第四十九話 月明かりに狂う人
残虐な描写あり。
ご注意下さい。
ミランダは何故こんなことになったのかと、自分の浅はかさを自嘲した。
薄暗い月明かりの差し込む一室。そこの窓辺へと立っていたその男を見た瞬間に、ようやく嵌められたのだと理解したのだ。
ミランダに『憧れてるのだ』と純粋な眼差しを以前向けてきた令嬢に"伝言"と言われて呼び出され、なんの疑いもなく信じてしまった自分。
その結果、またこの男と自分が対峙するきっかけを作ってしまったことに。
呼び出されたのはアームストロング公爵家の小さな客室。まさかそんな場所にこの男がいるとは思ってなかったのだ。いや、もしかしたら、会場に移動しなかっただけで、この男は招待客の1人として紛れ入み、ミランダを待ち構えていたのかもしれない。そんな苛立ちを隠せないミランダに、窓の外へと目を向けていた男が振り返る。
月光に照らされた銀髪は美しく輝き、しかし、影となった表情で唯一光る翡翠の瞳がギラついて、それだけでこの男の存在の"歪さ"を思い知るようだった。まるで傷を負い、死に場所を追い求め、それでも生を捨てられない…そんな手負いの動物のよう。
ーでも、これが最後の機会かもしれない。
マクスウェル侯爵家の罪が暴かれれば、その家の人間であるこの男と話す機会は、もう訪れないかもしれない。
ミランダはこの憎くてしょうがない、大嫌いな男に、どうしても聞かないといけないことがあるのだ。
ーなぜ、姉様を殺したの?
「嘘の伝言で呼び出してまで、なんの御用でしょう?マクスウェル侯爵家次期当主様」
敢えて平静を保つため地声よりすこし高い、よそ行きの声をミランダは選んで出した。身体の横で握りしめられた手を意識して緩め、お腹の前で重ねながらも、じっとその動向1つも見逃さないようにレイモンドを見据えるミランダ。彼女の目にはあの頃から幾らか歳を重ね、そしてあの満月の夜からは少し痩せたように見える男の姿が映っている。
しかし、そんな彼女の真剣な顔をレイモンドは静かに見つめ返しながら、何かに気がついてしまったかのように、"笑った"。それはもう、心底おかしいと言いたげな声を上げて。
顔を片手で覆い、頭を抱えるようにしながら声を立て、不気味に笑うレイモンド。彼の抑えた手からは、「なんだ。やはり、そういうことか」と意味のわからない言葉がこぼれ落ちている。
「化けて出るとは思っていたが……それほど俺のことが憎いか?」
笑い混じりの愉快そうな声でそう口にしたレイモンド。その瞳は正気とは到底思えない、ひどく濁ったものに変わっていた。
その狂気の色を向けられ、ミランダの背に走るのは得体の知れない恐怖からの悪寒。ミランダは本能的に一歩、その場から逃げるように後退る足を、なんとかその場に留めおく。
そんなミランダの怯える様子すら楽しそうに、レイモンドは仄暗い笑みを浮かべ、ミランダに近づいてくる。近衛を表す臙脂色の軍服の腰から下がる剣が、歩くたび剣帯とぶつかり音を放つ。
「追いかけっこは楽しかったか?」
ミランダには理解の出来ない、お遊びようなレイモンドの謎かけ。目を見開いたまま、その場から動かないミランダにあっという間に近づいたレイモンドが、その手をミランダの頬へと近づける。
「ーーなぁ、アミィ?」
信じられなくて、ミランダは頭が真っ白になり、今度は金縛りにあったかのようにその体を凍らせた。
付けていた仮面をレイモンドの手によって剥ぎ取られる。
当然、その下にあるのはミランダの顔だ。
なのに、
ミランダは彼が自分を見つめる瞳に映るものを知っている。
何度も、もう身近になってしまったくらいブライアンから自分へと向けられた、触れれば焦げつきそうなになるほどの熱情だ。
「なっ、なんで……」
ーなぜ、今ここで、そんな声で呼ぶの……
他でもない。
ミランダの姉、アメリアの愛称を。
怖かった。仮面を剥ぎ取ったその手が。そのまま愛おしげに自らの頬を滑る感覚が。それはミランダの知らない感覚だ。自分の安心できる仕草と、温もりと、全く違う手だ。
そしてレイモンドがそれを向けるべき相手もまた、間違っているはずなのだ。
「…レ、レィ、にいさま……?」
あのレイモンドがミランダにアメリアを重ねてみている。そんな信じたくない現実から逃れるように、もう呼ばないと誓ったはずのそれが、ミランダの口からついて出る。
しかし、そんなミランダの声は届いていないのだろう。レイモンドはその呼びかけに応えず、まるで勝手なことを話し始める。
「本当にどうしようもない…俺の知らないところで他の高位貴族に声をかけては媚びを売るくらいだ。権力が好きだとは思っていたが、まさか王太子を使って玉の輿とは。どうだ?俺を踏み台にして高台に上がった気分は?楽しかったか?」
甘く響くその声は、簡単にミランダの心を打ち砕く。完全にレイモンドが、ミランダとアメリアを同一視しているとわかる発言の数々に、ミランダは激しく動揺した。
ーなんで……ずっと、『お前たち似てないな』って。他でもない、貴方が、言ってたのに…
髪に癖があるか、ないか。そして微妙に違う瞳の色以外は、外見がよく似ていると言われる姉妹だった。でもよく見れば顔の造形も、そして何より性格が全然違っていて、それをミランダが気にしていると知っていてわざとからかっていたレイモンド。それを嫌でも覚えているからこそ、ミランダはわからなかった。何故、レイモンドがミランダをアメリアと呼ぶのか。
「私は、姉様じゃない……」
ーだってアメリア姉様は、貴方が、自分の手で…
「アメリア姉様はもう…..…死んじゃったわ……」
ー貴方が、殺したから。
窓から差し込む光が真っ直ぐレイモンドを照らしていた。
それを背に抱きながら、レイモンドはその表情を削ぎ落とすと、ミランダを見てボソリと告げた。
「…それを、お前が言うのか?」
意味がわからなかった。
ただ、怖かった。
目の前の男が、昔"兄"と慕ったはずの彼が、
何も映さない瞳を向けてくることが。
「…お前が、あんな奴を庇って勝手に死んだから………だから、俺はこんなに苦しいんじゃないか」
そう言って笑ったレイモンドは空っぽだった。
「お前が、俺の名前を呼んだから。だから俺はあいつを斬った。なのに、お前が、とどめを刺そうとしたら、アイツを庇って前に出たから、だからお前が死んだんだろ?『助けて』って言ったくせに…『レイ』って呼んだくせに、お前が……アイツを選んだんだっ!!」
話してる途中から感情が高ぶり、抑えられなくなったレイモンドが、ミランダのその細い腕を捻り上げ、もう一方の腕を逃がさないとでも言うようにミランダの腰へと回した。
急に近づいた距離。恋人や家族ではなければ許されないようなその距離感に、腕の痛みよりもまず、その身に纏わり付く感触に嫌悪感を抱いた。
力づくで押さえつけられ、拘束される恐怖。そして何より、知ってるようで知らない、目の前の男の存在が、恐ろしかった。
「…だが、俺も昔より大人になった。お前が、権力が好きだろうと、男好きだろうと、これっきりだと言えるなら許してやるさ。なぁ、アミィ?少なくとも婚約をしようと思うほどには俺を気に入ってたんだろ?それとも…俺を拒んだ挙句、悲劇のヒロインよろしくあの女の仕打ちに耐えていたのは、お前の妹の言う"王子様"とやらにお前も憧れてたからか?俺を踏み台に、もっといい男に乗り換えようと思ってたのか?……答えろっ!!」
レイモンドの口から出てくるのは言い掛かりとしか言いようのない言葉の数々。そして現在と過去とが入り乱れたその内容が、彼の正気ではない様子をありありと伝えてくるのだ。
「…そんなにあの王太子がいいのか?だから、俺のことを拒んだのか?」
「姉様は…貴方を拒んだことなどないはずよ。姉様は貴方のことを、常に思っていたわっ」
「じゃあ、なぜだっ!何故お前は俺の婚約を受け入れないっ!!結局、他の男を選ぶんじゃないかっ!!」
「私は、アメリアじゃないわっ。なんでわからないの!?」
ーおかしい…おかしいわよっ!だって……
ミランダは心の中で信じたくないと思いながらも、次々と集まる真実のかけらから、"レイモンドがアメリアを殺した"という事実を理解していた。だからこそ、レイモンドの口からその真実を吐かせたかった。
本当に、レイモンドはアメリアを憎くて殺したのか。
本当の兄のように慕ったレイモンドだからこそ、彼が犯した罪を、自分の口から語った真実を、ミランダは受け止めたかった。何度だって憎いと、殺してやろうと思った。でも、自分には彼の死を心から望むことは出来ないと分かっていた。どんなに変わってしまおうと、彼がミランダにとって"大好きだったレイ兄様"であった事実は消えないのだから。
だから、ミランダに全てを語った上でレイモンドに罪を裁かれて欲しかった。
なのに…
ーこれじゃまるで…姉様を助けようとしたのに、殺してしまったと言いたいの?
ミランダはレイモンドの言葉の端々で語られた内容に驚愕し、ショックを受けた。そんな救いのない真実を、聞きたいわけではないのだ。しかし、それを問いただせるほど、目の前のレイモンドが正気を保っているようにミランダは思えなかった。
「黙れっ!!」
「おかしいわよっ!…姉様を殺したって、わかってるのに……なんで……」
ミランダの泣き叫ぶ声に、レイモンドが笑う。
「あぁ、殺したさ。でも、アミィが俺を置いて行くわけないだろう?」
何を馬鹿なことを言ってると言いたげな、レイモンドらしい皮肉げな口調で言われた言葉。
ーそんなの、狂ってるわ…
そして、ミランダは理解してしまった。レイモンドがもう誰も、何も、現実さえも信じられず。姉の死を信じられていないのだと。
「…冗談でしょ?」
ミランダの口から溢れたそれは笑えない処か震えていた。
しかし、そんなミランダの懇願も聞こえていないのだ。レイモンドは何も映さないその瞳でミランダを見つめると、薄い笑みを浮かべる。
月明かりで逆光となったその顔は、よりその残虐性と狂気を際立たせる。
「でも、それもいいかもしれないな」
そう言ったレイモンドは突如ミランダを床へと叩きつけ、その細い首へと手をかけた。暴れるミランダの身体にのしかかり、その掌にじわじわ力を加えていく。
「お前は生きてる限り、すぐ他の男を惑わせる。マクスウェルはもう終わりだ。じきにあの馬鹿な親父のことが公になる。そうすれば俺は、お前の欲しかった地位を持たないただの男になる。お前を手に入れるならお前を殺して俺も死ぬのが確実だと。そうは思わないか?アミィ」
そう言って、ミランダの首を締めながら、男は悲しそうに笑った。




