6話 ここにいる意味
シリウスと食事をしたのは今日が初めてだ。
以前お茶会はしたが、彼は珈琲ばかり飲み、甘い物はあまり口にしていなかった。こうして互いの顔を見ながら食事ができること、お願いに耳を傾けてくれたことに、モニカは満足する。
シリウスの食事の作法はお手本のように美しかった。ナイフとフォークの使い方に慣れているのはもちろんのこと、一つ一つの動きに品があり、生粋の貴族なのだと思わされる。顔色はあまりよくないのだが(不眠症のせいもあって)、食欲がないわけではないらしい。シリウスは黙々と料理を口に運んでいる。一緒に食事ができるのはよかったものの、思ったより会話がない。
モニカはさりげなく声をかける。
「仕事がお忙しいと思いますけど、せっかくですし会話も楽しみませんか?」
「モニカ、敬語でなくていい」
「え。ですが、」
「こいつらの前だからいい」
「ちょっとシス、今こいつらって言った?」
ゾーイがこちらに顔を向ける。
「俺達に対して厳しすぎませんー?」
エドも同じ動きになる。
本来主人と使用人が一緒に食事をすることはないが、モニカが提案した。大人数で食べる方が美味しいと。シリウスが何か言う前に二人は賛成し、今に至る。
「いいのよモニカちゃん。気軽に話してあげて。こんなご主人だから」
「ゾーイ。お前が言うな」
「あーら。主人が言ったんだから私達だって言っていいわよ」
「そもそもこの屋敷でご主人に恭しく接してるの、侍女長のメイジーさんとダニー執事長くらいだもんね~」
エドは大きなお肉に遠慮なくフォークを突き刺していた。食事のマナーとしてはあまり良くないが、今この場に客人がいるわけでもない。各々好きに食べるのが食事としては一番楽しい。マナー面からシリウスから叱責が飛んでくるかと思いきや、彼もちらっとエドの様子を見ただけで、何か言う様子はなかった。
「じゃあお言葉に甘えて。シリウスは今日、どんなことをしたの?」
「王城で第一王子からの依頼を受け、領主達を訪問。この後、報告書をまとめる」
簡潔に伝えてくれる。
一言でまとめるなら「仕事」だが、聞けばなんでも答えてくれるみたいだ。エドが「報告書って何枚くらい?」と流れで質問する。
「五人分はあるから約二十枚はまとめる」
「うげぇ。それを今から? 今日も徹夜かぁ」
「期限は先だ。忘れないうちにまとめるだけだからお前は寝ていい」
「え、いいの!? ご主人優しい~!」
「明日は早朝の仕事に付き合え」
「……はぁああ。褒めて損した」
「寝ることは許可しただろ」
「使用人なら早起きくらい文句言わないの」
「ゾーイさんまでつつかないでよ~!」
(仲良しだなぁ)
気心知れてるからか、遠慮がない。それが心地よさを生み出している。普段表情があまり出ないシリウスも、顔が緩んでいるように見える。
その後も他愛もない話が続く。ゾーイとエドがいてくれたおかげで、普段のシリウスの様子を知ることができた。二人きりではここまで話は盛り上がっていなかったように思う。
それがありがたいと思いながらも、モニカはほんの少しだけ、寂しさも感じた。この場にいる自分は、本当に外側から来た人間なのだなと、思ってしまった。
ドアを軽くノックする。
入れ、の言葉にモニカはそっとドアを開ける。シリウスは机に向かってペンを走らせていた。シリウスの部屋は、公爵にしてはあまり広くなかった。広い屋敷の中でも控えめなサイズだ。骨董品が収集されている部屋の方が大きいと思う。
部屋の中には大きな木製の机、革製の椅子、客人が座れそうな小ぶりのソファーが二つ、そして奥にベッドがある。ベッドは大きめだが、使った様子が一切ないくらい新品だ。使った形跡がない辺り、いつも寝ていないのだろうか。
「モニカか」
誰が入ったか今気付いたらしい。
「メイジーさんから。ハーブティーだって」
ハーブティーはカフェインが含まれていないため、夜も仕事をするシリウスによく用意するという。睡眠改善やリラックス効果もあるようだ。食事後、シリウスは早々に部屋に戻った。ぜひ持っていってあげてくださいと、メイジーが微笑みながらモニカに託してくれたのだ。
「ああ。そこに置いておいてくれ」
ソファーの前にある小ぶりの机を指す。
「飲まないの?」
「ここは書類だらけだ」
シリウスの机を見ると、確かに書類が散乱していた。書きかけのものや、綺麗に陳列された文字見える。元々整理していた書類もひっくり返したのか、すごい枚数だ。少し意外だった。勝手に机の上も綺麗だと思い込んでいたから。
「今だけだ。いつもは綺麗にしてる」
まるで言い訳するような言い方に、モニカは笑いながら頷く。そっとハーブティーを置き、その場を去ろうとすると、シリウスが来た。どうやら飲むらしい。
「お前も座れ」
「いいの?」
「自分の分は用意してないのか」
コップが一つしかないことを指摘される。
「あるよ。後で飲むつもり」
「ここで飲めばいい」
「邪魔しちゃうかなと思って」
仕事をする予定なら、いない方がいいと思ったのだ。ハーブティーだけ運んだらすぐ去るつもりだった。ついでに部屋の中に興味があった。綺麗な紋章が入った壁紙に絵画が飾られており、ほどよく装飾が施されている。
「婚約者がなにを遠慮してる」
「え。でも」
それとこれとは別では。
モニカが控えめでいると「部屋は自由に来ていい」と言われる。
「邪魔にならない?」
「なるならこんな提案してない」
(それもそうか)
モニカは向かい合わせのソファーに座ろうとした。と、視線がシリウスに向く。彼はすぐソファーに座っていた。彼の隣が、少し空いている。
そっと近くまで寄った。
「どうした」
「隣に座ってもいい?」
急にそんなことを言ったからだろう。
怪訝そうな顔をされる。
「どうした?」
「い、いいでしょ? 遠慮しなくていいって言ったもんね」
「……ああ」
シリウスは少しだけ端に寄ってくれる。
モニカは隣に座った。
(あれ、思ったより狭いかも)
ゆとりがあるかと思いきや、ソファーのサイズが小さいこともあって、互いの肩が触れてしまっている。隣にいると、シリウスの方が体が大きく感じられた。男性なのだから自分より大きいのは当たり前だが、いつも少し離れて会話をしていたからあまり気付かなかった。こんなにも体格差があるのか。
「狭くないか?」
「だ、大丈夫だよ」
反射で返してしまったが、先走ったかもしれないと若干後悔する。でもここで引き返すのもどうかと思い、モニカは気にしないふりをしながらそのままでいた。
「どうした」
シリウスが顔を覗き込んでくる。
先程までと違う、気遣うような声色。様子がおかしいと思ったのだろう。モニカは口ごもった。見透かされている、と分かっても、すぐに言葉にするのは難しい。
が、相手はずっと待ってくれている。
ゆっくり、気持ちを吐露した。
「あのね、」
「ああ」
「私も……シリウスと仲良くなりたいと思ったの」
「……?」
首を傾げられる。
「あの、ゾーイさんとエドさんと、仲良しだなぁって」
今度は難しい顔になっている。
本人は仲良しだと思っていないのだろうか。
「私と話している時より、楽しそうに見えて。付き合い長いんだよね? 私達は、そこまでだし。というか私なんて何も覚えてないし……」
ゾーイもエドも、シリウスのことをよく知っている。
そしてシリウスも、二人のことをよく知っている。
だからこその距離感で、居心地の良さで、いい雰囲気が出るのは当たり前で。モニカは初めて、自分に記憶がないことが、少し、悲しくなった。おそらく前の自分なら、シリウスのことをよく見ていて、知っていて、もしあの場にいたなら、一緒に楽しんでいたはずだ。寂しいなんて、思っていないはずだ。
(いいなぁって、思っちゃった)
あの場に一緒にいたのに、勝手に部外者のような、疎外感を感じてしまった。自分で勝手に思ってしまっただけだ。周りは何も悪くない。あの時のシリウスの表情を、言葉を引き出せるのは二人だからで。今の自分では、シリウスに何かしてあげられることなんて、ないのではと思ってしまう。
ゾーイから「支えてあげて」と言われたが、そんなことできるんだろうか。前の自分ならおそらくできただろう。それくらいの気持ちを日記にも記していたのだから。でも今の自分は、どうだろう。
シリウスのことを覚えていない。知らない。
そんな人が、支えることなんてできるのか。
(……なんで私、シリウスのこと覚えてないんだろ)
そんな人が、なんでここにいるのだろう。
自分のことだが、場違いのように思ってしまう。
以前の自分であれば、きっともっと歓迎されるであろうに。
心の距離を感じてしまい、少しでも縮めたくて、物理的に隣に座った。近いはずなのにでも心は遠くて、結局意味をなさなかった。
どんどんモニカの表情がしぼんでいく。言葉が続かず、無言を突き通してしまっている。するとシリウスが、そっとモニカの額に手を置いた。
(え?)
シリウスの目を見た瞬間、ばちんっといい音が鳴る。
「いっ……たぁ!」
でこぴんされてしまった。
急だったこともあって想像より痛い。
モニカは自分の額に手を当てる。
「なにをそんなに悩んでいる」
「ええ……?」
「今の自分と、記憶があった頃の自分を比べているのか?」
図星に言葉が詰まる。
なんで分かったのだろう。
「俺からするとお前は何も変わらない」
「……!」
「俺を覚えているか覚えていないかの違いだけだ」
「で、でも」
シリウスが好きなのは記憶があった頃の自分だ。
確かに根本の自分は何も変わっていない。それでも自分がここにいる理由が、よく分からない。彼が求める自分ではないのに。彼のことが好きな自分であれば、もっと自分に自信があったかもしれないのに。
「お前はただいつも通り笑って、自分のしたいことをすればいい」
「…………。でも、」
「でもなんだ」
「……私がここにいていい理由を、ちゃんと見つけたいよ」
シリウスのことが好きであるなら、屋敷で働く人達はきっと喜んでくれるだろう。シリウスを支えている自覚があるなら、婚約者として認められるだろう。
今の自分は、何もない。何もないのにここにいていいのかと、不安になる。きっかけはシリウスから外堀を埋められたとしても、来ると決めたのは自分だ。だったら、少しでも役に立ちたい。婚約者でよかったと、少しでも思ってもらいたい。
「そんなものを動機にするな」
「ええっ……!?」
人の決死の思いをぶち壊す婚約者がどこにいるのか。
信じられないものでも見るような目をしてしまう。
するとシリウスは息を吐く。
「まだ来たばかりだろう。まずは環境に慣れろ」
「で、でも」
「でもでもやかましいな。お前がいるだけで俺は十分だと言ってる」
今度はなぜか鼻をつままれる。
顔を振れば離してくれた。
「……」
今度はモニカがむっとする番だ。
シリウスは最初からそのままでいい、ただいてくれたらいい、と伝えてくれた。それは負担にならないように気遣ってくれたのもあると思う。だが。
「シリウスはそう言うけど、私はそう思えない。だから考えてよ」
「何を」
「婚約者として、私ができることを教えて。でないとここにいる意味が分からなくなる」
ここ二週間ずっと考えていたことだ。
自分でも何かできないか考えたりした。だが今のモニカは、人として役に立つこと以外思いつかなかった。そしてそれは、モニカがやらなければならないことではない。屋敷で働く人達は皆、優秀だ。モニカよりも仕事ができる。モニカがやる理由にはならない。
ただここにいるだけでいい、というのは、結局、ただいることしかできない。こちらとしては達成感を得にくいし、いない存在のようにも感じてしまう。
シリウスはモニカに何かを要求することがなかった。本人がこの世の全てを得られるくらいの地位を持っているのもあるだろうが。モニカを手に入れて満足したかもしれないが、モニカとしては満足できない。せっかく来たのなら、できることをしたい。それがシリウスのためになるなら尚更。
すると相手は自分の額に手を置いて考えだす。
が、思いつかないのかどんどん顔が険しくなる。
もしかすると考えたことがないのかもしれない。
本当に手に入れるだけで満足していたのか。
「――婚約者なんだからキスとかハグとかでいいんじゃない?」
急に声が聞こえたと思えば、いつの間にかソファーの後ろにエドがいた。二人が同時にびっくりしていると、彼はやれやれ、と両手を見せて溜息を付いて見せる。
「二人きりで少しは甘い会話してるのかと思いきや……ちょっとは楽しませてよねー」
「何の話だ……」
「い、いつからそこに!?」
もしかして、記憶がない話も聞かれただろうかと焦っていると「『お前がいるだけで俺は十分だと言ってる』ってところから」とエドが若干かっこつけながら説明してくれる。
どうやらその前の会話は聞かれていないらしい。モニカの帰りが遅いことが気になって入ってきたようだ。さすが元泥棒というべきか。足音が全く聞こえなかった。
「ご主人ってキザなこと言えちゃうんだ~。かっこいいじゃん?」
からかうように手にハートを作って見せていた。するとシリウスはエドの頭を思い切りはたいていた。エドは容赦ない音と共に「痛いっ!」と声を上げる。
エドは頭をおさえたまま話に戻る。
「まぁとにかくさ、そういうのでいいと思うよ。だってそういうのは恋人とか婚約者の間柄しかできないじゃん?」
「た、確かに……」
なるほどそれは思いつかなかった。
だがここで問題が出てくる。
モニカはシリウスに恋愛感情を持っていない。ということはつまり、キスもハグもかなり難易度が高いということだ。だが婚約者として来ている手前、そんなことをエドに言えるわけもなく。
(ど、どうしよう……)
家族や友人ならハグくらいしたことあるが、異性に対してはしたことがない。そんな簡単に言われても、そうだねとすぐできるわけもなく。頭の中でぐるぐる考えつつ、シリウスはどういう反応になるのだろうと、ちらっと横目で見た。




