなく、満足げな深みのため息だ。


「……美味い。三千年ぶりに腹の底から温まった」


 古龍が人の言葉で威厳を持って語りかけた。エルの目が見開かれる。気難しい古龍が、人間に、食事を与えられて心を開くなど前代未聞。


「救われたぞ緑の巫女。我が内に巣食っていた魔女の呪いが握り飯一つで霧散した」


「それは良かったですわ。でも、まだ根源は残っていますよ?」


 フロラベルの問いに、古龍の瞳が鋭く細められた。


「左様。聖域の世界樹は今や魔女リリアナの心臓となり果てた。巫女よ、皇帝よ。お主らが向かう先に待つのは仲間ではない」


 古龍は大きな翼を広げ、東の最果てを指し示す。


「あれは星の記憶を喰らう虚無の化身。お主のお弁当が死にゆく星の救いとなるか、それとも最後の晩餐となるか。我が見届けてやろう」


 アーレイとフロラベルをその背に乗せ、凄まじい速度で聖域へと飛び立った。

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