第五十五話 思い出のワルツをあなたと
シャンデリアの光と茜色の夕陽が交差する美しいホール。昼と夜の狭間が作り出すその空間はなんとも神秘的で、耽美な空気が流れており、主役たちがその中心にやってくるのそこで待っていた。
そこで奏で始まる曲は、いつの日か初めてブライアンと踊った、軽やかなワルツ。あのとき感じたときめきを鮮明に思い出したミランダは、頬を緩め、うっとりとした表情でその調べに耳を傾ける。
「…ファーストダンスだ」
それだけを告げ、曲に聴き入ってしまいそうなミランダの意識を自分に引き戻したブライアン。差し伸べられた暖かな手を迷いなく取り、ミランダはブライアンと共にホールの中央へと進み出る。
王宮主催の舞踏会。普通なら国王と王妃、もしくはイヴリン妃がはじめに踊るのだが、今回はブライアンとミランダ、そしてジェフリーと彼がその場でダンスを申し込んだディアナの2組がファーストダンスを務めることとなっているようだ。
「…君と初めて踊ったワルツだ」
ボソリと告げられたブライアンの言葉に、ミランダもくしゃりと破顔させ、笑みを返す。
小鳥の囀りを思わせる美しい旋律と安心する人の心地よいリードに身を任せる、それだけでミランダは自由になれた。
ミランダの軽やかなステップに合わせ、しっとりとした花弁を思わせる艶やかなスカートが花開くと、ホールに幾重もの弧が描かれていく。
夕陽に、照明に、ミランダがスカートを音楽に合わせ歌うように遊ばせるたび、その輝きの色を変えるドレス。その昼と夜の狭間を行き来する、不思議な光に包まれたミランダは、ブライアンを見つめ、楽しそうに笑みを綻ばせる。
少女のような純粋さを見せながら、大人の女性の色香も感じさせるそんなしっとりとした表情だった。そんなどんどん色んな魅力を開花させていくミランダから、ブライアンは片時も目を離したくないというように、ブルーグレーの瞳を優しく緩めている。
宿木で羽を休め、時に戯れて遊ぶ小鳥と、それを穏やかに見守る逞しい大木。そんな森の優しい光景を連想させる2人のダンスに、この場にいる誰もが目を奪われていた。
「…そういえば、普通の王宮舞踏会のファーストダンスってカドリーユが一般的だと思うのですが」
浮き立った心に、ふと沸いた疑問を素直に口にしたミランダ。キョトンとした顔で首を傾げたミランダは、今日の大人っぽい装いと先ほどまでの艶っぽい笑顔のせいで、より一層幼い子供のように見えて、ブライアンは思わず可笑しそうに笑ってしまう。
「あぁ、私もそう提案したんだが、ジェフリーもディアナも嫌だと」
少し笑いを含んだ、ブライアンの楽しそうな声。普段はっきりと笑うことのない王太子の珍しい様子に、周囲の貴族に騒めきが広がっている。
そんな周囲を然程気にせず、ブライアンの言葉だけに耳を傾けたミランダ。しかし、ディアナたちに断られた理由が思い至らず、ブライアンと2人首を傾げ、そのそっくりな表情に互いにまた笑い合う。
「…本当に、カドリーユにしなくて正解でしたわね」
「あぁ、全くだ」
そんな2人を踊りながらチラリと観察していたディアナとジェフリー。微笑みは決して崩さず、言葉だけで呆れた感情を溢した2人は、もう見るのは辞めようと互いにパートナーへと意識を集中させる。
そんな2人のダンスは小鳥と木の戯れにそっと添えられた美しい花のように、薔薇色のドレスを優雅に回しながら、華麗なステップを踏んでいく。
「…少しは上手くなりましたか?」
曲の終わりが近づいた頃、ミランダがポツリとブライアンに問いかけた。ミランダの、ブルーグレーのスカートをふわりと羽のように広げながら、ブライアンがゆっくりと瞬きを返す。
「ダンスの稽古をつけてもらったんですが、あまり成果出てませんか?」
その言葉で、ようやくミランダの言いたいことを理解したブライアンは、はにかむような笑みを浮かべた。
「…君とのダンスは楽しすぎて、いつも夢中になってしまうからな」
不安な思いで聞いたはずが、まさかとんでもない恥ずかしい返しをされてしまい、また、ミランダの頬は熟れたリンゴのように真っ赤になっていく。
ー本当に、この人は…
「…可愛いのだが。そういう表情は他に見せないでくれ」
「そう思うなら加減してくださいっ!」
困ったように眉を下げ、でもじっとミランダを見つめるブライアンに、ミランダは涙で潤んだ瞳で、ブライアンをそっと上目遣いに睨みつける。
「…お互い様だと思うんだが」
頬と耳元を釣られたように赤めたブライアン。2人はそのまま何も言わずその次の曲も自然に、続けて2人で踊り始めた。
「…あの2人って意外とバカップルでしたのね」
グレースが兄のセオドアと、貴族たちの人混みに混じって、そんな2人を呆れたように、でも楽しそうに見つめて笑っていた。
2曲目から他の貴族たちも混じり、美しく華やかなドレスの輪が広がっていった。しかし、人々の視線は今日の主役とも言えるミランダとブライアンから離れることはなかった。2曲とも心から楽しんで踊った余韻を引きずりながら、ホールの端へと移動したミランダたち。近くの給仕からブライアンが飲み物を受け取り、それをミランダに渡すタイミングを見計らったように、2人は多くの貴族たちに取り囲まれた。
大半はブライアンと懇意の、そして彼に顔を売っておきたい上位貴族。そして、その合間にこっそりとミランダの知り合いが紛れ込む、そんな顔ぶれだ。
中にはミランダにあからさまな態度や嫌味をぶつける者もいたが、それはブライアンの絶対零度の睨みによってすぐ退けられ、その様子は逆にミランダがその相手に同情してしまうほどであった。
メルロー子爵家の2人はもちろん。グレースをはじめとするリチャードソン伯爵家、マキューリオ伯爵、その他にも多くの知り合いといつものように笑顔で挨拶を交わしたミランダ。
そこに混じるようにアームストロング公爵も現れたときには、ミランダは思わずブライアンの手をギュッと握り、なんとか驚きで声を上げるのを抑え込んだほどだ。黒のテールコート姿で、黒い目元を隠す仮面をつけ、平然と2人に挨拶をした公爵。「うちの子になる?」という、これまたよくわからない公爵の言葉にはミランダは目を瞬かせてしまったが、何も言わないミランダの代わりに、ブライアンが丁重にその誘いをお断りしていた。
すっかり日が暮れ、シャンデリアの光が際立ち始めた夜の王宮舞踏会。
途切れない挨拶に疲れ始めた頃、ブライアンが周囲の貴族たちに断りを入れ、ミランダを会場の外へと連れ出した。
「…いいのですか?」
「もう必要な挨拶はない。少し休憩だ」
ミランダの腰にそっと手を添えながら、そういつもの口調で、でも瞳に疲れとうんざりとした本音を滲ませたブライアンに、ミランダは小さく苦笑し、「疲れましたね」と笑い混じりの声をかける。そんなミランダの笑いに、少しだけブライアンはムッとし、でも幸せそうに目尻を下げて笑った。
華やかなで騒がしいホールと打って変わり、静けさに包まれた王宮の庭園。
夜空に登る三日月は、澄んだ空気の中で優しい光を外の世界に注いでいた。
仮面公爵(私の中のあだ名)のあの発言は、王家に嫁ぐなら身分や何処か後ろ盾を持つ意味で高位貴族の養子になるのが都合がいいから、うちの子になる?という意味です。
ここで語らないと語る機会なさそうなので言いますとこの人、アメリアと友達で、アメリアとした約束を守るためにミランダを気にかけてくれている…という設定の人です。




