第96話 母、参観
予想に反して、母さんはなかなか現れなかった。陽葵の言によると朝には家を出ているのだから、もうとっくにこちらに着いていても良いはずなのに……。
「うーん……」
今日は午後から〝姫〟としての仕事の予定があるから、もし、母さんが午前中に間に合わなかったら死活問題だ。どうしよう……最悪、午後の仕事は棗先輩に任せて、飛ぶか?
のっぴきならない事態に唸っていると、新たな客が担当メイドによって室内に通されてきた。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
咄嗟に、お決まりの台詞で出迎えた直後、オレはハッとした。
「って、母さん!」
そこに居たのは、待ち侘びていた母さん、その人だった。驚いたようにぱちくりと目を瞬かせて、オレを見る。
「まぁ、陽? ビックリした……そうしていると、陽葵にそっくりね」
母さんは陽葵の言った通り、オシャレをしていた。普段、カジュアルなパンツスタイルが主なのに、今日はシンプルながらフェミニンな印象のスカートを履いているし、いつものひっつめ髪もくるくると巻いて、バレッタだっけ? 髪飾りまで付けている。
オレや陽葵よりも低身長で童顔な母さんは、こうして見ると二児の母とは思えない若々しさがあった。
「おぉ、この人が、ハル姫の……」
「似てる……」
「しっ! 〝日向くん〟だろ!」
「あ、あー! あはは! ウチのクラス、〈女装メイド喫茶〉でさぁ。参ったよね、女装なんて!」
外野の際どいひそひそ話を大声で遮り、笑顔で取り繕った。
あっぶなー! 今の、大丈夫だったよな?
「でも、あなた、すっごく似合っているわね。女の子にしか見えないわ。そのウィッグとかもどうしたの? 何か他の子達より手馴れた感じしない?」
「そっそうかな!? えっと、それで! 母さんは、どうしてここに!?」
「ごめんね、陽。陽葵には親が行事に来るのは恥ずかしいからって止められたんだけど、どうしても陽の様子が見たくて、来ちゃった。……駄目だったかしら?」
「そんなことはないよ! 正直、メイド服だし確かに恥ずかしくはあるけど、来てくれたこと自体は嬉しいっていうか、その……久しぶり」
学校の中で、それもクラスメイト達の前で親と話すのは、やっぱり何だか落ち着かなくて、どうにもはにかんでしまう。
何はともあれ、今はギリギリ昼前だ。母さんが無事、間に合って良かった。内心、大いに安堵する。
「日向くん、とりあえず、立ち話も何ですから、お席にご案内しては如何でしょう?」
そう促してきたのは、御影さんだ。さらりと呼ばれた〝日向くん〟の響きに猛烈に違和感があるが、それはともかくとして、やっぱり敬語が抜けてない。
母さんは、最初にオレを見た時よりも一層目を瞠って御影さんを凝視している。……うん、一人だけ執事な上に、やたらキラキラしてるもんな。
「陽……こちらの方は?」
「えっと、クラスメイトの御影さ……くん! 見ての通り顔が良いから、集客の為、一人だけ執事役なんだよね! あはは!」
「本当に綺麗な人ね……」と、しみじみ呟いてから、母さんはふと何かに気が付いたように表情を変えた。
「ハッ、もしかしてこの人が陽葵が言っていた、陽の〝美形の彼氏〟さん!?」
「母さん!? 彼氏じゃなくて、友達だよ! 友達!!」
「ああ、そうだったわね」
どよめく周囲に、ハラハラするオレ。
くそう、陽葵、恨むぞぉ……。
「御影 冬夜と申します。改めて、お初にお目にかかります。日向くんには〝ご友人として〟いつもお世話になっております」
「あらまぁ、ご丁寧にどうも。こちらこそ、陽と仲良くしてくださって、ありがとう。随分と大人っぽい子ねぇ」
それはまぁ、成人ですから!
二人のやり取りにオレが肝を潰していると、何を思ったのか、次々にクラスメイト達が便乗し始めた。
「お母様! 僕もハル……日向くんのお友達です!」
「おれも!」
「ぼくも!」
「お、おい皆!?」
「あらあら、陽は愛されてるわねぇ」
くすくすと朗らかに笑う母さん。……まぁ、母さんが楽しそうだから、いいか。
結局、長々と立ち話をさせてしまっていた。改めて、母さんを空いている席に案内し、メニューを渡す。
「ふざけた名前のメニューだけど、味は保証するよ。オレが夏の間バイトしてたカフェで食事を作ってた友達が担当してるんだ」
「へぇ、そうなの。その子にも会ってみたいわね」
「東雲っていうんだ。呼べば、来てくれるかも」
「でも、忙しそうだし、悪いわ。陽のクラス、凄く人気でしょう? 早めに来たのに結構並んだもの」
「ああ……」
母さんの来店が予想よりも遅かったのは、その為か。しまったな……行列のことをすっかり失念していた。まぁ、最終的に午前に間に合ったのだから、結果オーライか。
母さんが注文したのは、看板メニューのオムライス(〝めろキュン♡オムライス〟)だった。母さんは遠慮していたが、折角だしオレも会わせたいので、配膳は東雲にお任せした。
強面でガタイの良い東雲を見ると母さんは若干怯んでいたけれど、ケチャップによる可愛らしいうさぎさんを描いたのが彼だと知ると、評価を改めたようだった。
「えぇっ、これ、あなたが描いたの? 凄いのねぇ」
「東雲はこう見えて器用だし、優しいんだよ」
「……優しいは関係ないだろ」
「あ、照れた! 東雲は照れると耳が赤くなるんだよな。覚えたぞ!」
「……勘弁してくれ」
「あらあら、仲良しさんねぇ」
友達自慢をしたくて、ついつい調子に乗ってしまうオレ。母さんは眩しそうに目を細めてから、言った。
「良かったわ。いいお友達が沢山出来たのね、陽。皆さん、これからも陽のことをよろしくお願いしますね」
すると、その場にいたクラスメイト達が一斉に反応して、「勿論です!」と良い返事をしてくれた。
その後は、恙無く食事を終えて(尚、さすがに親相手に「めろめろきゅん♡」は痛すぎて居た堪れなくなりそうだったので、ご勘弁願った)母さんは帰途に就いた。




