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5話 当主としての姿

 モニカは婚約者としてシリウスの屋敷に迎えられた。イーデン公爵家の使用人は思ったより数が少ないようで、主要の使用人は片手くらいの人数しかいなかった。だがみんな優しそうで、すぐ馴染める雰囲気を感じた。


 それから二週間後。


「モニカちゃん、次こっち!」

「はい!」


 モニカは使用人の制服姿で屋敷を走り回っていた。




「ほんと、モニカちゃんが来てくれて助かったわ……」


 休憩室で一人の女性が肩をぐりぐり回している。紫の色の髪を一つにまとめているゾーイは、大きな息を吐きながら感謝の言葉を述べていた。


「ゾーイさんすごいですね。大きなシーツをあんなにたくさん運べるなんて」


 使用人の仕事はシーツやタオルを洗ったり、屋敷を掃除することが主だという。屋敷内はかなり広く部屋数も多い。洗う物は毎日大量で、かなり体力を使う。それでもゾーイはてきぱきと動いては洗濯物を大量に運んでいた。


「まぁ慣れよ慣れ。モニカちゃんは若いわね。まだまだ元気そうだし」


 こっちは年々体にガタがくるわ、と嘆いている。

 そのまま机に突っ伏していた。


「今でもぎりぎり回るけど、使用人増やしてほしいわ……。でもこればっかりはシスの問題じゃないのよね……」


 シス、というのはシリウスの愛称らしい。


 ゾーイはシリウスより年齢が少し上。元々イーデン公爵家に仕えている使用人の親戚で、伝手でこの屋敷で働くようになったらしい。「まぁあの子の姉みたいなもんよ」と最初の自己紹介で話してくれた。


「使用人をあまり雇っていないのは、シリウス様に近付きたい女性が多いからでしたよね?」

「そ。まぁ優良物件なんでしょうね」


 募集をしてもシリウス目当てで使用人になりたい女性が多いらしく、信頼に至らないという。大丈夫だと思い採用してみても、シリウスに襲い掛かろうとする者もいたとか。男性も男性で、シリウスの美貌に惹かれる者がいたり、野心で金目のものを盗もうとする者もいたり。選ぶのもなかなか苦労しているようだ。


 現在はシリウスに一切興味がない、または既婚者、シリウス相手でも物怖じせず意見が言える人を積極的に採用しているらしい。とはいえ数は多くない。信用に足る人間かどうか、かなり吟味し、育てている。


 ゾーイは既婚者で、夫は病気で亡くしたようだ。子供を育てるためにここで働いている。夫のことが今も大好きで、他の男性に目もくれない。普段から本音を話す辺りも信頼されているようだ。


「婚約者を連れてくると聞いて私達はそれはそれは喜んだわけ。あいつに女性の影があれば、他の女性達も諦めてくれたりするし」


 モニカを見てにやっとする。


「にしても驚いたわ。まさかモニカちゃんが働きたいって言うなんて」

「だって暇ですし……」


 屋敷に来て三日経った頃にはモニカは根を上げた。なぜならやることがない。とりあえず屋敷にいればいいとだけ言われ、後はお茶を飲むかお菓子を食べるか庭を散歩するか食事をするかのみ。


 食事はシリウスと共に食べるかと思いきや仕事が忙しいのか会えず。屋敷に来た初日以外、一向に顔を合わせていない。屋敷にいたところで側にもいられないじゃないか。元々モニカは働き者だったこともあり、じっとする方が性に合わない。だからシリウスに働かせてほしいと頼んだのだ。


「シスもよく許したわねぇ」

「渋々って感じでした」


 三日目の夜には部屋の扉の前でシリウスの帰りを待っていた。深夜だったこともあり、扉の前を陣取ったモニカに彼は若干引いていたものだ。最初は却下されたがモニカは一切引かず、扉の前もどかず、シリウスは疲れていたのもあるのか、とりあえず許可してくれた。


「人手は多い方が助かるわ。モニカちゃんは仕事を覚えるのが早いし、いつも笑顔で接してくれるし、なんだか元気をもらえるのよね。シスもこんな可愛い子とどこで出会ったのかしら」

「あはは……」


 実は記憶喪失であることは一旦伏せている。シリウスから言われたのだ。屋敷の者達に細かいことを聞かれるのは嫌なのか、黙っておけと。確かに記憶喪失なのに嫁に来たなんて言ったら、戸惑わせてしまう。ここは話題をさりげなく変える。


「ゾーイさんから見たシリウス様って、どんな人ですか?」


 すると「うーん」と相手は頭を捻る。


「そうねぇ……ちょっと可哀想な奴よね」

「可哀想?」

「元々公爵家の当主になるつもりはなかったもの」

「そうなんですか?」

「あ、昔の話は聞いてない?」

「はい」

「昔の話は直接あいつから聞いた方がいいわね。でもこれだけは伝えておくわ。あいつは好きで当主になったわけじゃないし、でも当主としての仕事は果たしてる。その証拠に、目の下の隈、かなりひどいでしょ?」

「あれって、仕事が忙しいからですか?」

「それもあるけど、不眠症なの」


(そうなんだ……)


 最初に見た時から気になっていた。


 当主になってからずっと眠れていないらしい。寝ても夢見が悪いのか、うなされてばかりのようだ。だから毎日眠らず、仕事をしているという。大体は昼間に、いつの間にか寝てしまっていることが多いとか。今のところ体に害はないようだが、使用人達は時間の問題だと思っているようだ。


「ほんとは寝てほしいけど、毎日悪夢を見るなら眠りたくもないわよね。あ、あとあいつ、不愛想でえらそうでしょ」

「は、はい」


 返事をしていいのか迷いつつも、頷いてしまう。

 するとおかしそうに笑われた。


「最初は愛想よくしてたのよあいつも。でも余計にモテるから一切やめたの。あと、あえて人に嫌われるような言動にしてるみたい」

「え。どうして」


 そんな寂しいことを言うのだろう。


 モニカからすると耐えられない。人が好きだから人と関わりたい。話したい。嫌われたくはない。相手が喜んでくれることをしたい。だがシリウスは、真逆のことをしている。理解できない。


「前に聞いた時は『いつ死んでもいいように』なんて言ってたわね」

「え……?」


 いつの間にかゾーイは真顔になっていた。

 と思えば、にこっと笑われた。


「なんちゃって」

「え?」

「まだ屋敷に来て短いでしょ? シスがどういう人なのかは、自分の目で見て判断したらいいと思うわ」

「で、でも」


 気になるところで話が終わってしまった。最後の話は嘘なのか本当なのか、知りたい。そういう思いでおずおずゾーイの目を見るが、知らん顔をされる。


「そうねぇ。まぁなんていうか、あいつもあいつでけっこう苦労してんのよ」

「……」

「だからモニカちゃん。あいつの心配してやって」

「?」

「あいつはああ見えて責任感も強いし面倒見もいいの。でも自分を大切にすることは……下手なの。だからモニカちゃん、見張ってくれない? 無茶しないように。これは、私からっていうより、私達のお願い」


 ゾーイの眉が少し下がっていた。


 ここに来て二週間余りだが、屋敷で働く人達とはそれなりに交流している。この屋敷で一番年長者である侍女長のメイジーは穏やかな佇まいをした女性で、この屋敷の歴史を教えてくれた。セバスチャンと同世代であろうダニー執事長はいつも品があり、作法を優しく教えてくれる。いつも大きな声で笑う料理人のリュウは、シリウスの好物を教えてくれた。


 皆が心から、シリウスに仕えているいるのは見ていて分かる。そして、皆がシリウスのことを心配そうに話しているのも、こっそり耳にしている。


 外で聞く彼の評判と、屋敷内の評判は、どうやら違うらしい。この短い期間で、それを悟った。まだモニカは、シリウスのことをよく知らない。だが彼の一番傍にいた人達は、一番近くで、でもおそらく遠くから、彼を見守っている。


 だから。


「――はい。婚約者として、シリウス様を支えます」


 自然と言葉にしていた。


 まだシリウスのことを何も分かっていないのに。婚約者になる覚悟もおそらくそこまで持てていないのに。だがそれでも、今の自分に必要とされていることなら、向き合いたいと思ってしまう。


 するとゾーイは顔を緩ませる。

 安堵するように頷いてくれた。


 と、急に休憩室のドアが開いた。


「失礼しまーす」


 鈍色の髪に蒼色の瞳を持つ若そうな青年。使用人の制服を着ているが蝶ネクタイを結んでおり、その色は他の者とは違う赤色だった。ゾーイとモニカが凝視すると、青年は目をぱちくりさせる。


「え? ゾーイさんより若い女の子がいる……」

「ああ? エド、あんた遠まわしに私のこと馬鹿にした?」

「してないってっ!」


 エドと呼ばれた青年は慌てて両手を出して弁解する。

 屋敷では初めて出会った人だ。彼も使用人だろうか。


 ゾーイはエドの首元を掴んだ。


「紹介するわね。こいつの名前はエド。今一番シスに近い使用人ね。シスの傍で雑用とか仕事の手伝いをしているの。ちなみに元泥棒」

「元泥棒!?」


 それ以外の情報が全て吹き飛んだ。


 モニカが驚いてエドに顔を向ければ、彼はなぜかにこやかだ。ウインクをしてピースサインを見せてくる。


「元泥棒でーす。今二十四歳。よろしくね。こんな可愛い子入るなんて聞いてないんだけど。ね、フリーなら俺と付き合わない?」

「やめなさい。この子、シスの婚約者だから」

「は!? 主人の婚約者!? 嘘だろ? いつの間に!? え……いやちょっと待ってよ。絶対俺より年下だよね? 君、何歳?」

「十九です」

「シスコンじゃんっ!」

「いや成人してるでしょ」

「でも歳の差だけで見るとシスコンじゃんっ!」

「誰もが一回は思ったことを口にしないの」

「ははは……」


 そう思われても仕方ない。


 エドはモニカをじろじろ見つつ「はー」だの「へぇ」だの声を出す。だがすぐに人懐こい笑みを浮かべた。


「せっかくだから君にご主人のいいところ教えてあげるね。さっき元泥棒って言ったけど、俺、金目の物があると思ってこの屋敷に入ったんだよね。で、ボコられて。普通ならすぐ逮捕ものなんだけど、俺の境遇を聞いたご主人が、使用人として雇ってくれたの」

「え!」

「最初聞いた時は気が狂ったと思ったけどね」


 ゾーイが大きく息を吐く。


「その時さぁ、ご主人が『そんなに金が欲しいなら俺の傍にいればいい』って言ってくれたんだよね。分からないように盗めばいいって。とか言っておいてあの人眼光鋭くてさ。ほんとに盗もうとしてもすぐバレて叱られるの。だからもう諦めちゃった。ていうか、盗まなくていいくらい給料くれるから、俺も金に執着しなくなったんだよね」

「……まぁエドの場合は、家族の治療費が欲しかっただけだったし。今は家族も健やかに暮らしているわ」

「おかげで俺も家族も大助かり。家が貧乏で読み書きもできなかったんだけど、ご主人が教えてくれたんだ。俺けっこう勉強できるみたいで、仕事の手伝いも任せてくれるようになったんだよ」


 思い出しながら笑みを濃くしていく。


 どうやら彼はシリウスにたくさんのものをもらったようだ。だから今度は自分が恩返しをしたいのだという。


(慕ってるんだなぁ)


 モニカの心に、ほんのり温かいものが広がる。


 もしかして嬉しい、という感情につながっているんだろうか。もしかして過去モニカも、シリウスに優しくしてもらった思い出があるんだろうか。エドにつられて、モニカも口角が上がる。


「もしご主人が嫌になったらいつでも俺のとこにおいでよ。君なら大歓迎。あ、名前って」

「――おい」


 いつの間にかエドの後ろから低い声が響く。

 見れば真っ黒の外套を着たシリウスが立っていた。


「ご、ご主人っ!?」

「俺の婚約者を口説くとはいい度胸してるな」

「あ、いや、これはあの、仲良くなるために言ったというか、」

「屋敷の物はなんでも盗めばいいと言ったが、彼女は別だ。手を出したら解雇する」

「えっ!?」

「仕事が山積みだ。徹夜で付き合ってくれるな?」

「ええー!? 最近毎日じゃんっ! たまにはゆっくり寝たいよー!」

「俺の使用人なら文句は言わせない」

「鬼畜っ! 魔王っ!」

「なんとでも言えばいい」


 エドがずるずると引きずられていく。

 ゾーイは気の毒そうにそれを見守っていた。


 モニカとしては、二週間ぶりのシリウスだ。それなのに彼は挨拶一つなく、また仕事に戻っていく。求婚してきた時は必死に見えたのに、屋敷にいるから安心しきっているのだろうか。さすがにむっとする。面白くない。


「シリウス!」


 皆の前だと言うのに呼び捨てをする。

 すると彼の足が止まった。


「今日は一緒に食事をしてください」

「……仕事が忙しい」

「婚約者をずっと放置するなんて、夫として失格ではないですか?」


 するとシリウスはぎょっとする。


「好きになってほしいならシリウスも努力してください。それに私だって、ずっと会えないのは寂しいですよ?」


(あくまで人として、だけど)


 結局傍にいられないなら、好きになるものも好きにならない。とはいえ今日はたくさん収穫があった。屋敷にいる人達は皆、シリウスが好きだ。だからこそここにいれば、シリウスのことを好きになれる気がする。


 するとシリウスは固まる。


 ゾーイが「好きになってほしいって何? シスから言ったの?」と呟き、微塵も動かないシリウスを見たエドは口元に手を添えた。


「ご主人って尻に敷かれるタイプ? ……あでででででっ!」


 どうやらシリウスに思い切り肉をつねられたらしい。さすがに容赦がないのか「やめなさいシスっ!」とゾーイが仲介に入る。だがなぜかエドが「あ、シリウスのシスってシスコンのシスじゃ」なんて失言をしたものだから、さらに断末魔が響いてしまった。

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