番外編「凍てつく心を溶かした日」
◇イリス視点
全身の血が沸騰し、骨が内側から軋みを上げるような激痛だった。
幼き日の私は、薄暗い南の王国の離宮で、汗にまみれたシーツを握りしめながら息も絶え絶えになっていた。
北の帝国に蔓延した悪辣な呪いは、皇族である私の身体を容赦なく蝕み、肌のあちこちに不気味な黒いあざを浮かび上がらせている。
父である先帝がどれほど高名な治癒術師を集めても、誰一人としてこの呪いを解くことはできなかった。
死の淵をさまよう私の前に連れてこられたのは、私よりもさらに小さな、銀髪を三つ編みにした少女だった。
『こんな小さな子供に、何ができるというのだ』
薄れる意識の中で、私はそう思った。
だが、その少女は怯えた目をしながらも、私のベッドの脇にひざまずき、真っ黒に変色した私の腕に小さな両手を重ねた。
その瞬間だった。
私の身体を焼いていた苦痛が、嘘のように引いていく。
代わりに、少女の口から悲痛な叫び声が上がった。
彼女の真っ白な腕に、私と同じ黒いあざが急速に広がっていくのが見えた。
彼女は私の呪いと痛みを、自らの小さな身体にすべて引き受けていたのだ。
やがて私の肌から呪いが完全に消え去ると同時に、少女は糸が切れたように床へ倒れ伏した。
周囲の大人たちは、彼女を労うどころか、汚らわしいものを見るような目で彼女を引きずって部屋から連れ出していく。
「待て……その子を、連れて行くな……!」
私は枯れた喉から声を振り絞り、手を伸ばした。
しかし、力のない子供の腕は空を切るだけで、誰にもその声は届かなかった。
彼女が落としていった、痛みに歪む顔と涙の粒だけが、私の網膜に深く焼き付いて離れなかった。
◆ ◆ ◆
帝国へ戻った私は、二度とあのような無力さを味わうまいと誓った。
彼女を迎えに行く。
あの小さな手を引き、誰にも文句を言わせないだけの強大な力を手に入れる。
その執念だけが、私を突き動かしていた。
血を吐くような鍛錬を重ね、魔術の深淵を覗き込み、ときには身内すらも冷酷に切り捨てて玉座を奪い取った。
大陸北方を平定し、誰もが恐れる氷の女帝として君臨したのは、すべて彼女を迎えに行くための準備に過ぎなかった。
だが、南の王国の内情を探るために放っていた密偵から報告を受けた日、私の理性は吹き飛んだ。
「ルミア様は、長年の酷使により魔力が枯渇したとみなされております。本日、王太子より婚約破棄と国外追放を言い渡されるとのことです」
報告を聞き終える前に、私は玉座を蹴り飛ばしていた。
私がどれほどあの少女に焦がれ、その痛みを思って眠れぬ夜を過ごしてきたか。
それなのに、あの愚か者たちは彼女を使い潰し、あまつさえ泥の中に捨てようとしているというのか。
視界が真っ赤に染まり、私の身体から無意識に漏れ出した魔力が、謁見の間の大理石を粉々に砕いた。
私は漆黒の外套だけを羽織り、城の塔から身を躍らせて黒竜の背に飛び乗った。
「南へ飛べ。限界まで速度を上げろ」
竜が咆哮を上げ、厚い雪雲を突き破って飛翔する。
風が頬を切り裂き、眼下の景色が恐ろしい速度で後方へと流れていく。
それでも、私の心の奥底で渦巻く焦燥感は少しも収まらなかった。
『間に合ってくれ。どうか、あの光が完全に消えてしまう前に』
◆ ◆ ◆
南の王国の上空は、厚い雨雲に覆われていた。
王城の中庭に、ぬかるみに膝をつく小さな背中を見つけた瞬間、私の心臓が狂ったように跳ねた。
黒竜を急降下させ、石畳を叩き割るように着地する。
周囲の兵士や傲慢な王太子が何かを喚いていたが、そんなものは私の耳には入らなかった。
ただ、冷たい雨に打たれ、泥にまみれて震える銀髪の少女だけが、私の世界のすべてだった。
私は泥水の中に膝をつき、ゆっくりと手を伸ばした。
十数年もの間、夢にまで見た彼女の頬に触れる。
氷のように冷え切ったその肌の感触に、私の胸は張り裂けそうだった。
「見つけた。私の、たったひとりの光」
ようやく口からこぼれ出た声は、自分でも驚くほど震えていた。
私が彼女を抱き上げると、彼女は抵抗する気力もなく、羽のように軽く私の腕の中に収まった。
その身体のあまりの細さと軽さに、私は彼女がどれほどの地獄を生きてきたのかを悟った。
背後にいる愚か者たちを今すぐ氷の刃で微塵に切り刻んでやりたい衝動に駆られたが、それは彼女に不快な音を聞かせることになる。
今はただ、彼女を温かい場所へ連れて帰ることだけが最優先だった。
黒竜の背に彼女を乗せ、私の外套でその冷え切った身体をしっかりと包み込む。
雨雲を抜け、星の輝く夜空へと舞い上がったとき、彼女は私の胸の中で静かに寝息を立て始めた。
私の首元に触れる彼女の銀髪から、かすかに花の香りがした。
『もう二度と、お前を一人にはしない。お前の痛むものはすべて私が排除し、お前の欲するものはすべて私が与えよう』
私は彼女の背中を抱く腕に力を込め、凍てつく空の下で、深く、決して揺らぐことのない誓いを立てたのだった。




