第97話 一難去って
「良かったぁ、何事もなく済んで。東雲も協力してくれてありがとう」
「……別に」
母さんを見送った後、昼休憩を迎えたオレはパーティションの裏で小声で喝采を上げた。
自由時間とは別に、従業員には順次、昼食を摂る為の短い休憩時間が設けられている。本日、午後から姫としての仕事があるオレには優先的にその権利が与えられていた。
狭い裏方スペースで、同じく休憩に入った東雲と共に、彼の作った賄いのオムライスを頬張る。本来、調理係の東雲は調理室で済ませる予定だったが、オレに呼ばれて教室に来ていたついでに、そのままここで食べる運びとなったのだ。
「優しそうな良い親御さんだったな。あんたに似てる」
「そうかな? ああ見えて、怒らせると結構怖いんだよ。潔癖っていうか、曲がったことが許せないっていうか」
「ますます、あんたに似てるな」
「えぇ、そうかなぁ?」
身内を褒められて悪い気はしないけれど、似てると言われると自分ではよく分からない。
とにかく、差し迫って一番の悩みの種だった母の来訪イベントが無事に終わってホッとした。オレの女装姿に対する母さんの反応には少しヒヤッとさせられたけれど、あれくらいなら問題ないだろう。
「ん~、ホッとした後のご飯は、一層美味しい!」
御影さんのことだとか後夜祭ライブのことだとか、まだまだ心配事は尽きないけれど、今だけは一時の解放感に浸っていたい。
オムライスの味に耽溺していると、視線を感じ、顔を上げたら東雲がオレを見ていた。――優しい顔。普段の強面からは想像もつかないような穏やかな表情に、息を呑む。
目が合って、ハッとして、東雲は誤魔化すように視線を逸らすと、話題を振った。
「午後からは何か予定があるんだろ」
「あ、うん。ミスターコンの特別審査員として野外ステージに参加しなきゃいけないんだよね」
「ミスターコン? ……ああ、そんなのもあったな」
――ビックリした。東雲があんな優しい顔をするなんて。
気付かなかったけれど、いつもあんな風にオレのことを見ていたのだろうか。慈しむような、愛おしむような……。
『好きだ』
不意にまた、昨日の告白の言葉がリフレインした。……いや、昨日だけじゃない。以前にぽろりと零された言葉もそうだ。
東雲はずっと、オレのことを見ていてくれた。オレは……彼に何が返せるだろうか。
――そうだ、東雲のことも、ちゃんと考えなくちゃ。
同時に、脳裏に浮かんだのは御影さんの顔だ。内心の動揺を押し隠して食を進めていると、ふと、外が騒がしくなってきた。
怒ったような女性の声。これはお客さんだろう。「割り込み」と聞こえてきたから、誰かが列に横入りしたらしい。それから、クラスメイトのものではない男声がして、応対する御影さんの声。何やら揉めているような気配に、東雲と顔を見合わせた。
気になってパーティションから出ると、近場に居たクラスメイトに訊ねる。
「何かあったの?」
「ハル姫! それが……」
どう説明したものか迷ったのだろう、クラスメイトは困ったように視線を前に向けた。そこでは、赤チェックの二年生が二人ほど連れだって、御影さんと相対していた。
「ですから、私は学生ではございませんので……」
「そこを何とか!」
「何とかと仰られましても……」
「御影さん、どうしたんですか?」
横から声を掛けると、御影さんが安堵したようにオレを見た。
「陽様、この方々が私にミスターコンへの出場を打診なさっているのです」
「えぇ!?」
「ハル姫! 丁度良かった、護衛人をお借りしてもよろしいですか!?」
「よろしいですかって……ちょっと待ってください。何でミスターコンに?」
四季折学園ミスターコンテスト――早い話が、学園一のイケメンを決める文化祭恒例行事の一つだが、参加者の応募はとっくに締め切られていたはずだ。文化祭一日目の写真投票による人気上位者が今日の本選に進むことになっているが……何でこのタイミングで今更新規スカウトなんてしているんだ?
「それが……上位三名が突如欠場になりまして」
「えっ? それはまた、何で?」
「一人は病欠、一人は他校の女生徒複数と関係を持っていたことが判明し、出場停止に……」
「うわっ」
「そして、大本命の元姫、橘 薫くんは他校の野球部の練習試合の助っ人に呼ばれたとかで……」
あぁ……棗先輩がプロテインを与えまくってガチムチにして姫の座から追い落したっていう、噂の三年の元姫……。そういえば、一度も会ったことがないな。
「そういう訳でして、このままでは今一盛り上がりに欠けるので、急遽別のイケメンを探しているのです。一年二組にはめちゃくちゃ美形の執事が居ると噂になっておりましたので……」
「是非、シード枠としてご参加願いたく!」
どうやらミスターコン運営サイドであるらしい先輩二人は、そう切々に訴えた。
「でも、御影さんは生徒じゃないし……」
「学園関係者ではあるので、セーフかと!」
そんなこと言ったら教師でも参加できるようになってしまうだろう。どうなんだ、それは。
困惑に唸っていると、御影さんがオレを庇うように前に出て告げた。
「私は陽様の護衛人ですので、件のコンテストの際も特別審査員をなさる陽様の御身をお守りする任がございます故、陽様のお傍を離れる訳には参りません。従って、そのような申し出は辞退させて頂きます」
「そ、そんな……」
「さぁ、いつまでもそのようにしていられては他のお客様のご迷惑になりますので、そろそろお引き取り願います」
きっぱりと当人に断られてしまい、先輩二人ががくりと項垂れた。
「くっ、このままでは、ミスターコンが……」
「誰か、他に本選を闘えそうなイケメンは……ハッ!」
その時、室内に顔を巡らせていた先輩の目が、パーティションから半身を覗かせていた東雲の姿を捉えた。
「君! そこの君!」
「は? ……俺?」
「そう、君! 噂の転校生くんだよね!? 強面だけど、姫を守る騎士みたいで素敵だって、昨日のお姫様抱っこ移動を目撃した女性客の間で騒がれていたそうだね!」
「いや……知らねーし」
「君ならちゃんと生徒だし、顔も良いし、いける! 是非ミスターコンに出てくれないか!?」
「はぁ!?」
おっと、標的が今度は東雲に変わったようだ。
東雲は心底嫌そうに顔を歪めているけれど……。
「確かに、東雲ならいけそう……」
「日向!?」
思わず呟いたオレの感想に、東雲がギョッと目を剝いた。
「あ、ごめん。東雲はそういう人前に出るようなイベント、苦手だよな。でも、東雲、カッコイイしさ」
ぐっと声を詰まらせて固まるや、東雲は見る見る内に顔と耳を真っ赤に染め上げた。次いで、大きな手でそれを覆い隠す。
「しっ東雲!? 別に、無理にとは……」
「分かった……やる」
そんなに恥ずかしかったのか? と、焦ってフォローしようとすると、東雲は指の隙間から溜息と共に零した。
「やるって……」
「ミスターコン、出る」
「えぇっ!?」
「日向が審査員をやるんだろう? ……なら、出る」
手を下ろして、こちらを見据えた東雲の瞳には、至極真剣な色が宿っていた。真っ赤な耳に、朱を差した頬。
気圧されてオレが身動ぎも出来ずに居ると、「お待ちください」と鋭い声が飛んできた。――御影さんだった。




