幕間 ~『大神官たちとカイル・グランツ』~
セレーネを控室へ残した後、オズワルドは王都神殿の奥にある会議室へ向かった。
白い石壁に囲まれたその部屋は、普段であれば神殿の方針を決めるための厳かな空間である。
だが今、長い机を囲む大神官たちの顔に浮かんでいるのは、威厳ではなく焦りだった。
「エーゼン公爵が、あそこまでアリア・フォードを評価するとは……」
「貴族代表として支持すると、ほとんど明言したようなものです」
「オズワルド大神官長が猶予を求めたおかげで、その場で結論こそ出ませんでしたが……」
言葉を続けなくとも、この場にいる者たちは理解していた。猶予とは名ばかりで、実際には時間稼ぎにすぎない。
期限内にアリアを否定するだけの材料を出せなければ、エーゼン公爵は彼女を聖女として支持する。
そして、公爵が支持すれば、貴族社会の流れは一気にアリアへ傾く。
「もう、セレーネ様では無理です」
つい先ほどまで、神殿はセレーネを初代聖女の血筋として祭り上げ、貴族たちの前へ立たせていた。
だが公爵を救えなかった彼女に、もはや看板としての価値は残っていない。
「分かっている」
上座に腰を下ろしたオズワルドが答える。その声が響くと、ざわめいていた大神官たちは一斉に口を閉ざした。
「儂とて、あれを再び表舞台に立たせられるとは思っておらぬ」
オズワルドの声に、会議室の空気が重く沈む。
公開審査でセレーネは敗れた。初代聖女の血筋という看板も、エーゼン公爵を救えなかった事実の前では力を失っている。今さら彼女を担ぎ上げたところで、貴族たちが再び信じるとは思えない。
だが、それでも神殿には時間がなかった。
「ですが、何もしなければ、アリア・フォードが正式な聖女として認められてしまいます!」
「暗黒街の件で民衆の支持を得て、公開審査で貴族の支持まで得たとなれば……」
「神殿が異を唱えたところで、聞き入れられますまい」
大神官たちの声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
彼らが恐れているのは、王国の未来ではない。アリアが聖女となり、自分たちの地位と権力に手を伸ばしてくることだった。
そんな中、沈黙を破るように、一人の大神官が身を乗り出す。
「オズワルド大神官長。こうなれば、アリア・フォードを懐柔するのはいかがでしょう」
「懐柔だと?」
「はい。たとえば、神殿から特別な名誉を与えるのです。あるいは、金銭や地位を用意するという手もあります。神殿と対立するより協力した方が得だと示せば――」
「それほど単純なら苦労はせぬ」
オズワルドは、最後まで聞く前に切り捨てた。
「アリア・フォードは、名誉や金で動く娘ではない。あの娘は、地位が欲しくて暗黒街へ向かったのでも、称賛が欲しくて、エーゼン公爵を救ったのでもない」
「では、何のために……」
「目の前の者を救うためだ」
それこそが、神殿にとって一番厄介な点だった。欲で縛れない者ほど、扱いにくい駒はない。
「では、打つ手がないということですか……」
「いや、ある。聖女としてではなく、貴族の令嬢として揺さぶればいい」
「令嬢として……ですか?」
困惑した声が漏れる。オズワルドは、その反応を予想していたのか、薄く口元を歪めた。
「アリア・フォードは、フォード伯爵家の令嬢だ。そして、つい最近まで婚約者がいた」
「婚約者……ああ、グランツ家の……」
「カイルという騎士の男だ」
その名が出た瞬間、大神官たちの間に理解の色が広がり始める。
カイル・グランツ。
セレーネの義兄であり、アリアの元婚約者。聖女認定式の日、セレーネの嘘を見抜けず、アリアを軽んじたことで護衛任務から外された男だ。
「ですが、カイル・グランツは王家からの処分を受けている最中では?」
「だからこそ使える。地位を失いかけた男ほど、差し出された手に縋るものだ。騎士としての復帰に神殿が口添えすると言えば、耳を貸すだろう」
「なるほど。アリア・フォードと復縁させるのですな」
大神官の一人が納得したように頷くと、別の大神官が慎重に口を開いた。
「ですが、仮に復縁できたとして、それで本当にアリア・フォードを止められるのでしょうか。あの娘は、王家推薦の聖女候補です。元婚約者と寄りを戻した程度で、聖女の道を諦めるとは……」
「復縁が成れば、カイル・グランツはいずれ夫となる。その夫が、聖女の務めは危険すぎるから家を支えて欲しいと願えば、令嬢として揺らぐ余地はある。少なくとも、王家から距離を置かせる口実にはなる」
「それでも従わなかった場合は?」
「その時は、神殿への恩を利用する」
大神官たちは、互いに顔を見合わせた。オズワルドは彼らの反応を待たず、説明を続ける。
「カイルを神殿の口添えで救った形にする。騎士としての復帰、あるいは神殿付き護衛としての再登用でもよい。どちらにせよ、あの男は神殿に借りを作ることになる」
「つまり、カイルを通じてアリア・フォードを動かすと……」
「そうだ。夫が神殿の恩を受けていれば、アリア・フォードも無関係ではいられまい。身内の恩人に対し、表立って刃向かうことは難しいからな」
それはアリアを直接縛る策ではない。令嬢として、そして未来の妻として、カイルを経由して彼女に鎖をかけるための罠だった。
「カイル・グランツは、今どこにいる?」
オズワルドが問うと、控えていた神官が一歩前へ出た。
「護衛任務を外されて以降、騎士団での立場はかなり悪くなっております。正式な処分はまだ下されておりませんが、周囲からの目は冷たく、最近はグランツ家の屋敷にこもりがちだとか」
「家の者たちは?」
「セレーネ様の件もあり、グランツ家の空気は険悪なようです。カイル殿も、屋敷の中で肩身の狭い思いをしていると聞いております」
神官はそこで一度言葉を切り、オズワルドの顔色を窺った。
「使者を送りますか?」
「いや、儂が会う」
「オズワルド大神官長自らですか?」
「その方が恩を売れる。落ち目の騎士にとって、大神官長が直々に手を差し伸べたという事実は重い」
オズワルドは席を立った。必要な男の名を胸の内で確かめながら、オズワルドは会議室を後にするのだった。




