1話 記憶喪失からの求婚
新作です。
過去作品を知ってくださる方は、知っているキャラ達が出てくると思います。何も知らない方が逆に楽しんでいただける可能性もあるかなと。二人を見守っていただけると嬉しいです。
モニカは後ろから倒れる。
長い階段の一番上に着いたばかりだった。
バランスを崩してしまったのだ。
着いた先には彼の姿がある。
驚いてこちらに向かって走っていた。
(走ってくれるんだ)
モニカはそれだけで嬉しくなった。
ずっと、ずっと、好きな人だ。
幸せにしたくて堪らない人だ。
相手にしてくれないくせに、拒否もしてこない。でもこうして分かりにくい優しさをくれる人。あれから三年も経ったのに、彼は一向に来てくれない。ずっと一緒にいたくて努力しているのに。
彼の声で聞こえてしまったのだ。
『モニカ・グラディアンに出会わなければよかった。いっそ俺のことを忘れたらいいのに』
純粋に悲しくなった。
自分がやってきたことは、彼にとって嫌なことだったかもしれない。いや、さすがに呆れてしまったのかもしれない。もういい加減にしてくれと思っているのかもしれない。
だからもう、会うのはやめよう。
でも、好きなままでいたい。
そのためにここまで来たから。
モニカは笑ったまま下に落ちていく。
思いは変わらないという気持ちを込めて。
「…………?」
目を開けると、自分の部屋だった。
しばらくしてモニカはぼんやりしていた。
なぜ自分は今眠っているのか、なぜ部屋にいるのか、よく分からなかった。起きて左右に頭を動すと、なんだか頭が痛い。思わず押さえた。
「っ、お嬢様っ!?」
部屋のドアが開いて入って来たのは、この屋敷で働いてくれているメイドだ。茶色の髪を三つ編みにしているソフィーは、慌てて近付いてくる。
「モニカお嬢様、大丈夫ですか!?」
「え……?」
「今すぐロイ様を連れてきますね……!」
「え、え?」
彼女は走って行ってしまう。
意味が分からないままモニカはとりあえず待っていた。すると兄であるロイが部屋に入ってくる。「モニカ!」と血相を変えた顔をして近付いてくる。
兄は騎士として働いており、普段は城の寮で生活をしている。騎士の制服姿であることが多いのだが、楽な格好をしているのを見るのはなんだか久しぶりだ。それよりも。
「何をそんなに慌ててるの?」
するとロイとソフィーが顔を見合わせる。
「モニカ。よく聞け」
「? うん」
「お前は三日寝てたんだ」
「…………え?」
「社交界に出た時、階段から落ちた。外傷は痣くらいで済んだものの、心配したんだぞ」
聞けば階段から落ちた時、下には大勢の人がいたらしい。モニカが倒れるのに気付いた人達がいたおかげで、クッションの役割を果たしてくれたようだ。それでも、三日間ずっと目覚めなかった。医師に診てもらったところ、体に異常はないようだ。
「目が覚めない原因が精神的なものじゃないかと心配したんだ。あの日はイーデン公も来ていたし」
「……イーデン公?」
「シリウス・イーデン公爵だ。モニカも会うのを楽しみにしていただろ?」
「え。……誰?」
聞いたことがない。
すると二人は顔を見合わせる。
「モニカお嬢様。それ本気でおっしゃっていますか?」
「え? うん」
「あのシリウス公爵だぞ。路地裏で会ったっていう」
「???」
何度名前を言われても、首を傾げてらしまう。
ソフィーは自分の頬に手を当てている。
ロイは険しい表情になっていた。
「どどど、どうしましょうロイ様っ! お嬢様が公爵様のことを忘れるなんてっ!」
「落ち着いてくれ。今迷っている。これをイーデン公に言うべきか言わないべきか」
「えっ。絶対言った方がいいですよっ」
「いやでも、これはむしろチャンスな気がするんだ。大体イーデン公はモニカに対して冷たすぎる。お見合いが殺到していることも今や『社交界の蝶』と呼ばれてることもそれとなく言ってるが、彼はいつも涼しい顔をしていた。……あれから三年だ。その気がないならそろそろモニカを解放してほしい」
「でもそれは、お嬢様の意志では」
「分かっている。だが……」
何やらぶつぶつ二人が話している。
会話に入れないのでモニカはむっとしてしまう。
「ねぇ。その公爵がどうしたの?」
「ちょっと待て。もしかしたら他のことも忘れている可能性がある。モニカ、俺達が誰か分かるか?」
急に話が変わってしまった。
仕方がないので付き合ってあげる。
「ロイお兄ちゃんにソフィーでしょ」
「正解だ。じゃあモニカ。自分が誰か分かるか?」
「それくらい分かるよ。名前はモニカ・グラディアン。三年前にお兄ちゃんが爵位をもらって、私も子爵令嬢としてデビュタントに参加した。元々は飲食店を経営する両親の看板娘をしていて、令嬢になった理由が……」
そこで止まる。
(あれ。なんで私、お嬢様になったんだっけ)
元々平民の出だ。ロイの仕事ぶりが評価され、王族から爵位をもらった。家族も貴族にできると言われたが、両親は平民であることを望み、モニカは貴族になった。だからロイとモニカだけが爵位を持っている。だが、なぜ貴族令嬢になったのだろう。別にならなくても、何の問題もないのに。
「もしかして、イーデン公のことだけ忘れているのか……?」
「……? その公爵って、どんな人なの?」
するとロイは、一度考え込んだ。
「彼は、」
ドアをノックする音が聞こえる。
入って来たのは初老の執事セバスチャンだった。
「失礼いたします。ロイ様。お客様がお見えです」
「今はそれどころじゃない。後にしてもらってもいいか」
「それが、イーデン公爵様がお見えでして」
「!?」
全員が一度身なりを整えた上で、部屋に入るように促す。セバスチャンと共に来たのは、全身真っ黒の男性だった。
(わ、綺麗な人)
黒髪は艶があり、瞳はルビーのように赤い。耳にも同じ色のピアスをしている。歩く姿だけでも品性を感じるが、それをかき消すほどに気になるのは目の下にある隈だ。あまり眠れていないのか、顔もどことなく疲れて見える。顔と服装から、吸血鬼のようだった。
彼は両手に大きな花束を持っていた。色んな色や種類の花が並んでいる。ロイが「見舞いに来てくださったのですか」と声をかけた。
「容体は」
「先程目が覚めたところです」
すると彼は迷いなくモニカに近付く。
花を渡しながら膝をついた。
「大丈夫か」
「……は、はい」
モニカはおそるおそる受け取る。
おそらく知っている人なんだろうが、今の自分からすると初対面だ。公爵ということは高貴な身分。失礼がないかだけ気にした。
「怪我は」
「……ええと」
ロイを見てしまう。
「それが、モニカは記憶喪失の可能性があるかもしれないようで」
「……記憶喪失?」
「検査をしてみないと分かりませんが、イーデン公のことを覚えていないようなんです」
すると相手は一瞬動きを止めた。
「……そうか」
「あの」
モニカは思わず声をかける。
「私達って、会ったことあるんですか?」
シリウスは何やら考えている様子だった。
そしておもむろに立ち上がり、ロイに体を向けた。
「以前見合いの話がたくさん出ていると言っていたな。もう返事をしたのか」
急な問いに、ロイは眉を顰める。
「全て断っています。モニカが望んでいなかったので」
「そうか。では俺が求婚する」
えっ、とソフィーが思わず声をもらした。
全体にぴんと緊張感が走る。
ロイは慎重に言葉にする。
「念のために聞きますが、誰にですか?」
「無論、貴様の妹だ」
「…………え?」
モニカは呆けた声を出してしまう。
「正式な求婚は後日にする。封書は届けさせる」
(封書?)
モニカが首を傾げたからか、ソファーが耳打ちで「正式に結婚する場合、文書のやり取りが発生するんです。両家がサインすれば、結婚が成立します」と説明してくれる。感心しているとロイが声を荒げた。
「お待ちください、唐突過ぎます! モニカはまだ目が覚めたばかりです。大体、記憶を失っているのに」
「彼女は俺のことが好きだった。その事実は変わらないだろう」
「…………」
(え、そうなんだ……!)
モニカは他人事のようにわくわくしながら聞き耳を立ててしまう。
それにしても雲の上の存在を好きになったものだ。公爵を好きになるだなんて。自分の性格的に、見た目や身分では判断しないだろうと思いつつ、どこを好きになったのか気になる。
「……どういう風の吹き回しですか。モニカをずっと避けていたでしょう」
「仕事が忙しかっただけだ」
「あなたの記憶だけ無くしていることも気になっています。あの日、モニカに会ったのではないですか?」
「……俺のせいで、彼女の記憶が消えたと?」
「その可能性はあり得ます」
モニカは交互に顔を見てしまう。
どちらも引かない。緊張感が漂う。
「もしそうであるなら責任を取る」
ロイは信じられないものでも見るような目になる。少しだけ迷うような素振りをしながら「ですが」と言葉を続ける。
「記憶喪失の原因が分からないんですよ。あなたと一緒だと、モニカはもっと具合が悪くなるかもしれない」
するとシリウスは鼻で笑った。
綺麗な顔立ちなので笑みも彫刻のように様になるが、それがどこか悪役がするような笑みだった。純粋な笑顔より似合うと思ってしまう。
「彼女は俺が何を言っても引かなかった。記憶喪失になったくらいで俺のことが嫌いになるとでも?」
「……随分自信がありますね」
「実際そうだろう。一番傍にいた貴様が分かっているはずだ。あの日も彼女は俺に笑顔を向けた。嫌いならそんなことをしないだろう」
「…………」
「あのー」
モニカは気になることがあり、声をかける。
二人がこちらを見た。
「求婚ということは、公爵様も私のことが好きなんですか?」
今度は全員が彼に注目した。
すると真顔で言われる。
「それは今話すべきことじゃない。二人きりの時に話すものだ」




