第四十五話 ミランダとグレース
そんな穏やかな日常の中でも、ミランダからすればちょっとした事件だった出来事がある。
グレースのことだ。
ミランダの自室立て篭り事件から5日目。グリーンフィールド公爵家の夜会からは1週間はとうに経っていた日のことだ。
先に『具合が悪くなった』という伝言だけ残して帰ってしまったことと、その後連絡をしなかったことを謝りに行こうと、馬車でリチャードソン伯爵家へと向かったミランダだったが、そこで彼女を出迎えにきたのは、何故かユージーン リンカーソルだった。
「ごめんねぇ〜。僕がカウンセラーとして派遣されてるんだけど、まだ僕の"ちびっ子ちゃん"出てきてくれないんだ〜」
そんなフワフワとした口調から軽く告げられたのは、なんとグレースが落ち込みすぎて、自室に立て籠もっているということだった。なんとも自身の行いとデジャブを感じさせる展開に、ミランダは呆気に取られつつもとりあえず、グレースのいる私室の前へとユージーンと共に向かうことにした。
「メドゥ?僕だけど。ユリの花のお嬢さん来たよ〜?会わないの?」
ユージーンは意外にも控えめなノックをした後、グレースのミドルネームの愛称と思われる名を呼び、扉の向こうへと語りかけた。その声に反応し、ガシャンッと何かが割れる音が扉越しで聞こえ、その後駆け寄ってくる足音。しかし、聞こえたのはそれまでで、どれほど待ってもそのグレースの部屋へと続くドアは開く気配を見せなかった。
「会いたくないの?メドゥ?」
ユージーンはとくに気にした様子もなく、変わらずなフワフワとした口調で、不思議そうに首を傾げている。
ミランダも、普段の猪突猛進なグレースなら一も二もなく扉を開け、突撃してくると思っていたので、この状況は予想しておらず、心配から眉を下げ扉を見つめた。
「…グレース?」
ミランダの不安そうな呼びかけに、扉の向こうからはドレスの擦れる音だけが返ってくる。
「ん〜、無理だね。コレ」
そんな沈黙が数秒も続かないうちに、ユージーンはあっけらかんとそう宣言し、その瞳を隠すように加工された眼鏡越しにミランダに笑いかけた。
「ユリの花のお嬢さん。応接室でも行こっか。僕で良ければお話しするよ〜」
そう言って犬猫を引っ張っていくような軽いノリでミランダの手首を掴むと、そのままスキップしそうなノリでと廊下を歩き始める。
「メドゥ〜!気が済んだら出てくるんだよ〜」
そんなフワフワとしたお気楽な言葉を言い残し、ミランダはユージーンに引きづられてその場を後にした。
そうして到着したのは、美しく整えられた応接室。
メルロー子爵家とは比べ物にならない、広さも調度品も、全てが優美で豪華な白と紺を基調としたその一室は、ミランダが初めてリチャードソン伯爵家を訪ねたときに通された部屋でもあった。
リチャードソン伯爵家は誰かの好みなのか、白を基調とし、それに差し色を入れるインテリアがとても多いのだ。
「座って座って〜。メドゥはね、基本前向き、前のめりなんだけど、あそこまで落ち込んでる時はみんな何しても無駄なんだよね〜。でも、気に入ったものが離れて行かれるのも嫌なタイプだから、今日中には現れると思うんだ〜」
そう言ってグレースについてのよくわからない理屈を話すユージーン。そのままの口調でお茶を出してくれた侍女に『ありがと〜』と言いながら、呑気ににこにこと笑っている。
ミランダからすると、グレースが何故そこまで落ち込んでいるのかもわからないし、正直不安なのだが、グレースのことをよく知ってそうなユージーンの言葉なら信用していいのではと、とりあえずここで待つことを決めたのだ。幸運なことに、すっかりこの頃は夕飯当番をハンナに取られてしまったミランダは、早くメルロー家に帰る必要に迫られていない。
「…グレースとは古くからの知り合いなんですか?」
ミランダはまだ会って2回目の、それも天然っぽい相手に何を話しかけていいか分からず、無難な話題をユージーンに振ってみる。
「うん。メドゥは一時期、我が家で保護されてたからねっ」
それに対して、ユージーンはなんとも突っ込みづらい絶妙な答えをミランダに返した。
ー保護?
少し不穏なその言葉にミランダは首を傾げ、あることに思い至る。ミランダがグレースという人物について、あまり詳細なことを知らないという事実に。
性格は知っている。味の好みやドレスの好み、グレースのコンプレックスなどは知っている。しかし、彼女の家のことや生い立ち、それこそ最近ミランダがブライアンと話すようになった日常の思い出話などを、一度だってしたことがないのだ。
そのことに少し衝撃を受けているミランダに気がついているのか、いないのか。ユージーンはなんてことないように、呑気に言葉を続けていく。
「メドゥのママはさ。あっ、ミーシャじゃなくて本当のママの方ね。侯爵家の出の、すごく貴族らしくて厳格な女性だったんだよね。だから、メドゥのことをまだ幼い子供の頃からとっても厳しい教育をメドゥにしてたんだ〜。度を越すと、メドゥを殴ったり、ご飯抜きにしたりして」
あっさりとユージーンの口から暴露されたグレースの過去の断片。その予想外の重い内容にミランダは言葉を失うと同時に、本人の知らないところでそれを知ってしまったことに強い罪悪感を覚えた。
「まぁ、それで。あの夾竹桃みたいな女の人、苦手みたいでね〜。たぶんメドゥ、僕のこと脅されて君を連れて行くしかなかったんじゃないかな〜?」
ミランダの相槌がないことも気にせず、急に話題を飛ばしながらそう話したユージーン。話が急に飛躍し過ぎているのと、彼独特のネーミングで混乱しながらも、なんとなくでミランダは彼の言いたいことを考えて行く。
ー夾竹桃がディアナ様を指していたとしたら…グレースは私を公爵家の夜会に連れて行ったのを後悔して落ち込んでるってこと?
「セオドア様は…何かおっしゃってましたか?」
ミランダもブライアンに最近教えてもらったが、セオドアは王宮の官僚であると同時に、所謂ブライアンの側近のような立場にもあるらしい。そして、そんな彼がブライアンから今回のことを全て聞いていない訳がない。しかし、ユージーンの口ぶりを聞く限り、グレースはミランダが巻き込まれた夜会での出来事全てに後悔してるというより、ミランダとディアナを合わせたことを後悔しているようにミランダには感じ取れたのだ。
「ん〜…セオドアは忙しいってのもあるけど、メドゥにはノータッチだよ。元々メドゥはセオドアをすごくライバル視してるから、セオドアもそれをわかっててわざわざ慰めることはしないからさ〜」
「まぁ、2人は本当にいろんな意味でライバルだからね〜」とこれまたよくわからない事情をさらりとミランダに告げながら、ユージーンは目の前に出された茶菓子のクッキーを嬉しそうに頬張っている。
そのタイミングでノックもなく、カチャリっというドアノブの音と共に、応接室の扉が開いた。
「ジーン…勝手に人のことをペラペラ話すのはデリカシーがありませんわよ」
そこに現れたのは、化粧も何もしていない、明らかに部屋着だと思われる簡素なワンピースに身を包んだグレース。その声はいつものような張りはなく、弱々しいが、それでもそのつり目気味の勝気な瞳は、きちんとミランダを見つめていた。
スタスタと歩いてきて、珍しく対面ではなくミランダの座るソファの隣へと腰を下ろしたグレース。そのまま何も言わず、ただ泣きそうな顔でミランダを見上げると、そのまま静かにミランダに抱きついた。
「ごめんなさい……ミランダ」
いつもの素直じゃないグレースからは考えられない弱気な様子に、ミランダは困惑した表情のまま、そっと慰めるようにその背を撫でた。
「…グレース?貴女は何も悪いことはしてないと思うのだけど。…それにディアナ様に会いたいって私が貴女に言ったのよ?」
ミランダの慰めるようにグレースに言い聞かせた言葉に、グレースは少し体を離し、小さく首を振る。
「でも…わたくし、気がついてましたわ。たぶん、ディアナ様は、王太子のためにミランダを排除する方へ動くと」
ー…ブライアン様が来なければ、そうなってたかもしれないわね。
ミランダからすれば、もうかなり前のことのように思える温室の出来事を思い出しながら、グレースの言葉から冷静に思考を巡らせる。
ーもしかして…グレースはあの夜私に起こったことは何も知らないのではないのかしら?
もしグレースが温室での出来事を知っていたら、落ち込むよりもまず先に、ミランダの無事を確認しようと突撃してくるだろう。そして、レイモンドのことを知っていたらなおのこと落ち込むどころではなく、怒り狂って対抗策を練り始めるだろう。
ミランダは自分の中に浮かび上がった推論を信じて、少し演技をしてみることに決めた。
「ねぇ、グレース?何か勘違いしてない?私、あの日は本当にディアナ様とお話ししてる途中で具合が悪くなってしまって、公爵家の馬車で送ってもらっただけなのよ?」
そう戸惑ったような表情を作り、グレースの顔を覗き込んだミランダ。その言葉に、グレースはゆっくりと顔を上げると、眉を寄せ疑うようにミランダをじっと見据えた。
「本当ですの?貴女、会場に入るまで具合悪いように見えなくてよ?」
「…実は私、暗所恐怖症なのよ。あのお屋敷、暗かったでしょう?人もたくさんいるし、我慢できると思ったんだけど…あのあとディアナ様に連れて行ってもらった温室でさらに薔薇の香りに酔っちゃって。あの時は本当にディアナ様にもご迷惑をかけたわ」
暗所恐怖症というのは嘘だが、ミランダがグレースに聞かせた話は全くの嘘ではない。温室で"香り"に酔ったのも、そのあとディアナの計らいで侍女たちにお世話になったのも本当のことだ。
「…本当に?」
「えぇ。それで私には珍しくここのところ社交を頑張ってて疲れたのか、家に帰ってすぐ寝込んでしまったの…連絡できなくて勘違いさせたみたいね」
そう言って申し訳なさそうに笑うミランダ。その表情をまじまじと見つめたグレースは急に顔を赤く染めると、照れ隠しのように顔を背け、ミランダの横から少し飛び退いた。
「なっ、なによっ!まぎらわしいっ!!そういうことなら早くおっしゃってくださらないとっ。本当に…悩んでたわたくしが馬鹿みたいですわ」
ミランダの目論見通り、意外にあっさりと信じてくれたグレース。ミランダはグレースにそれは申し訳なさそうに『ごめんなさいね』と告げながら、内心とても安心していた。
ー嘘はついてしまったけど…たまには許してね、グレース。
そんな2人のやりとりをホワホワとした笑顔で興味深げに見ていたユージーンが、何か思いついたようににっこりと笑う。
「じゃあ、僕はお役御免だから、研究しに帰るね〜。メドゥ、またね〜」
そう主にグレース宛に言い残して、ユージーンはそれはそれは先程以上に嬉しそうな軽い足取りで、応接室から颯爽と帰って行った。
「…変わった方よね」
「ジーンにしては今回、最大限優しい対応で正直驚きましたわ」
ミランダの呟きにそう返したグレース。グレース曰く、ユージーンが研究を放って他のことを心配することは殆ど稀、むしろ奇跡に近いのだとか。
「グレース、」
改まったミランダの呼びかけに、グレースはキョトンと瞳を丸くしてミランダを見る。
「私、ディアナ様に会って良かったわ」
温室での出来事が良かったとは言えないが、ディアナにあったことでミランダは自分に必要なもののヒントが見つけられたのは事実だ。これから先、ブライアンと共に生きていきたいと思うなら、もっと学ばなければならないことはいっぱいある。
「…まだ片付けないといけないことがあるからすぐではないのだけれど、それが終わったらグレースにお願いしたいことがあるの」
グレースは高位貴族であるリチャードソン伯爵家のご令嬢、王族に嫁ぐための教育について詳しいことからも、彼女がそれを学んでいないとは考えにくい。
ー自分の心に素直に生きると決めたのなら、それ相応の覚悟と努力を…それはきっと、私のためにも、ブライアン様のためにも繋がることだと思うから。
「…いいかしら?」
そう強い意志を滲ませた笑顔で問いかけたミランダに、真剣な顔でそれを受け止めたグレースが、ニヤリと笑う。
「そんなこと、お安い御用でしてよ?なんてったってわたくし、貴女のたった1人の親友ですからね」




