10花の花言葉は愛と守護。これからも私が陛下と国を守ります
足元にはふかふかの極上苔が広がり、頭上では世界樹の枝葉が天然の日傘となって柔らかな木漏れ日を落としている。
「やっと静かになりましたね」
大きく伸びをする。指先からこぼれ落ちた魔力が瞬時に周囲の花々を開花させ、甘い香りが漂い始めた。
アーレイは剣を外し、重いマントを脱ぎ捨てて苔の上に座り込んだ。皇帝として常に気を張っていた彼も、ここだけは一人の男に戻れる場所。
「お前の作る空気は、どうしてこうも心地よい」
「陛下がこの場所を愛してくださっているからです。植物は正直」
フロラベルはバスケットから冷えた星屑の果実水と、焼き立てのスコーンを取り出した。バラムのような強欲な人間には決して味わえない、質素だが最高に贅沢な時間。
「陛下、少し横になってはいかがですか?目の下に隈ができています」
自身のスカートを叩いて促す。アーレイは一瞬ためらったが抗えない睡魔とフロラベルの笑顔に負け、大人しく膝に頭を預けた。
「……すまない。少しだけ目を閉じさせてもらう」
「ごゆっくり。悪い夢は全部食べて差し上げますよ。ふふ」
アーレイの銀髪を優しく梳く。華氷皇帝と呼ばれた男の寝顔は驚くほど幼く無防備だった。
背負ってきた国の重み、孤独、フロラベルを守るための闘争心全てが今は穏やかな寝息へと変わっている。
(もう二度と孤独にはさせない)
心に誓う。世界樹がざわめき、枝葉を揺らして二人に涼しい風を送った。若い主たちを祝福するかのように。
一時間ほど経った頃だろうか。アーレイがゆっくりと目を開けた瞳には先ほどまでの疲労の色はなく、澄んだ氷のような輝きが戻っていた。
「……よく寝た。夢も見ないほど深く」
「それは良かった。エネルギー補給も忘れずに」
差し出したのは品種改良した太陽の蜜柑。一口食べれば体中の細胞が活性化し、魔力が溢れ出すという逸品である。
「……美味い。酸味が抜けて、甘みだけが凝縮されている」
「でしょう?これを食べてまた明日から頑張りましょう」
二人は並んでオレンジ色に染まる夕暮れの空を見上げた。
「フロラベル。……愛している」
「知っています。私もですアーレイ様」
言葉少なに交わされる愛の確認。日が完全に落ち、世界樹の聖域が夜の帳に包まれた頃。アーレイが目を覚ます。
「は……なんだこれは」
暗闇であるはずの森が淡く優しく発光している。足元の苔は青白く、頭上の枝からは金色の木の実がランタンのようにぶら下がり、幻想的な光景を作り出していた。
「陛下おはようございます。ちょうど月光カボチャが食べ頃になりましたよ」
フロラベルがエプロン姿で現れた。周りには、ふわふわと浮遊する光る綿毛が舞っている。
「月光カボチャ……?」
「夜にしか収穫できない魔力をたっぷり蓄えたカボチャです。スープにすると身体の中からポカポカと光るようになるんです」
フロラベルの指差す先では大鍋がグツグツと煮立ち、クリーム色の湯気が立ち上っていた。香りはバターのコクと秋の夜長の静けさを煮詰めたような、心安らぐもの。
「陛下だけではありません。隠れている皆さんも、出てきてください」
何もない闇に向かって手招きをするとアーレイの護衛を務める、帝国の暗殺部隊影の騎士団。気配を消すことに関しては世界一だが、フロラベルの植物ネットワークの前では隠れようがない。
「……バレていたか」
「皇后陛下には敵わん」
闇の中から黒装束に身を包んだ強面の男たちが、バツが悪そうに姿を現した。普段、食事すら立ったまま済ませるような仕事人間たち。
「皆さんずっと警護をありがとうございます。お腹、空いているでしょう?椀を持って並んでください」
「い、いや、我々は任務中ですので……!」
騎士団長がアーレイの方を見る。アーレイは温かいシチューの香りに少しだけ口元を緩め、頷いた。
「……許可する。フロラベルの料理を無駄にするな。命令だ」
「は、はいっ!」
数分後には信じられない光景が広がっていた。泣く子も黙る影の騎士団が切り株に腰掛け、フロラベルがよそった熱々の月光カボチャのシチューを啜りながら、幸せそうに頬を緩めている。
「うっ……美味い。実家の母の味より美味い……」
「なんだこれ古傷の痛みが引いていく」
「ホクホクした芋、魔力が回復する……!」
コワモテの男たちが少年のように目を輝かせている。フロラベルは彼らの間を回り、おかわりを配りながらニコニコと笑う。
「たくさん食べてください。デザートには星屑ベリーのタルトもあります」
様子を見ていたアーレイは手元のカップを見つめ、独り言のように呟いた。
「……俺の国はいつからこんなに温かくなったのだろう」
皇帝と恐れられ、部下にも完璧と華氷さだけを求めてきた。兵士たちは剣ではなくスプーンを握り、心からの笑顔を見せている。
「フロラベルは本当に……氷を溶かす天才だ」
「褒めてもおかわりしか出ませんよ?」
とぼけて見せたが耳は少しだけ赤くなっていた。宴の後。
満腹になった騎士たちが再び警護に戻ると全員の体からは微かに幸せの光が漏れていたが、フロラベルはアーレイの手を引いて世界樹の裏側へと案内した。
「陛下にお見せしたかったんです」
一面に咲き誇る夜光花、ナイト・フロックスの花畑が広がっていた。星空が地上に降りてきたかのような、青と銀の光の絨毯。
「……綺麗だ」
「花の花言葉は静かな愛と守護。これからも、私が陛下と国を守ります」
摘み取った一輪の花を差し出すと、アーレイは受け取り髪に挿した。
「逆だフロラベル。守られるのは俺の方ではない。生涯をかけてお前の笑顔を守る」
フロラベルを引き寄せ、光る花畑の中で甘く長いキスを落とした。




