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#3 Oracle――言霊

 霞んだ宇宙に浮かぶ《イクテュエス・ジュゴン》が見える。ぼんやりした船体の半分は影に覆われ、半分は光に照らされている。あれ、おかしいな? 船外活動はいつもローテだから、わたしは船の外観も知らないのに。でも、なんだか暗くなってきた? 船が見えなくなっちゃう。嫌だよそんなの。ローテと離れ離れになるなんて絶対にいや! そんなの死ぬのと変わらない。誰か助けて! なに? どこからかなにかが聞こえる。あっちだ。双子のブラックホールの方だ。

「時が満ち 暁星(あけぼし)が輝いて月がお前を照らせば、叶えられるだろう」

 ああ、これは夢か……とヴァイセは感じていたが、黒いブラックホールの双眸を見つめながら、お願いだからわたしのローテを奪ったりしないで! と懇願せずにはいられなかった。そのとき、ひどく痛む胸から響く声を耳にした。

「それはお前しだいだ。わたしがどうこうできるものではない。諦めが肝心な時もある」

 嫌よそんなの。諦められるわけないでしょ。いつローテに出会ったか、いつから傍にいたのかすらわからないくらい一緒だったんだし、これからもずっとそうしたいんだから、そんな残酷なこと言わないで! 頼むからわたしがずっとローテといられるって言って。目が痛くて痒いし熱い。だってほら、目頭も目尻も涙でこんなに濡れてる。ねえ、見えるでしょ? あなたにも。ちゃんと見えてちゃんと聞こえてるんでしょ? ああ……これは夢だ……。でも、寒くて身体が震えてるのに凄い汗。気持ち悪い。

「なんだかわからない変な夢。それに、ここ狭くていや」

 ヴァイセは溢れ出たとも、口走ったともいえない声を聞きながら、カプセルの蓋を開けるボタンを押して、真鍮色の天井を目にすると、すぐに半身を起こしてあたりを眺め回した。背中にある羽がローテの生体信号を受信しているのを感じながら。

 ローテはどこ? あれ、もう起きてるんだ。

「どうしたの? そんな顔して。あたしの顔になんかついてる?」

「ついてないよ。変な夢を見ただけ。ねえ、ローテは夢とか見ないの?」

 ヴァイセはカプセルの縁を掴んで立ち上がりながら言った。

「見てると思うよ。変な夢も見てるんだろうけど、起きたときなんにも覚えてないの。いつもすっきりしてるんだよ」

 そんなことってある? と不思議に思いながらヴァイセは床を蹴って、つかつかとローテの傍へと歩み寄った。

「起きてなにしてたの?」

「なになに、また質問攻め? まあいいけど」

 ローテの闊達な口ぶりを耳にしたとたん、ヴァイセは心が落ち着いていくのがわかった。

 ほんと、あたしがいないと昼も夜もないんだから。それがわかってるから、どこへもいかないでここで航路計算して暇つぶししてたのに、わかんないのかなあ? 鈍感てわけじゃないけど、ヴァイセって慌てん坊で寂しがり屋なんだよね。

「でもさ、この計算、間違ってるよ」

「なに、こんどは急に仕事モードになって。ほんとあんたといると退屈しないね」

「ねえローテ、わたしたちどれくらい寝てた?」

 "ノルンの座"にある、デジタル表示の時計に目を向けたローテは、驚きながらすっとんきょうに言った。

「一分五十八秒 !? 嘘でしょ?」

 ヴァイセは込み上げてくる笑いを堪えるのがやっとだった。

「ローテは船外活動をやらせると、誰にも負けないけど。算数だけは苦手なんだから面白い。あのね、この計算なに使ってやったの? ニュートン力学でしょ?」

「そうだよ。だってそれでいいでしょ?」

「いいわけないじゃない。通常の宙域ならまだしも、ブラックホールで時空が歪んでるんだから、一般相対性理論を使わないとでしょ。だから、ここはこうでこうなるから、こうなんだよ」

「イッパンソウタイセイリロンねえ……」

 なんでかわからないけど、ヴァイセがこうやって物事に打ち込んでるのを見てるの、好きなんだよね。話を聞いてても、右から左へ抜けていくだけなんだけど、真剣な眼差しや話し方、両手をあっちこっちに動かしたりするのが、またいいんだ。説明を聞いてないのがバレないように、相槌を打つタイミングが難しいけど。でも、船外に出て恐ろしくなったとき、それを思い出すだけで冷静になれる気がするんだよね。というか、船内の時計だと一分五十八秒しかたってないけど、もうL4に着いてるってこと?

「だからね、さっさと準備しないとならないのよ。ローテからすればちっとも寝た気がしないだろうけど」

「大丈夫だよ。さっきいったとおり、すっきりしてるから。で、今回はどのハッチから出てどのハッチに戻る計画なの?」

 なにこれ? いつもと全然違う。普段どおりなら、マザーは"サリルス"から出て"サリルス"に戻れって指示するのに、今回は違うんだ。"スカイア"から出て"ヤヌス"に戻れって……。なににしても、急がないと予定通りに行かない。

「ねえローテ、起きたばかりで急だけど、えっとね――」

 うん、今度はなにを言ってるかわかる。実務的なことだし、なにしろヴァイセは説明が上手いから。でも、開かずの扉のヤヌスに戻れっていうのは、なんとなく縁起が良くない気がする……。まあでもあたしが出来ることはヴァイセを信じることだけだし。

「わかった。じゃあさっさと宇宙服に着替えるね。また繭のなかってわけだけど」

「わたし、マザーの立てた船外活動の計画を把握するのに、ちょっと時間がかかると思う。だから、艦橋に着くのがいつもより遅れるけど、それで大丈夫かな?」

 ヴァイセは胸の奥で不安が渦巻くのに気づきながら言った。

「それはあたしも同じだろうね。"スカイア"はいつもより遠いもん。どっちにしてもあたしは取り敢えず着替えるよ」

「うん、わかった」

 さすがに少ししんどいな。時計を見なければゆっくり休めた感じはあったんだろうけど。でも、一分五十八秒しか寝てなかったと思うとしんどい。それでまたあの黒い宇宙服だからなと、ローテは胸の中でぶつぶついいながらカプセルに身を横たえて蓋を閉めると、瞼を下ろして宇宙服が装着されていくのを待った。

「うん、大体これでいいかな」

 もうローテはハッチに向かったのね。なんだか慌ただしいな。わたしも早く艦橋に行かなきゃ。黒い宇宙服は嫌いだけど、いつもみたいに、じゃああとでって言えなかったのが、なんだかね……。

 それにしてもこの船は変わってる。船内の構造や設備はみんな直線的なアール・デコ調。でも真鍮色の統一感が妙に落ち着く。配管や配線なんだろうけど、いたるところに装飾みたいなモールドが入ってるのも心慰められる原因かな? でも、気密室だけは違う。薄暗い薄明。もっとも、急に真っ暗な宇宙に飛び出すと感覚がおかしくなるから、そういう設計なんだろうけど。でも、やっぱり苦手。何度も宇宙に出てると暗闇のほうが落ち着いたりもするんだけど……。それにしても遅いな。まだヴァイセは艦橋に着いてないのかな? ハッチはもう開いてて表示板にはマザーからのゴーサインも出てる。どっちの指示に従えばいいんだろ? もうこれで三度目だ。さすがに指示に従ったほうがいいのかな? 宇宙服のなかに背中の羽が仕舞われてたって、ヴァイセの生体信号は感じられるんだけど、声で誘導してもらえないと恐いんだよね。ああ、またゴーサインだ。マザーはなにを焦ってるんだろ? 仕方ない、行くかとローテは独り言ちてから、二対二組で四本の命綱が腰の後ろに繋がれているのを確認しなおして、漆黒の海へ跳躍しようと灰色の床を踵で蹴った。

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