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#7 Mirror――鏡像

 マザーは宇宙服なしで機関室に入るなって言ってた。いろんな電磁波が出てるから危ないって。命に関わるって。でも、"ノルンの座"に行って着替えて、それから一番近いハッチにあるヘルメットを取りに行ってる時間はない。艦橋で入力した航路設定を更新しないと、ローテを助けるどころか船があらぬ方向に進んじゃう。でもきっと大丈夫。わたしたち散々危ない目に遭ってきたけど死ななかったんだから。バイザーが割れてヘルメットが真っ二つになっても宇宙服が破れても、ローテは平気だった。わたしもさっき、宇宙服なしで外に出たけど生きてるんだもん。

 そういえば、こんな時に思い出すのはどうかと思うけど、マザーは鏡が大事だって繰り返し言ってた。耳にたこが出来るほど聞かされた。でもわたし、聞いたことはあっても、知らないし見たこともない。鏡ってなに? 鏡って書いてもそれは鏡じゃないでしょ? カガミって声に出して耳にしたって鏡じゃないはず。もしかしたら機関室にそれがあるのかな? じゃあ鏡って電磁波とかプラズマのこと? びりびりしあっちゃうなにかってこと? うーん、よくわからないなあ。でもきっとそうなんだろうな。だって、びりびりが強すぎると死にそうなるし。

 それにしても薄暗いなこの辺。機関室に近づくほど照明が乏しくなってくのは気のせい? 違う。やっぱり暗い。だってほら、つま先が見えないもん。もう少ししたら手だって見えなくなりそう。じゃあ鏡って真っ暗闇のこと? マザーはちゃんと教えたつもりだったのかな? それとも機関室に足を踏み込ませたくなかったから曖昧にしたとか? だって安全対策の厳重さはハッチ以上だもん……。でも開け方はわかる。こっちに回してこう持ち上げて、このボタンを押しながら、これを下げてまた回すの。ほら、ロックが外れた。なんて重たい扉なの。それにもう手元が見えないほど真っ暗だ。目を開けてるのかどうか自信が持てない。肩のボタンが僅かに光ってるのだけが頼り。恐いな……。でも行かなきゃ。

 ローテはここに来たことあるのかな? やだ、ほんとになにも見えない。それになんだか恐いけど恐くない感じがしてきた。きっとあの音のせいだと思いながら、ヴァイセは両手を前に突き出して左右に振りながら、段差に躓かないように、そろりそろりと一歩ずつ小さな歩幅で漆黒のなかを進んでいった。あの音はなんだろう? 機械が動いてる音じゃないし、誰かが話してるような言葉でもない。歌でもないしわたしが知ってる動物の鳴き声とも違う。呪文みたいだけど、そうだとしてもわたしの知らない呪文かな? でも、何度も同じ音が繰り返されてるけど、メロディーって感じでもない。それに、なんだか心が寛いでいく感じがする。恐くないのはきっとそのせいで、恐いのは見えないからなんだろうな。それにしても広いな、ここ。壁もなければ動力機器もないなんてことないわよね? 時間がどれくらいたったかも全然わからない。どうしよう? このまま進んでいいのかな? この闇がずっとつづいていたらどうしよう? まるでブラックホールみたいじゃない? ローテは遭難してからずっとこんな闇のなかにいるの? だとしたら可哀想。宇宙でもこういう音がしてるのかな? でも、してないとしたら? 音が消えたら恐くてしかたないってこと? でも、この感じ。知ってる気がする。真っ暗な繭のなかで瞼を閉じて横になってたときに、静かな雨が降る音を聞いてた感じに似てるのかな? でも駄目だ、戻ろう。今戻らないと出られなくなりそうだし、この音がなくなったら狂っちゃいそうだもん……。だけど、あの音がとても気になる。だんだんわかってきたけど、うまく言葉にできない。えっと……こうかな?

「アレテ テイア モイラ アネウ ヌーパラ ギグネタイ」

 こんな感じかな? もう一回真似てみよっかな。

「アレテー テイアー モイラ アネウ ヌー パラギグネタイ」

 なんかちょっと違うけど、正確に真似るのは無理なんだろうな。

 でも、口にするととっても清々しい感じになるみたい……。木霊のせいかな? でも、これを口にすると肩のボタンの光が強くなるのは事実。そしてその光でわたしは暗闇が平気に思えるし、出口を探しやすい感じがする。だけど変なの。どうしてこんなことが起こるんだろう? あった、出口はあそこだ。けど、よく迷わず戻ってこれたな。下手をしたら永遠に闇のなかを手探りしながら、彷徨い歩いていたかもしれないのに。自分でも自分に驚いちゃう。マザーが危険だって、警告してた意味はとりあえずわかった気がする。というかあの音。何度も口ずさんだから耳にこびり着いちゃったし、頭のなかでまだ、アレテー テイアー モイラ……って鳴り響いてる。まあいいけど。それはそれ。とにかく艦橋に行って航路を再設定しないと、二度とローテに会えなくなっちゃう。でもその前にわたし、マザーにちょっぴり仕返ししたい。だから、"ノルンの座"に寄ってから艦橋に行く。確認したいこともあるんだ。

 右、左。右、左。おいっちに、さんし。にいに、さんし。ああ、もう嫌だなあ。なにも考えずにただ歩きたいだけなのに、言葉が溢れてきて止まらない。しかも、数字を数えはじめると辛いのに……。そういえばローテは『寝てる時がいちばん幸せを感じられてる』って言ってたけど、それってさっきの逆なのかな? でも、寝ててなにも感じてなかったら死んでるのと変わらないでしょ? じゃあ生きてるってなに? 言葉の川に翻弄されつづけるってこと? それに耐えられなくなる前にひとまず寝るってこと? でも、わたしは寝てても夢に魘されてたけど……。まあいいわ。考え事はひとまずここまで。

 いまはなにより時間が貴重なんだ。というか、いま何時? え、嘘でしょ? "ノルンの座"に設置されているデジタル表示の時計を目にして、ヴァイセは身体がきゅっと縮こまる思いだった。随分長いこと船内を歩き回ったはずなのに、ローテが遭難してから五分もたってないってことは、時間の流れが極端に遅くなってるってこと? もしかして、特異点的な時空間にいるってこと? だとしたら、わたしの知ってる相対論の数式なんか航路計算の役に立たないんじゃない? なら、なおさら急がないとだ。

「マザー、訊きたいことがあるの?」

「……」

 あれ? わたしなにしたかったんだっけ? ああそうだ……。

「ローテを助けるために、船を加速させながら追跡するためにエネルギーが必要なの。その方法はわかってるつもり。でも、そうすると、マザーとお別れしなきゃいけないらしい。わたしはそれでいいかなって思うんだけど」

「ヴァイセ。あなたは眠らなければなりません。でないと、いつか壊れてしまいます」

「そんなの関係ない。いまそんな話してないよ。ねえマザー。わたしもう全部わかってるよ。だから狡いことされたの、もう怒ってない。この先恨むこともない。ただ、隠し事されたのが悔しかっただけ。それに、わたしたちマザーの玩具じゃない。そのことをちゃんと話したかっただけ」

「……」

「やっぱり答えてくれないんだ……。ならこの話はどう? わたしこれから"フリッグの座"にいって、残ってるふたつのレバーを下げる予定なんだけど、構わないの? 止めないの? マザーはたぶん死んじゃうよ。それでも平気なの? 本気になればわたしにプラズマとか電磁波を放射して止めれるんじゃないの?」

「……」

「そう、わかったわ」

 ああ、ローテ。わたしどうすればいいの? わかるのよ、マザーの考えてることが。あなただってわかるでしょ? 背中の羽で感じられてるはずだし、わたしたちの話し声も聞こえてるはず。わたしの頭のなかにあるのは、マザーと同じものなんだから。ローテ、あなただってそうなんだよ。ねえ、そういうわたしが、そんな残酷なことできるわけないじゃない……。わたしたちを生んで育ててくれたのはマザーなんだよ。でも……わたし約束したんだもん。助けに行くって。

「マザー、いままでありがとう。我儘を許してね。さようなら」

 ヴァイセはモニターに映った無表情のマザーを、目に焼き付けるようにじっと見つめてから、禁断の間"フリッグの座"へとつづく狭い通路を這い進みはじめた。

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