第五章 ~『面談とお断り』~
王宮には、用途に応じていくつもの面会室が用意されている。
他国の来賓を迎えるための豪奢な部屋もあれば、貴族同士の歓談に使われる華やかな部屋もある。
その中で、アリアが案内されたのは、余計な装飾を省いた実務向けの一室だった。磨かれた長卓を挟んで二つの椅子が向かい合っている。
窓から差し込む午後の光は柔らかいが、扉の外に護衛が控えているおかげで、室内の空気は緊張感に包まれていた。
「紅茶をお持ちしました」
ミアが銀盆を手にして入ってくる。
彼女はいつも通り隙のない礼を取り、アリアの前に紅茶を置いたあと、カイルの前にも同じようにカップを並べた。所作は丁寧で、声にも乱れはない。だが、カイルへ向ける目だけは細められていた。
「……ありがとう」
カイルが礼を言うと、ミアは一礼だけを返した。
「何かございましたら、お呼びくださいませ」
その言葉はアリアへ向けられたもので、カイルに対するものではなかった。
ミアは最後にもう一度アリアの様子を確かめるように視線を残し、それから音を立てずに部屋を出ていく。
扉が閉じられると、面会室には紅茶の香りと、向かい合う二人の沈黙だけが残った。
アリアは、改めてカイルを見る。
身なりは整っていた。髪も乱れておらず、礼服にも皺はない。グランツ家の子息として、人前に出るための体裁は保たれている。
だが、以前のような余裕はなかった。
かつてのカイルは、いつも自分が正しいと信じている顔をしていた。セレーネを優先する時も、アリアを待たせる時も、それが当然だと疑わないまま言葉を重ねていた。
だが今、目の前の彼は違う。
頬は少し痩せ、目元には疲れが滲んでいる。椅子に座る姿勢も整えてはいるが、指先は落ち着きなく膝の上で組み直されている。
「アリア、今日は会ってくれてありがとう」
「面会願いを受けただけです。お話があるのでしょう?」
アリアがそう促すと、カイルは唇を引き結び、椅子から立ち上がった。
そして、深く頭を下げる。
「アリア、僕が悪かった。君を何度も後回しにした。セレーネのことばかり見て、君の気持ちを考えていなかった」
「…………」
アリアは黙って耳を傾ける。
謝罪の言葉は、間違っていない。だが、その言葉はなぜか軽く感じられた。カイルは顔を上げると、焦るように言葉を重ねる。
「今度こそ、君を優先する。もう二度と、君を待たせたりしない。だから、もう一度だけ、僕に機会を与えてほしい」
「カイル様」
「な、なんだい?」
「なぜ今、私に会いに来たのですか?」
「君を失って、ようやく分かったんだ。僕にとって、君がどれほど大切な人だったのかをね」
カイルはすぐに答えた。
迷いなく出てきたその言葉に、アリアは少しだけ目を伏せる。おそらく、ここへ来る前から用意していた答えなのだろう。
「では、私の何を大切だと思ったのですか?」
「それは……君がいつも、僕を支えてくれていたことだ。君がいなくなって、ようやくそのありがたさに気づいたんだ」
「そうですか……」
「アリア、僕は本当に――」
「カイル様、もう結構です」
アリアはそこで、カイルの言葉を止めた。
声を荒らしたわけではない。けれど、会話を続ける気がないことだけは、はっきりと伝わる口調だった。
「私が欲しかったのは、今さらの優先ではありません。約束を軽んじない誠実さでした」
「だから、それを今度こそ守ると言っているんだ!」
彼は一歩前へ出かけたが、ここが王宮の面会室であることを思い出したのか、椅子の横で踏みとどまった。
「私を、都合よく扱いすぎです」
「反省しているよ。でも、僕は本当に君を取り戻したいんだ!」
アリアはその言葉を心の中で反芻する。そして、膝の上で重ねていた手をほどいた。
「私は物ではありません。失ったから拾い直せるものでもありません」
「アリア……」
カイルの唇が動くが、声にはならない。アリアが立ち上がると、椅子が床を擦る音がした。
「お帰りください」
「待ってくれ。話はまだ……」
「これ以上、お話しすることはありません」
アリアの声は穏やかだった。
だからこそ、そこに入り込む余地がないことを、カイルも悟ったのだろう。彼は何かを言いかけて、扉の方へ視線を向けた。
ここは王宮の面会室だ。扉の外には護衛がいる。声を荒らし、縋りつき、取り乱すことはできない。
カイルは拳を握りしめて、深く息を吐いた。
「……今日は、帰る」
「はい」
「でも、僕は諦めない。君に分かってもらえるまで……」
やがて、彼はぎこちなく礼を取り、扉へ向かう。開かれた扉の向こうで、控えていた護衛が一歩身を引いた。
去っていく背中を見ても、アリアの胸は痛まなかった。面会室に残された紅茶は、もう湯気を失っていたのだった。




