#10 Creation ――糸車
「よっし! これで時計の設計は大体いいかな。あとは実際に作ってみないと、なんともいえない……」
でも、これを作るためには"ノルンの座"にいかないとだ。けど、今はここを離れられない。モニターにいつローテが映るかわからないからと、胸中で囁いて、ヴァイセは艦橋にある一番大きな主モニターを仰ぎ見た。そこには、以前と変わることなく、露に濡れた真珠の柱頭が白光を放つ、赤いハイビスカスの花が咲いているのが見えたが、ローテらしき人影は見えなかった。すべてがあの白いμに集まっていくなら、ローテは黒い宇宙服だから点みたいに小さくても、すぐに気づくはずなんだけど、まだ見えない。背中のびりびりは相変わらず途切れたままだから、モニターを見つめていると不安になる。胸がざわざわしちゃう。気のせいではないと思うけど、μがだんだん大きくなってるってことは、船は順調に加速してるんだろうけど、なにかして気を紛らわせていないと、ざわざわだけでなく、きゅうっと心臓が痛くなっちゃう……。さてどうしようかな? そうだ、"フリッグの座"を封印する方法を考えよう。そんなことはないと思うけど、もしも今の前向きなわたしの気持ちが変わってしまって、レバーを元に戻したくなることだって、ないとはいえないものね。だってわたし、意外と弱虫だからと、ヴァイセは自らを軽く嘲笑した。"フリッグの座"に錠前を設けたとしても、わたしが鍵を持っていたら意味がない。だってそれだと、わたし、いつでも開けられるから……。ああそうか、だったらローテと一個ずつ持つようにして、二人で鍵を回さないと開かない施錠機構にすればいいんだ。それで、そのことをローテにもちゃんと話してわかってもらうの。協力しあうのよ。うふふ、ものを作ることを考えるのって楽しいな。でも、ローテがいたらもっと楽しいし、いい発想ができそうよね。喧々諤々したり仲違いしながら、とってもいい案を二人で見つけ出せると思う。しかし、そうは脳裏で呟いてみても、胸のざわざわや、ときどき心臓を摘まれるような痛みが消えてなくなる様子はなく、ヴァイセはしばし頭と手を休めてはモニターを注視するのだった。
「真珠がどんどん大きくなってるけど、まだなにも見えない。あれ? でも感じる。背中がびりびりしはじめた! この感じは間違いなくローテだ! どこ? どこなの?」
まるで憑かれたようにモニター画面に吸い込まれていったヴァイセは、無意識に椅子を立って、微かに揺らめくとも瞬いているともいいがたい、小さな黒い点を目にしてじっと見つめると、途端にそわそわしはじめた。でも、このままの進路じゃいけない。どこの収容ハッチとも位置関係が悪くて、通り過ぎちゃうかもしれない。ええっと、ローテとの相対位置はどうやって計算すればいいかな? 時空の理論的補正は必要だから……違うそうじゃない。現在位置じゃないよ、未来位置を予測計算してっていってるの! 思わず力の入った拳が操作盤に振り下ろされる音がした。だから違うんだってば。過去でも現在でもないの、未来位置を知りたいのよ、役立たずの人工知能の馬鹿! ヴァイセは航路計算機を駆使して、ローテを救助できる最適なコースと収容ハッチを探し出そうと、悪戦苦闘しはじめたが、どういうわけか計算機はうまく働かなかった。
「もういいわ、自分で計算する」
痺れを切らしたヴァイセはキー操作を止めると、タブレット画面に指を走らせ、複雑な数式を書きはじめた。こうなってこうだからこうでしょ、それでこうだから、これでいいはず。ということは、少し操船しないとだし、ハッチにある船外クレーンも操作がいる。わたしにできるかな? いつもどおり自信なんてないけど、やるしかない!
「急がなきゃ! もうローテの赤い髪が見えてきた」
ああ、なんてこと……。遭難したときに零した銀色の涙が、いまも星みたいに光ってるなんて。胸を締め付けられるような、破裂しそうな感覚に喘ぎながら、ヴァイセは操縦装置を前にして椅子に座ると、自動航行を解除して、制御卓にある二本の操縦桿をしっかり握り締め、モニターを見ては計器に目を走らせながら、船をローテに近寄せていった。これでコースはいいはず。つぎはクレーンよ。
「収容ハッチは計算どおり、"ヤヌス"でいけそうね」
だけどわたし、クレーンなんて一度も操作したことないけど、大丈夫かな? でもやるしかない。とにかく、落ち着いてやればいいのよ。首の座っていない赤ちゃんを抱くようにね。でなかったら、近くで遊んでるなと思ってふと見たら、マシュマロみたいに柔らかい身体をくねらせて、ありえないような格好で寝ている赤ちゃんを、そっと抱き上げて揺り籠の寝床に運ぶようにすればいいの。でも、わたし赤ちゃん育てたことない……。いいのいいの、そんなこと気にしないでいいの。だってマザーがよく言ってたじゃない。『想像することが大事ですよ』って。そう、未来位置を想像して、今ここでクレーンの操縦桿を動かすのよ。余計なことや過去はひとまず脇において振り払っておくの。
「落ち着いて、落ち着いて……。あ! わたしハッチを開けてない! えっと、"ヤヌス"のはこれね」
ヴァイセはすぐさま目的のボタンを押しながら、ハッチが開いていき、濃緑色の内部が見えはじめるのをモニターで確認すると、今では主モニターに大きく映っている、ローテだとはっきりわかる人影の映像を見ながら、クレーンの操縦桿を小刻みに動かしはじめた。もう少し右。それにもうちょっと上。違うそっちじゃない、あっちだってば、駄目だよ行き過ぎだってば、もうちょっとこっちなのに……。ああもう、四本のレバーを同時に動かすのって、なんて難しいの。頭の中がごちゃごちゃになっちゃう。えっと、とりあえず二本で先にローテを掴むほうがいいのかな? でもそれだと不安定だけど、まずは確保するのが先よね? よっし、上手くいった。でも待って。切れたまま繋がってる命綱が危ないんじゃない? 下手にこれ以上動かしてローテに当たったら元も子もないから、先に命綱を外したほうがいい。カッターの付いてるアームはこれだ。お願い! お願いだから、暴れ出したりしないでね。
「ようし、うまくいった。あとはアームを同期させながら、ハッチに回収すればいいだけ」
でも、最後まで気を抜いちゃ駄目! 慌てないこと!
「落ち着いて、落ち着いて」
なにかあったら無理せずに掴める位置に、予備のアームを移動して。さあ行くわよ! 最後の仕上げよ。息を吸ってー、吐いてー、止めてー、今だ!
ヴァイセはロボットアームに掴まれたローテが、濃緑色のハッチの中に運ばれていくのを、緊張と興奮と不安と喜びの混じりあった感情に押し包まれながらモニターを見つめて、あとはハッチが完全に閉まれば合格じゃないかな? と独り言ちた。モニターの映像が暗くなってきたから、もうすぐ締まり切る。そうしたら、ローテに会いに行こう。でも、手当が必要なのは確かだ。ということは、"ノルンの座"に連れて行かないと……。でも、わたしがマザーにあんなことをしちゃったから、ローテの面倒を見てもらえないかもしれない。マザーの機能も低下してるんだろうし……。だとしたら、レバーをもとに戻せばいいんだろうけど、そうするとわたしたちまたマザーの玩具にされるんじゃないかな? 一難去ってまた一難。せっかく翳りが去ったと思ったのに……。あれ? なんか艦橋が暗くなってきたみたいだけど、どういうこと? 勘違いなんかじゃない。わたしの感覚はおかしくない。だって、ローテが傍にいることで、背中のびりびりがとっても心地いいし、肩のボタンだって強く光り出してるもん。視覚だけおかしいなんてことはないはずよ。じゃあなんで暗く感じるの? あ……赤い花が萎んでいく。なんで? どうして? ローテをちゃんと助けたじゃない。なのにどうして萎んじゃうのよ! そんなのおかしいよ。止めてよこれ以上わたしを苦しめるのは。ちゃんと試練を乗り越えたじゃない。そんなのって……ないよ。それにどんどん音が聞こえなくなっていく……。するのはわたしが頭のなかでしている思考だけ。ほら、床を蹴っても操作盤を叩いてもほとんど音がしない。わたしきっと死ぬんだ……。あの機関室の暗闇から音が消えて無くなった、恐ろしい真の暗黒の世界に行くんだ……。でも、想像してたのと違う。穏やかに夢も見ないで眠りに落ちるだけじゃないの? 調和ってそういうものじゃないの? 酷い、酷すぎるよ。だったらわたし、ローテの傍で死にたい。それに、今ならなんとか間に合いそう。完全に音が消えるまでに"ヤヌス"に辿り着けるはず。わたしそうしたい。一瞬だって迷ってなんかはいられない激情に駆られて、ヴァイセは艦橋にある非常用ライトを鷲掴みにするなり、艦橋を駆け出した。




