第五十一話 失いたくないもの
血生臭い空気が充満した客間に雪崩れ込んできた人々の中には、アームストロング公爵とアルフレッドの姿もあった。
ピエロの仮面とは違う、目元だけを隠したものをつけたアームストロング公爵は、室内の状況に一瞬顔を険しくすると、レイモンドを捕縛しようと近づくケビンを手伝うように後に続き、レイモンドの傷口を止血し始めた。
アルフレッドは震える足で真っ先にミランダの元へ駆け寄ると、言葉を失ったままミランダの肩を撫で、そして、首の赤黒くなっている手の跡を見つけ、泣きそうな顔で身体を震わせた。
そんなメルロー子爵親子の様子を横目で確認しながら、ブライアンはレイモンドの肩を手荒くハンカチで縛るアームストロング公爵へと目を向けた。
「一室借りれるか?」
「………ここ出て階段降りて、まっすぐ突き当たりの部屋。裏門にも近いから、帰りやすい」
「助かる」
ブライアンの質問に、何とも素っ気ない回答をアームストロング公爵はしながら、小さく頭を下げ、感謝を述べるブライアンを、今度はじっと睨みつける。
「詳しいことを聞きたい。レイモンドにも。城に連れていく前に、こちらで預かっても?」
「……………ケビンをつけることが条件だ」
「うん、構わない」
その言葉を聞くとアームストロング公爵はレイモンドを乱暴に立たせ、ケビンを伴って部屋から出て行った。それ続くようにまだ入り口付近にいた使用人数名がこちらに頭を下げ、アームストロング公爵が向かったのとは反対の、夜会会場の方へと急ぎ足で去っていく。
「…ミランダ、抱き上げるぞ」
アルフレッドに肩を撫でられながらも、その場から固まったように動かないミランダにブライアンはそう一言声をかけると、その両腕でふわりっとミランダの身体を横抱きにした。大人しく、ブライアンの首にしがみ付いたミランダ。そんなミランダの仕草を確認しながら、ブライアンはアルフレッドに目配せをしたのち、先程アームストロング公爵に教えられた部屋を目指して、冷えた廊下へと躍り出た。
アルフレッドに付き添われ、ブライアンの手によってミランダが運び込まれた部屋は、なんと最初にミランダ達が入った控室だった。部屋を照らす暖色系のランプの光りが暖かく、窓のない部屋には月明かりが差し込まないというだけで、ミランダの乱れた心は慰められるようだった。
その控室にあるソファの上にブライアンはそっとミランダを下ろすと、自らにこびりつく血の匂いが鼻についたのか、返り血のついた外灯を脱ぐために一度ミランダから離れた。途端に、身体を震わせ始めたミランダに、アルフレッドがすかさず隣に座り、その青白い手をギュッと握る。
「…ミランダっ」
上着を脱ぎ、再びミランダの元に戻ったブライアンが、彼女の座る目の前に膝をつき、そっとその顔を覗き込んだ。ミランダはブライアンの声に反応するようにゆっくりと顔を上げ、視線を合わせる。
「ミランダ。君は考えすぎるだろうから、敢えて言う。君のせいではない。もう彼は、7年前から壊れていた。幼い君が何もできるわけがない。だから、君のせいではない」
何度も繰り返し、言い聞かせるように"君のせいではない"と言うブライアンの言葉。それにミランダは視線を彷徨わせて、そして間を空けてから小さく頷いた。それを見てとったブライアンは一度自身を落ち着かせるように瞳を閉じると、頷いたあとすぐに俯いてしまったミランダへと再び視線を戻した。
「…ミランダ、」
ブライアンがそう呼びかけ、話し出そうとしたそれを遮ったのはノックの音。
「殿下、失礼します」
そう言って扉から滑り込んできたのはケビン。彼は3人の様子に素早く目を走らせると、ブライアンをまっすぐ見つめ報告を始める。
「アームストロング公爵に2人にしてくれと指示され、私自身大丈夫だと判断したのもあり、席を外すついでに報告に参りました」
「…様子は?」
「消沈しており、何も話しません。アームストロング公爵には私から簡潔に説明しましたところ、大層ご立腹されている様子でした」
「…そうか」
ブライアンはそう小さく呟くような返事をすると、ミランダをじーっと見つめ、そして、その隣に座るアルフレッドへと視線を向けた。
「…ケビンと少し出てて貰えるか。2人で話がしたい」
「…わかりました」
ブライアンの真剣な表情を、アルフレッドは真っ直ぐ視線を返すと、小さく頷き了承した。そして、ミランダの背を1度そっと撫でると、アルフレッドはそのまま何も言わずにケビンと共に廊下へと出て行く。
ブライアンは扉がきちんと閉まるのを確認すると、視線をミランダへと戻した。
「…大丈夫か?」
ブライアンの言葉にミランダは何も言わず、ただ涙の溜まった瞳をそっと上げた。ブライアンは先程までアルフレッドの座っていた場所へと移動し、ミランダの手に触れようとして、戸惑ったように手を引っ込めた。
「…触れても、平気か?」
ブライアンのその言葉の指す意味が分からなくて、ミランダはじっとブライアンの瞳を見つめた。そこに映る心配の色に隠れた怯えを見てとったミランダ。その感情が意味することを今度こそ理解したミランダは、自分からブライアンの空で止まった手へ触れようとゆっくり動き出す。そんなミランダの気持ちをきちんと受け取ったように、ブライアンは彼女の手をきちんと掴み、そして、その身体ごと自分の方へと引き寄せ、抱きしめた。
「…本当に、怖くないか?」
薄らと残る血の匂い。
でも、ミランダはきちんとブライアンに伝わるように必死に頷いた。ブライアンの手は命を奪うものではない。命を守るものだとわかっているから。
服越しに伝わるブライアンの体温が、鼓動が、先程のレイモンドの残像を、少しずつ薄れさせてくれる。
「ミランダ…」
そのミランダの薄い背中を、ブライアンはそっと撫でながら、ミランダが自分の腕の中にいるのを確かめるようにその髪に頭を埋めた。
「無事で、よかった……」
そう言ったブライアンのくぐもった声は、とてもか細く、震えていた。
そんなブライアンを落ち着かせるように、ミランダも彼の背をゆっくりと摩り始める。
何も話さず、互いに慰め合うように身を寄せ合うのがしばらく続いた。
ブライアンはとても軽い力で、ミランダと少し距離を開けると、不安で揺れる深緑の瞳を窺うように覗き込んだ。そのブルーグレーの瞳に宿る感情が、ミランダに彼の葛藤を伝えてくる。
「…ミランダ。側にいたいが…俺は城に戻らないといけない」
その言葉にミランダはくしゃりと顔を歪めながらも、小さく頷き返した。
「…わかっています」
「すまない…責任ある立場にいる以上、やらないといけないことだ」
「…はい」
ブライアンを安心させようと無理に笑うミランダ。その表情を見つめたブライアンが彼女のダークブロンドの髪をそっと撫でる。
「…しばらく朝も行けないかもしれない。だが、終わったら必ず会いに行く。だから…我慢しすぎるな」
「…はい」
「…辛くなったらアルフレッド殿に話すか、ハンナでもいい。俺に手紙を書いてもいい。きちんと吐き出せ。考えすぎるな」
「………はい」
ミランダは素直にブライアンの言葉に頷きながら、ブライアンの心配そうな顔をじっと見つめた。
ーもし、この人の存在がこの世から急に消えてしまったなら…
ふとレイモンドに起こった悲劇を自分に重ね合わせてしまい、ミランダは胸を突き破られたような深い苦しみに顔を歪めた。
「ミランダ?……どうした?不安なら言え」
突如大きく変化したミランダの表情に、ブライアンはミランダに視線を合わせ、その顔を正面から覗き込む。
「……お願いがあるの…」
「なんだ?」
「…しばらく会えない分、強く、抱きしめて下さい」
そう言ってポロポロ涙を流し始めたミランダ。それを認めたブライアンは小さく舌打ちし、顔を歪めるとその華奢なミランダの身体を強く、その腕の中へと閉じ込めた。
「そんなこと言われて、抱きしめないわけがないだろうっ」
「…ごめんなさいっ」
「…………謝らなくていい」
その言葉を最後に、またミランダとブライアンは互いの存在を確かめるように強く、抱きしめ合った。
それはケビンが控えめにノックするまで続いていた。それを合図にそっと身を離し、ブライアンに泣きながらも懸命に笑いかける。
「…きっと馬車が裏手に回っている。それに乗ってアルフレッド殿と帰ってくれ」
「…ブライアン様。……その、お待ちしてますので」
ミランダのその言葉に、ブライアンはギュッと眉を寄せると、耐えきれなかったようにミランダのまろい額に小さく口づけを落とす。
「…いってくる」
「…いってらっしゃいませ」
そのやりとりを最後に、ブライアンは外套を片手に薄暗い廊下へとその姿を消して行った。




