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第一章 ~『聖女の認定式の始まりと失敗』~


 翌日、王都の神殿には、朝から多くの参列者が集まっていた。


 祭壇へ続く白い石畳の両脇には、神官、貴族、騎士たちが並んでいる。認定のために行われる祈りは、王都結界の定期更新も兼ねていた。その瞬間を見届けるために、王族席も用意されている。


 アリアがこの場に招待された表向きの名目は、いずれ親族になる予定だったセレーネの晴れ舞台を祝うためだ。


 だが、昨夜、アリアはカイルとの婚約を白紙に戻している。


 だから、本来ならこの場に来る必要もなかった。けれど、式の前に神殿へ欠席の連絡を入れれば、かえって余計な騒ぎになる。アリアはそう判断し、いつも通り神殿へ足を運んだ。


 ただし、いつも通りにするのは、ここまでだ。


「アリア様、こちらへ」


 若い神官に促され、アリアは祭壇脇へ向かった。


 そこには、いつもの補佐席がある。


 聖なる祈りで国の結界を守護するのが聖女の役目だ。


 結界は、外から侵入しようとする魔物を退け、街へ流れ込む瘴気を浄化している。弱まれば、王都の外縁から魔物や瘴気が入り込み、多くの住民が危険に晒されることになる。


 その重責を支えるため、祭壇の周囲には複数の補佐席が設けられていた。すでに三名の補助役がそれぞれの席に座り、魔石へ手を添えている。


 その中でも、聖女候補が立つ祭壇に最も近い席が、これまでアリアに用意されてきた席だった。


 だが、今日のアリアは腰を下ろさない。すでに席についていた補助役たちが、不思議そうにアリアへ目を向けるが、彼女は補佐席の前で足を止め、案内してくれた神官を見る。


「本日は、補佐に入りません」

「アリア様、冗談はやめてください」

「冗談ではありません」


 その言葉に、近くにいた神官たちが顔を上げる。


「私は本日、聖女認定式に招かれた客人の一人です。補佐役として働くために来たわけではありません」

「ですが、アリア様にはこれまで何度も……」

「ええ。手伝ってまいりました。けれど、それは正式な役目ではなく、私の善意です」


 若い神官が言葉に詰まる。


 実際、神殿から届いた招待状にも、補佐役としての記載はなかった。名目はあくまで、聖女認定式に参列する客人である。


 もちろん、神殿側がアリアに補佐を期待していたことは分かっている。だが、補佐役としての辞令を受けたことはなく、契約を交わしたことも、報酬を受け取ったこともない。


 これまでアリアは、カイルの義理の妹であり、いずれ自分にとって家族になる相手だと思って、善意でその席に座っていただけなのだ。


 祭壇の奥では、護衛の騎士としてカイルが控えている。白銀の儀礼鎧をまとった彼は、異変を感じ取ったのか、眉を寄せて歩み寄ってきた。


「アリア。何を騒いでいる?」

「私は補佐に入らないとお伝えしました」

「昨日のことを怒っているのか?」


 カイルの声には、困惑よりも咎める響きが込められていた。


「今日はセレーネの大切な聖女認定式だ。私的な感情を持ち込む場ではない」

「知っていますよ。ですが、私は、正式な辞令を受けておりません」

「……どういうことだ?」

「補佐役として任命された覚えも、契約を交わした覚えも、報酬を受け取った覚えもありません。ただカイル様の義理の妹であり、いずれ私にとって家族になる方だと思っていたから、善意でこの席に座っていただけです」


 つまり婚約を白紙に戻した以上、セレーネを支える理由もなくなった。そう伝えると、周囲の神官たちが顔を見合わせる。


「カイル殿、もうよいではありませんか」

「神官長殿……」

「アリア様には何度も補佐をお願いしておりましたが、すでに神殿の補助役が三名控えております。一人欠けたところで、式に支障は出ますまい」


 その言葉に、カイルは少しだけ肩の力を抜いた。


「それもそうか……君一人が意地を張ったところで、認定式は進む」

「では、問題ありませんね」


 アリアは補佐席から一歩離れる。


 その動きを、王族席から一人の青年が見ていた。


 第二王子レナード。


 深い紺の礼服をまとった彼は、他の参列者のように祭壇を眺めてはいなかった。視線の先にあるのは、空いたままの補佐席だ。


 レナードは以前から、セレーネの祈りに違和感を抱いていた。


 聖女候補の華やかな祈りより、その背後で流れる魔力の方が、結界を動かしているように感じていたのだ。


 そして今、その席にアリアが座っていない。


 周囲が式の始まりに気を取られる中、レナードだけが彼女の横顔を見つめている。


 やがて、神殿の奥の扉が開く。


 白銀の聖衣をまとったセレーネが、神官たちに導かれて入場した。淡い金髪を結い上げ、胸元に聖杖を抱いた姿に、参列者たちから期待のざわめきが広がる。


 セレーネは祭壇へ向かう途中で、補佐席が空いていることに気づいたのか、一瞬だけ足を止める。


 だが、すぐに冷静さを取り戻し、参列者へ向けて清らかな表情を作る。セレーネは祭壇の中央に進むと、胸に抱いていた聖杖を掲げた。


「天にまします我らが神よ。この国に祝福を」


 セレーネの声が神殿に響くと、祈りに合わせて、祭壇を囲む三名の補助役が魔石へ魔力を流し始める。


 それぞれの魔石には淡い光が宿ったが、空いたままの補佐席だけは、何の反応も示さない。


 いつもなら、この瞬間にアリアが補佐席から魔力を流し込んでいた。


 だが、今日は違う。


 アリアは何もしなかった。


「王都を覆いし結界に――」


 セレーネが祈りの言葉を重ねると、聖杖の先から淡い光が放たれる。


 補助役たちの魔石も光を増したが、祭壇へ届く魔力は弱い。カイルはそれに気づかず、セレーネの傍で誇らしげに顎を上げていた。


 だが次の瞬間、聖杖の光が弾けるように消えた。


「……え?」


 参列者たちは顔を見合わせる。問題が起きたのは誰の目からも明らかだった。


「セレーネ様、もう一度、お願いいたします」

「は、はい」


 セレーネは聖杖を握り直し、指先が白くなるほど力を入れる。


「我らが祈りに応え、王都を守りたまえ」


 今度は、光すら生まれなかった。


「まさか、失敗したのか?」

「こんなことは初めてだ」

「聖女認定の場だ。プレッシャーのせいかもしれん……」


 ざわめきが広がる。


 だがセレーネの聖杖に光は戻らない。彼女は参列者に背を向けないぎりぎりの角度でアリアを見た。


 助けなさいと、声には出さないが、目が訴えていた。


 だがアリアは動じない。


 セレーネの視線を受けても、補佐席には戻らない。ただ柱の脇に立ったまま、セレーネを見つめていた。



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