第四十四話 変わりゆく日常
冬の森に降り積もった雪が、春になり、ゆっくりと地へとに染み入るように、メルロー家のわだかまりは少しずつ解消されていった。
ミランダはアルフレッドとダニエルとこれまで出来なかったいろんな話をした。本当に下らないことから、大切なことまで。ブライアンとの朝のお茶会を真似したわけじゃないが、自然と夕食の後に居間に集まり、1時間ほど話す時間を作るようになった。
その家族団欒の会話の中で、1番の変化はミランダの母、ヴァレンティナや姉、アメリアの話をするようになったことだろう。
『お母様ってどういう人だったの?』
今まで口にしてはいけないと無意識に避けていた話題。それを、ミランダが思い立ったように口に出し、問いかけたのはいつだったか。その言葉に最初2人は驚いた顔をし、アルフレッドは嬉しそうに、ダニエルはちょっと困った笑顔を浮かべた。
『ヴァレンティナはねぇ、前向きで元気な僕の最愛の奥さんだよ』
『母さんは…なんというか、アグレッシブだよね。姉さんと違う方向で』
2人の話す、似ているようで全く違うヴァレンティナの印象。しかも、ダニエルはアメリアまでも同じくアグレッシブと評するのだから、ミランダの記憶との齟齬に彼女は首を傾げた。
『姉様は…アグレッシブではなかったと思うけど、』
ミランダの記憶にあるのはいつも優しく抱きしめてくれたアメリア。しかし、それを聞いたアルフレッドは首を傾げ、ダニエルに至っては『前から思ってたけど、ミラって姉さんに幻想抱いてるよね』と、とても失礼なことを口走っている。
『ん〜…ヴァレンティナは何というか言葉遣いは男前で、愛の鞭みたいなスキンシップ多目だったけど、行動はかなり慎重派だったかなぁ〜。むしろアメリアの方が断然行動派だったよ。言葉遣いとか"足癖"はヴァレンティナに似なかったけど』
そうアルフレッドは腕を組み、少し明後日の方へ視線を飛ばしながら、懐かしむような笑顔でそう語った。しかし、そこに含まれる単語は思っていたものよりだいぶ不穏で、それがまたアルフレッドの楽しそうな表情と噛み合っておらず、ミランダは困惑する。
『…姉さんだって"足"はでなかったけど、手が出るのは早かったよ。父さん、何回もこめかみグリグリされてたの忘れたの?』
さらにミランダの知らない姉の事実をこうもあっさりとダニエルに告げられ、ミランダからしたらもうそれは絶句ものだった。そんなミランダの様子に気がつかず、『あれ痛いんだよなぁ〜』とぼやいているアルフレッドも、おそらくその"こめかみグリグリ"の被害者なのだろう。
『ミランダは覚えてないと思うけどね。お前は小さい頃、家の中でばかり過ごす大人しい子で、いつもアメリアの後にくっついて歩いていた。アメリアやダニエルは昔は外で活発に遊ぶ子だったから、余計にそれが気になってね』
それはミランダもなんとなく覚えていた。雛鳥よろしく、アメリアのやることなすこといつも追いかけて、真似っこしていた、そんな幼い頃の自分を。
『それに何を思ったか…急にアメリアが『私が外で遊び回ってミラを連れ回せば、ミラの内気な性格が治るわっ!』って言い出してね。あれは驚いたよ〜。服も顔も泥だらけになるのも構わず、引っ張り回すんだもん。そしたらミランダは僕らの目のないところだけで変にお転婆になっちゃって』
そうして、あははっと軽く笑うアルフレッド。その横で当時の記憶を思い出してしまったのか、ダニエルは低い声で唸っている。当の連れ回された本人はというと、そのことについては心当たりがなく、困った顔をして首を捻っていた。
ー…何故かしら?あまり記憶にないような。
『まぁ、姉さんも暫くして根本的に解決になってないとわかったのか、諦めてミラを連れ出すの辞めたんだけど。…覚えてない?その後もミラは1人で木登りしたり、なんか木の棒を剣みたいに振り回したり、その名残っぽい遊びを続けてたんだけど』
必死に思い出そうとするミランダに、助け舟を出すように告げられたダニエルの知る記憶。
ーあっ、それなら…
なんとなく、甘く爽やかな香りのする白い花のついた木に登り、お昼寝していた記憶が脳の奥の方でチラついた。
『…それは覚えがある気がするわ』
『たぶんハンナの方が鮮明に覚えてるよ。ミラが降りてこなくて、下でずっと待たされてたのはハンナなんだから』
その言葉にミランダは、小さい頃の所業とはいえ、かなり振り回して困らせたであろうハンナに、罪悪感が沸いたのは言うまでもない。
そんなこんなで、話せば話すほど崩れていく自分の中での姉の記憶と、母の幻想。しかし不思議と、ミランダはそれらをショックだとは思わず、むしろより2人の存在を身近に感じることができるようで嬉しくて、時折、アルフレッドとダニエルに2人の思い出話を子供のように強請って、聞くようになった。
そして、メルロー家の変化といえば、ミランダ達3人以外にも変化が起こった。ハンナがまた、メルロー子爵家で以前のように正式な侍女として働き始めたのだ。それも毎日。
『前々から思ってたのですが、メルロー子爵家はもうそれほど生活切り詰めないといけないほど、財政は傾いてないですよね?なのにそんなに"馬鹿"みたいに溜め込んで、いったい何に使うんです?別にこのハンナ1人働きに来たところで困りませんでしょう?』
と、押しかけ女房のような強引さで、ミランダが言い訳するのも聞かず、毎日当たり前のようにメルロー子爵家に通ってくるハンナ。元々、ミランダにお願いされたからと渋々臨時の使用人で手を打ったが、本当は前からメルロー家を離れることを納得していなかったのだろう。
さらに、そんな妻の強引すぎる行動に何か触発されたのか、ファーガスまでもハンナを毎朝送ってくるついでに"お詫び"と称して、メルロー家の馬、ユリウスの世話をしてから帰っていくのだ。
こうして、ミランダたち家族に加え、ハンナやファーガスによって、メルロー家は益々その賑やかさを取り戻していった。
「…それで兄様ったら、最近ふざけてあることないこと昔の出来事を創作してからかってくるんですよ?確かに、昔の私は"少し"お転婆だったのかもしれないけど…流石に人目がないときにこっそり抜け出して、勝手に迷子になってたなんて、信じられるわけないですよね?」
そう頬を膨らませて言うミランダに、ブライアンは眉尻をほんのりと下げながらも何も言わず、彼女の話を聞いていた。ブライアンが安易に「そうだな」と相槌が打てないのは、彼の中のミランダとの記憶に、窓掃除の途中で高い脚立の上から華麗に彼女が飛び降りた姿が、鮮明に残っていたからだ。
あり得ないことはないな、と心の中で思いながらも、ブライアンは無難に紅茶に口をつけてはリアクションを誤魔化し、ミランダの話を聞く方に専念する。
朝のブライアンとミランダのお茶会も、変わらずの日常として続いている。
前までは政治や仕事など、はっきりと言って堅苦しい話をすることが多かった2人のお茶会。たまにブライアンが軍でのことを、ミランダがドレスの話をするくらいで、その殆どが男女のするような会話とは思えないものだった。それが、ここ数日で家族のこと、日常のことを話すことがグッと多くなった。前の女性では嫌煙される話題をブライアンに対等に話してもらえるのも好きだったが、こうした日常のことを話すようになり、ブライアンのことがより知ることができるようになったことが、ミランダには嬉しかった。
「私は昔から朝駆けと称して、周りの注意も聞かずウロウロしてたからな…他の者から見ると、よく行方不明になる迷子の子供だったのだろうな」
ミランダの話を一通り聞いた後、時折ボソリと教えてもらえるブライアンの小さな思い出話は、ミランダの密かな楽しみとなっている。
とくにミランダの驚いたお気に入りの話は、ピーマンがどうしても嫌いで、食べたくなくて、専用の"ピーマン処理袋"を用意し、その中にこっそり入れて食べたフリをしていた話だ。ブライアンにも、そんな子供らしいエピソードがあったのかと、ミランダは新鮮な気持ちでそれを聞いたのは記憶に新しい。
「…そろそろ時間ですね」
「あぁ…早いな」
そんな言葉を交わしながら、2人で玄関に向かうのもお決まりになってきている。
「…ブライアン様、」
馬上に上がる前に、待たせていたフローリアの首元を撫でていたブライアンに、ミランダは控えめに声をかける。
「……マクスウェル侯爵家のこと、どうなってますか?」
黙ってミランダの方に振り返ったブライアンに、ミランダはずっと気になっていた話題を口にした。
あれから1週間が過ぎた。
ブライアンが任せろと言った通りあれ以来、マクスウェル家からの手紙は届いていない。しかし、マクスウェル家はアメリアのことを除いても多くの問題を起こしており、何かしらの処分が下るのは確実。そして何より、これであのレイモンドが大人しくなるとは、ミランダにはどうしても思えなかった。
ずっとどこかで感じ続けている不安。
果たしてこのままでいいのかと、自身の心がミランダに囁きかけてくるのだ。
「…大丈夫だ。君の心配することはない」
ブライアンはそうはっきりと断言すると、それ以上は何も言わずにミランダの頭を優しく撫でる。ミランダもそう言われてしまうと、ブライアンがこの件に自分を関わらせたくないと思っているのが伝わってきて、何も言えなくなってしまう。
「…いってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
まるで一緒に暮らしているかのようなこの挨拶も、ここ数日で根付いた習慣だ。
ブライアンがフローリアを力強く走らせるのを見送りながら、ミランダは胸に手を当て、考える。
ー本当にこのままでいいのかしら…




