第四十六話 怪しい招待状
「…ということで。あまりにも料理も掃除もやらせて貰えないと私自身ストレスになるみたいなので、ハンナに当番制にして貰ったんです。それでも、夕飯とその後の後片付けは譲ってくれなかったけど」
「そうか。でも、また出来てよかったな」
「はい。私、家事するのやっぱり好きなので嬉しいです。お菓子作りだけじゃ心許なくて」
「次は週一でいいから夕食の作る権利を交渉する予定です」と意気込むミランダに、ブライアンは「そうか」と仄かに笑いながら相槌を打った。
変わらず穏やかな日々が続いている。いつも必死に何かに追われていた感覚があったのに、こんな和いだ気持ちで過ごせるものなのかとミランダは純粋に驚いていた。今まで過ごしていた1日、1日が、本当にゆったりと優しく進んでいく。
マクスウェル侯爵家やレイモンドのことはまだ終わってはいないが、近々決着がつくとブライアンはミランダに教えてくれていた。そこに不安や、これでいいのかという葛藤がないとは言わない。でも、何かあっても大丈夫だと思える心強さを、ミランダは自身の心に、そして周りの人々の支えに見出していた。
「…今日、行くのか?」
「はい。元から出席でお返事してます。それにあれ以降、社交界から遠退いて変に勘繰られても嫌ですから」
ミランダのことを心配そうにじっと見つめるブライアンの瞳。そのブルーグレーの瞳をまっすぐ見つめ返しながら、ミランダはにっこりと笑う。
今夜、前々から行く予定になっていたアームストロング公爵家の夜会だ。招待状か送られてきたときには、だいぶ先だと思っていたが、時を経つのは案外早いものだ。
そして、それはつまり、ブライアンとミランダが当たり前のように話すようになってもう2ヶ月ほどは経っているということ。
ミランダ以外の男性陣、ブライアン、アルフレッド、ダニエルの3人はグリーンフィールド公爵家でのことを始め、ミランダは色々大変だったから今回は休んでもいいのではないかとミランダに提案していた。正直、今まで関わりのなかった家からの招待だから、ミランダを行かせるのは不安だというのと、今代のアームストロング公爵が大変変わり者として有名なので心配だからという本音もある。
しかし、ミランダは行くことを決めた。そこには先程ブライアンに述べた理由もあるし、何より、ミランダ自身が行くべきだと思ったからだ。
ーまだ覚悟があるとは言えない。だけど、これから先もブライアン様の隣を望むなら、なるべくブライアン様が批判される材料は減らすべきだわ。
「…私は今日、他の用があって行けない」
「はい、何度も聞いてます。ブライアン様とダンスできないのは寂しいですが、ブライアン様に会うためだけに夜会に出るわけじゃありませんから」
「…………そうか」
「そんなあからさまに落ち込まないでください。ブライアン様とは毎朝、この時間にお会いできるでしょう?」
自分に余裕が出てきて、ミランダには気がついたことがある。それは、ブライアンが案外自分の感情に素直だということ。表情はよく見ていないとあまり変わらず、わかりづらい。しかし、それに反して、その瞳はよく感情のつくまま、言いたいことをはっきりと写しているのだ。本当は前々から気がついていなかったわけではないが、密かにそれをよく観察するようになって、最近確信したというのが正しい。
そして、その観察で見つけたブライアンの瞼を静かに閉じる癖。あれは何か感情を押さえ込んでいる時、そして何かを熟考しているときのものだと言うこともわかってきた。そしてたった今、ブライアンは少し寂しそうな瞳を隠すように、そっと瞼を閉じている。
「…まだ、あのドレス姿は見てない」
「そんなのいつでもお見せしますよ?よろしければ、今から着てきましょうか?」
「…いい。それならさっさと用事を終わらせて、夜会に飛び入りする」
「はい、お待ちしていますね」
そうニコニコと可愛らしい笑顔を向けてくるミランダに、ブライアンは本当に"さっさと用事を片付けよう"と固く決意する。
「…そろそろ時間ですよ、ブライアン様」
「………………あぁ、」
そんな名残惜しいやりとりの後、いつものように2人で玄関へと向かう。
「いってらっしゃい」
そう言ってはにかんで見送るミランダの言葉に、ブライアンは少し瞼を閉じ、そして口を開く。
「…次は、俺がエスコートしたい。だから、頑張る」
ブライアンの不意打ちのような甘い言葉に、目を見開いたまま固まってしまったミランダ。そんなミランダの反応を本当に愛おしそうに見つめた後、ブライアンは「いってくる。君も気をつけて」と言い残し、颯爽と走り去っていく。
「い、いってらっしゃいませっ!!」
一度別れの言葉を告げたことも忘れ、その後ろ姿に咄嗟にそう大声で返したミランダ。
「…本当に、ずるいわ。ああいうの」
ミランダはそう呟きながら、瞬く間に淡く染まっていく自分の頬を掌でそっと覆い隠した。
アームストロング公爵の大きな屋敷は、メルロー子爵家とは反対、王都から見て北東側の王都領の外れに建っている。そして、その屋敷…いや小さな城は、普通に建っているだけなら古城とも言える、薄灰の壁と深いブルーの屋根の美しい建物なのだが、その日の様相はかなり変わっているようだった。
「…なんで風船?これは…なんかの魔除の仮面か何かかなぁ?」
ミランダの隣で彼女をエスコートするアルフレッドが、ミランダの心を代弁するように感想を口にしている。
何故か、その古城を飾るように色鮮やかな風船が至るところに括り付けられている。さらに、なんかよくわからない羽飾りや、仮面、少し奇怪なオブジェなどがこれでもかと置いてあり、それがさながらお化けが出てくる呪われた城を連想させる。
ー普通の…夜会の招待状だったわよね?
ミランダは顔が引きつるのを自覚しながら、素直な表情を晒し、周囲を見回すアルフレッドの腕を叩いて正気に戻させる。
正面の門から長々と続く夜の妖しげな装飾をされた庭園を抜ければ、案内と思われる使用人たちに出迎えられ、その1人にアルフレッドは招待状を渡した。それを確認したとても愛想の良い男性は、「招待客の皆様はそれぞれ一度控えのお部屋へと案内させて頂いてますので」と、ミランダとアルフレッドを何処かへ案内し始めた。
外同様、歴史を感じさせる美しい彫刻や天井画、調度品の数々を塗り替えるような異質な装飾の数々。流石に廊下の曲がり角に飾られた十字架にかけられた骸骨を見たときには、ミランダは思わずアルフレッドに抱きついてしまった。
ーこれは…公爵様の趣味なのかしら?それとも今日だけの特別な趣向??
元々オカルトなものが得意ではないミランダからすれば、大いに恐ろしい飾りの横をビクビクとしながら通り過ぎる。
そうしてたどり着いたのはある一室。入った瞬間、奇怪な飾りのない普通の控室の様子に、ミランダは心の底から安堵の息を漏らした。しかし、その中央にあるソファテーブルの上にはティーセットではなく、異様なものがずらっと並べられていた。
「主人より、皆様にはこちらの仮面をつけ、仮装した上でのご参加をお願いしたいと承っております」
そうニコニコと告げた、アームストロング公爵家の使用人。その言葉通り、テーブルに並んでいるのは奇抜な色合いや派手な装飾が目立つ仮面の数々。
「…どういうことでしょう?」
困惑のあまり、素直にその使用人に問いかけたミランダ。その言葉に、男性はニコニコと笑いながら「本日の夜会の催しですので」と簡潔に答える。
「うわぁ〜、仮面舞踏会かぁ〜。僕の若い頃流行ってたなぁ〜」
完全に固まるミランダの後ろで、アルフレッドの呑気な声が聞こえてくる。
「それとメルロー子爵、並びにミランダ様、」
はっきり言ってもう帰った方がいい気がしてきたミランダに、その使用人は言葉を続ける。
「催しが始まる前に主人が、お二人にご挨拶したいと申しておりました。ですので、そちらもご了承頂きたいと思います」
そうして、拒否権が与えられるわけもなく、ミランダはこの奇怪な催しを開いた公爵と夜会前から会うこととなってしまった。
アームストロング公爵。
ミランダは彼に会ったことが実は一度もない。王宮舞踏会も、『人が多くて酔うから嫌だ』と個人的な王家への謁見で代わりを済ませ、出席しないほどの変わり者だとは聞いている。他に、ミランダの知る彼の情報は独身であること、年齢は30代前後であること、そしてブライアンと同じく王国騎士の第四番隊、所謂特務部隊と呼ばれる部隊の隊長であること、それくらいだ。あとは『笑いかけられると魂を抜かれる』とか、『彼に睨まれると石化し、跡形もなく殺される』とか本当とは思えない噂もあるが、本当に謎が多い人物であることは確かだ。
「…お父様、本当にアームストロング公爵と知り合いではないのよね?挨拶して、実は少し会話が弾んだことあったとか、本当に忘れてないわよね?」
「残念ながらないね〜。公爵とは一応挨拶はするけど、ジッと見つめられる以外、なにも反応を返されたことなんてないもん。ダニエルも関わるとしたら高位貴族より商人だろうし」
2人して夜会前にわざわざ公爵自ら控室を訪れるという事実に、戦々恐々としていた。なんといっても相手は変人として有名な公爵様。自分たちと繋がりのわからない人物がわざわざ夜会前に時間を割いて会いにくる意味が、さっぱりわからない。
使用人が部屋を出て行ってから半刻ほど、まだ2人の動揺も治らないそんな時に、キィーッと、ノックもなしに静かに入り口が開かれる。その些かホラーチックな扉の開き方に、ミランダも、そして今度はアルフレッドまでも、その体をビクッと震わせた。
そしてそんな2人の視線の前に、ひょっこりと1人の男性が姿を現した。
そう、ひょっこりと。




