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2話 公爵との関係

 モニカは改めて医師に診てもらった。


 精密検査をしても、特に体に異常はない。ただ、シリウスのことだけ忘れていた。彼に関連することも覚えていなかった。特定の人物だけ忘れることも記憶喪失に該当し、精神的要因が考えられるようだ。


 あの日、社交界に出て階段から落ちたことは覚えていたが、その前の記憶はなかった。なぜ落ちたのかも、よく分からない。だがそれ以外はすこぶる元気で、モニカとしてはあまり気にしていなかった。両親も心配で会いに来てくれたが、思ったより元気そうな様子に安堵してくれた。


「モニカっ! 大丈夫!?」

「アイリスさん」


 ロイの妻であるアイリスが屋敷に帰ってきた。

 長い金髪を揺らしながら近寄って来る。


 彼女も騎士で、第二王子の側近を務めている。今日は王子の付き添いで遠方に行っていたようだが、モニカが目覚めたと聞いて慌てて帰って来てくれたようだ。アイリスにとってロイは剣の師匠であったことから、モニカも昔からの付き合いだ。


「大丈夫だよ」

「それならよかった……!」


 優しく抱きしめてくれる。

 モニカにとって優しい姉だ。


「それで、ロイ。イーデン公爵がモニカに求婚したって?」

「ああ……」

「一体どういうことなの?」

「俺が聞きたい」

「公爵家から正式に封書が届いたら断れないわよ」

「分かっている……」


 何やら二人は悩んだ顔だ。


 貴族の世界では、身分が上の者からの求婚は基本的に断れない。今まで多くの見合い話が来ていたが、見合いの段階だったから断ることができた。公爵家からの求婚となるとさらに断ることが難しいらしい。


「アイリスが求婚された時は断ったんだよな?」


 不意にロイが口にした。

 すると彼女は眉を寄せる。


「いつの話をしてるの? しかもモニカの前で。あれは正式な求婚じゃなかったわ。それに私だけじゃない、ジェシカにも言っていたのよ」

「え。アイリスさんもジェシカさんも、求婚されたことがあるの?」


 ジェシカはアイリスの親友で伯爵令嬢だ。モニカの作法の先生でもある。「高嶺の花」と呼ばれるほどに貴族令嬢の中ではとびきり華やかで綺麗な風貌を持つ。確か昨年、アイリスの同僚と結婚した。


 アイリスはぎこちなく笑う。


「昔の話よ。相手も冗談で口にしただけ。断ってもあっさり引いていたし。求婚されたのはそれくらいよ。大体『氷の花』と結婚したい人なんているわけないでしょう?」


 アイリスも二つ名があった。

 それが「氷の花」。


 見た目の美しさと気高さからそう呼ばれていたのだが、はっきり意見を口にするところを「氷」と表現されていることを、本人はあまり快く思っていなかった。


「俺は結婚するならアイリスしか考えられなかった」

「私もアイリスさんのこと大好きだよ?」


 兄妹の言葉に、アイリスは少しだけ面食らう。

 だが小さくはにかんでいた。


 聞けばアイリスの父は貴族の中でも権力者のようで、周りからは恐れられていたようだ。今回のような経験はないという。ロイは「そうか……」と残念そうな声色になった。アイリスは核心をつくように聞く。


「もしかして、断ろうと思ってるの?」


(え)


 思わず兄を顔を見ると、渋い顔になっている。

 どうやら図星のようだ。


 アイリスは呆れたのか息を吐いた。


「相手は公爵なのよ。しかも女性嫌いで有名な方。話を聞く限り、冗談じゃないと思うわ」

「だが……」

「今回は封書の話までしたのよ。冗談でそんなことを言う人じゃないでしょう? 返事を遅くすると王族を引っ張り出してくるかもしれないわよ。バルウィン殿下なんて二人の関係を応援している側なんだから」


 ロイは腕を組んで唸る。


 バルウィンはこの国の第一王子。

 温厚で人柄もよく、国民から信頼されている人だ。


「私って、ほんとに公爵のこと好きだったの?」


 まさか第一王子もこちらの事情を知っていたとは。

 周りから見て分かりやすかったのだろうか。


 アイリスはくすっと笑った。


「ええそうよ。モニカはいつだってイーデン公爵の力になりたいと言っていたわ。だから貴族令嬢になって、社交界にも積極的に参加して、勉強も頑張っていたの」

「公爵のどこを好きになったのかな?」


 すると途端に歯切れが悪くなる。


「それは……モニカにしか分からないわね」

「そうなの?」

「ええ。二人は最初、王都の路地裏で会ったみたいなの。その話は本人しか知らないから……。その時に彼の力になりたいと思ったみたいね」


 貴族令嬢になる前、両親のお店で看板娘として働いていた頃に出会ったようだ。ということは三年ほど前。その出会いから貴族になることを決意したらしく、モニカにとって人生を変える出来事だったのだろう。


「アイリスさんから見て公爵ってどんな人?」

「え?」

「今の私は何も知らないから……ちょっとでも知りたいなと思って」

「そう、ね」


 視線が斜め上に行く。

 するとロイがぼそっと呟いた。


「偏屈な美人……」

「ローイ? ちょっと静かにね~」


 アイリスが声を遮り、ロイの言葉を消していた。おかげでモニカにはほぼ聞こえなかった。「でも、そうね」と、アイリスは思い出したかのように苦笑する。


「不器用で、誰よりも愛が必要な人」


 その言葉を聞いて、なぜかモニカの心臓がどくんと鳴った気がした。なぜかは分からない。だがなんとなく、確信をついた音のように聞こえた。もしかして、何かしら覚えていることがあるのだろうか。


「後半は先輩の受け売りだけどね」


 アイリスが笑う。


「だからといって、その役目はモニカでなくても」

「あ~もう。ロイは心配しすぎよ。大体モニカの気持ちが一番大事でしょう?」


 するとロイは難しい顔になる。


「それは分かってる……。だが、三年もモニカを放置した挙句、今更になって」

「不器用な人は時間がかかるのよ。それに、気持ちは前からなかったわけじゃないと思うし」

「…………」

「ね。モニカは、どう思う?」


 話を振られてしまう。

 モニカはゆっくり考えた。


「実感が湧かないんだけど……まずはお話してみたいなって」

「お話?」

「前の私は公爵のこと好きだったかもしれないけど、今の私からすると知らない人だから」

「そうよね」

「だから話して考えたいなって」


 安心させるように笑って見せる。


「それに、そんなに好きだったなら、今の私が好きになる可能性はあるし。公爵も言っていたけど、私、好きになったら簡単に嫌いにならないし。記憶喪失前の私も、好きなままなんじゃないかな」


 一度好きになったものはずっと好きなままだ。


 家族も、両親お手製のご飯も、常連達も、城下にある有名なお菓子屋さんのお菓子も、友人達も。今までずっとそうだった。もちろん喧嘩や悲しい出来事を経験したことはある。だがそれ以上に好きなのだ。だから一緒にいたいし、大切にしたい。シリウスに対してもそう思っているのではないだろうか。


 アイリスは納得するように頷く。


「そうね。モニカはいつも、一途だと言っていたわ」

「お兄ちゃんと一緒だね」


 からかいも含めて伝えると笑ってくれる。


「私は、モニカの気持ちを尊重するわ」

「え」

「どうしたのロイ。妹を信じてあげないの?」

「信じるが……あの方だぞ。モニカを傷付けないか、心配だ」

「大丈夫よ。あの人はいつも、モニカのことを考えて行動していたもの」

「……」


 ロイは肩を下ろしていた。

 アイリスはそれを優しく叩いていた。




 モニカは自室に戻った。

 思い出したことがあったのだ。


 今の自分はシリウスについて何も知らないが、関わりがあるのなら、もしかして。と、赤い革の手帳を取り出す。三年前から書き始めたもので、何かあれば基本的に書くようにしていた。


 シリウスという名前がないだろうかと探してみる。すぐには見つからないが、やたらと手帳には「あの人」と書いているページがあった。


 自分が階段から落ちた日の前日も書いていた。


『明日はあの人に会える。嬉しい。三年経ったし、少しはレディーになったって思ってくれるかな。それとも、何も言ってくれないかな。でも私は、あの人の傍にいられたらいいから。幸せにしたいから』


 なんとも熱烈だ。


「不器用で……愛が必要な人……」


(なら私は、公爵に愛を渡したかったのかな)


 モニカはベッドに横になる。


 今日初めてシリウスに会ったが、特に好きになる要素は見当たらなかった。容姿が美しく、ちょっと強引な人だなと思ったくらいだ。


 兄夫婦から話を聞いても、シリウスどういう人なのか、やはりすぐには分からない。ロイは散々心配していた。モニカの苦労が全く報われていないと。だがアイリスはフォローしていた。やっと彼は動き出したと。


 シリウスは、愛を少しは受け取ったのだろうか。

 その上で、求婚してくれたのだろうか。


 自分はなぜ、シリウスのことだけ忘れたのだろう。好きであるなら、絶対に忘れないであろうに。階段から落ちたとはいえ、頭を強く打った覚えもない。


 だが思い出そうとすると、頭が急に痛くなる気がする。まるで思い出したくないとでもいうように。医師からは、安静に、と言われた。無理に思い出す必要もないと。ならこのままの方がいいかもしれない。


 それに今は、別のことが気になる。


 シリウスを好きになった理由。

 シリウスが求婚してくれた理由。


 モニカはいつの間にか瞼が重くなった。

 一度に色々考えすぎて、限界になったらしい。

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