第三十九話 アルフレッドの懺悔
手綱を柵に繋ぐのも待てず、ブライアンはメルロー家に着くと同時に鞍から飛び降り、フローリアの首元を軽く叩いてその場で待つように指示を出すとそのまま玄関へと駆け込んだ。
「ー殿下っ」
そこで何処かに向かおうとしていたミランダの兄、ダニエルとちょうど出会した。
ダニエルは何やら余裕のない表情でブライアンに詰め寄ると、ブライアンのシャツを掴み上げ、彼を睨んだまま必死の形相で問い詰めた。
「昨夜、ミランダがいつ我が家に帰ったかご存知ですかっ!?」
「それはっ、どういう意味だっ!!」
逆にその言葉に嫌な想像が過り、大声を挙げたブライアン。それを見て、ダニエルはブライアンが自身の言葉で何を勘違いしたのか悟り、こっちですと彼をある場所まで案内した。そこは一度だけ訪ねたことある、ミランダの私室がある場所。
「ミラっ、ミラっ、返事だけでもしてっ!!お願いだからっ、何があったんだいっ、ミラっ!!」
ドアを叩き、枯れた声で叫びながら必死に中に訴えかけているのはミランダの父、アルフレッドだ。その様子からミランダが、そこに立て籠もっているのだろうと、ブライアンにもすぐ理解することができた。
「昨夜、私たちはミランダがいつ帰ったのか気がつきませんでした。馬車の音も、帰りの挨拶も聞こえなくて、不安になり、夜中を回った頃に部屋に様子を見に行ったら、ミランダがいつの間にか帰っていて驚いたんです。その時は扉越しですが、『疲れてるからそのまま寝る』と言ってたんです。それが…今日になったらこんな状態で…」
ダニエルが苦しそうにそう説明する間も、アルフレッドは懸命に扉の向こう側へと声をかけ、扉を叩き続けている。それらを聞きながら、昨夜、何故王宮に帰る前に一度ミランダの元を訪れなかったのかと、ブライアンは深く後悔した。
「居なくなった可能性はっ?」
返事がないなら、鍵が掛かっていようと、ミランダが失踪してる可能性は十分にありえる。なにせカイの話が正しいのであれば、ミランダはかなり傷ついている。それこそ、暴行された時の女性が見せる症状が出るほどに。
ブライアンはアルフレッドを押し除ける勢いで扉に近づき、ドンドンドンと拳でその必死さを滲ませるノックの音を鳴り響かせる。
「ミランダ嬢っ、ミランダっ!!」
明らかに焦燥を顔に出し、必死にミランダに呼びかけるブライアン。そのブライアンの横顔にダニエルは夜会で何かあったのだと確信し、アルフレッドもまた力なくズルズルとその場にへたり込んだ。
ブライアンの呼びかけと扉を叩く音の合間で、ブライアンは優れた聴覚は、微かな布と布が擦れる、そんな小さな気配を扉の向こうから感じ取った。それで、ミランダがここにいると確信したブライアンはなるべく怖がらせないように気をつけながら、それでも隠しきれない後悔が透けて見える声で、ミランダにそっと話しかける。
「ミランダ…なんでもいいから、無事を確認させてくれっ」
しかし、そんな痛ましい、ブライアンの弱々しく聞こえる声にも、扉の向こうが反応することはない。
「…こじ開けるか」
ボソリと呟いたダニエルの言葉。それにすぐさま反応したブライアンが、即座に首を振ってダニエルを止めた。
ここにいるのは男3人。強引に開けたとして、父や兄、家族に対してもミランダが恐怖を覚えてしまったら…ブライアンはカイの語った姉のことを思い出し、そして恐怖する。
ブライアンは戦場で精神を病み、心が壊れてしまった者を何人も見たことがある。彼らが本当に些細なきっかけで、その後一生の廃人に変わり果てたことなど少なくなかった。もしこれがきっかけでミランダが…そんな嫌な想像が、ブライアン脳裏について離れない。
「…前にいた侍女、彼女をここに呼べないか?」
「……ハンナ、ですか?」
「頼むっ、…もしかしたら、女性なら中に入れてくれるかもしれない」
そのブライアンの言葉に、アルフレッドは恐怖に染まった顔でブライアンを見上げ、ダニエルは顔色を真っ青にして震えた。それはきっとミランダにどんなことが起こったのか、おおよその想像がついてしまったからだろう。
「…すぐにハンナを呼びます」
ダニエルはそれだけなんとか搾り出すと、玄関から外へ飛び出していった。
ダニエルは20分も掛からずハンナを連れて馬で戻ってきた。ハンナも相当焦ってきたのだろう。起きて身支度はしてたようだが、エプロンはつけっぱなし、袖の長いワンピースの腕はまくったまま、明らかに家事の途中とわかる格好だった。
しかし、そんな様子とは打って変わって、彼女はなるべくミランダを刺激しないようにと動揺の色を見せず、いつも通りの口調で扉に話しかけ、ミランダの反応が返ってくるのを窺った。
「……しばらく私だけで話しかけ続けてみます。皆様は少し外して頂けますか?動揺した男3人にウロウロされては、ミランダ様は落ち着けません」
有無を言わせぬハンナのその言葉に、ブライアンたちはひとまず、居間へと移動し、情報共有をすることに決めた。
「殿下っ、ミランダに何があったか…教えて頂けませんか?」
ソファに座って早々、今にも泣き出しそうな、しかし、しっかりした意志を見せる瞳でアルフレッドはブライアンにそう懇願した。ダニエルも眉間に皺を寄せ、苦しそうな顔で、ブライアンの言葉を待っている。
ブライアンはそんな2人に、自分の知りうる確かな情報だけをなるべく感情を荒立てずに伝えようと努力した。
ブライアンの話が終わると当然のように待っていたのは深い沈黙。アルフレッドも、ダニエルも一言も言葉を発することが出来なかった。それほどまでに衝撃を受けていた。
アルフレッドは両手で顔を覆い、項垂れて動かなくなった。その手の隙間からは涙のようなものが伝うのがブライアンにははっきりと見て取れた。
ダニエルはガンッとその拳を1度、テーブルに叩きつけたままで肩を硬らせ震えていた。その形相には怒り、憎しみ、苦しみ、悲しみ…複雑に織り混ざった負の感情が身の内でのたうっているようだった。
ブライアンはそんな2人を見ながら、自分自身の感情もコントロールが危ういほど不安定なことを感じていた。何故?どうして?どうしたら?と途方もない疑問を繰り返し、やり場のない激情で暴れないようにするのを、必死に飲み込んでいるのだ。
「…マクスウェル侯爵家と、あなたたちに何かあるのか?」
抑えようと思っても、それが今回のことと繋がっていると確信しているブライアンは、そう2人を追求するのを止められなかった。
それに1番最初に反応したのはダニエル。叩きつけた拳を血の気が引くほど握りしめ、怒りの色を濃くした。しかし、それを言葉にしたのは遅れて反応したアルフレッドだった。
「私たちの口からは…言えません」
その言葉にブライアンが噛みつくより先に、ダニエルが勢いよく立ち上がった。
「なんでっ!父さんはそん「ダニエルっ。…私はそれが家族の命に関わる可能性がある限り、決して口にすることはできないよ」
ダニエルを遮った、アルフレッドの柔らかいのに、ガンとした、確固たる意志を感じさせるその言葉に、ブライアンは強烈な違和感を覚えた。そこに感じたのはなにか懺悔にも似たもの。まるで一度、自分の行動で何かを失ってしまったことがあるような、そしてそれがまた起こることを恐怖してるような…そう感じさせるほどの後ろ暗さ。
「…脅されているのか?」
「…私の口からは申し上げられません」
ブライアンの言葉にそう答え、頭を下げたアルフレッド。しかしその行動こそが、全てを肯定しているようにブライアンには思えた。そんな父親を見て、ダニエルはクソっと口汚い悪態を吐きながら、再び腰を下ろして髪をかき乱した。
「ひとつ、私からも質問があります」
「…なんだ?」
そんな息子の様子を横目に、アルフレッドは静かに問いかけた。それに、ブライアンは真剣な眼差しを返す。
「そのミランダと揉めていたマクスウェルの方はご子息様ですか?」
「わからない。ただ、マクスウェルの者であるとだけ」
「それなら多分、ご子息様でしょうね……侯爵はアメリアのことで、私たちと関わりたくないと思っている。わざわざミランダに接触はしないでしょう」
そのよくわからないアルフレッドの推論を、ブライアンはよく理解できず表情をより厳しくした。しかし、すぐにそれがそのまんまの意味じゃないと気がつき、ブライアンは目を見開いた。
「…調べろと言っているのか?」
「もし、殿下が本当に"ミランダ"を望んでくださるのであれば」
そのアルフレッド言葉にまた含みを感じ、ブライアンはそれを問うようにアルフレッドをじっと見つめる。
「…殿下はミランダを妃にと望まれたなら、ミランダのことももう調べられたのでしょう?」
アルフレッドの確信を持った質問に、ブライアンは「あぁ、」と言葉を返す。
「当然幼い頃のミランダのことも?」
「…あぁ、」
「では、どう思いました?昔のミランダは」
そのアルフレッドの質問に、隣で静かにしていたダニエルが肩を硬らせた。それを横目で確認しながらも、ブライアンは慎重に言葉を選び、そして答えた。
「とても子どもらしい…今より感情の豊かな子かと」
「そうですね。子供らしく、無邪気で…そして姉のアメリアにいつもついて回る甘えん坊で怖がりな子。では、敢えてお聞きします。それを踏まえて、今のミランダをどう思われますか?」
「…感情を押し殺そうとして、常に微笑んでいるように思える。常に自分の足で立ち、誰も…頼ろうともしない。たぶん信じられてない。だから、仮面が崩れるととても脆いように思う」
「…そうですね。殿下は本当に…ミランダのことをよく見てるのですね」
そう静かに笑うアルフレッドは普段の抜けた雰囲気の彼と、全く別人のようにブライアンには思えた。
「今から7年前。アメリアが死んでしまってすぐの頃、ミランダが今回のように部屋に閉じ籠ってしまったことがあったそうです。…"あったそう"というのは、当時の私とダニエルは自分のことでいっぱいいっぱいで、あの子のことを気にかけることが出来なかったから。ハンナに…あとから聞いたんですよ。そして、ミランダは私が気がついたときにはもう誰も信用しない、誰も頼らない、完璧な淑女になることに固執した今のミランダに変わっていた。当時まだ10歳にもなってなかった。高位の、貴族令嬢として幼い頃から教育された子ならまだしも、良くも悪くも末っ子らしかったミランダが、ハンナに教わり家事を覚え、本を山のように読み、マナーの本や姉の日記を読んで所作を学び始めた。恐ろしいほど早かったですよ、上達が。まるで、何かに取り憑かれているかのようでした…」
そこまで語ったアルフレッドはグッと眉を引き寄せ、そしてまた静かに笑う。
「今のミランダは、幼い彼女が自分を、家族を守ろうと必死に身につけ、作り上げた彼女です。しかし、ミランダは私たちのせいで急速に大人になってしまったから、とても脆い。そして、私たちは自分のことばかりで彼女を放っておいたから、気がついたときに彼女は私たちに頼れなくなっていた。だから誰も頼れない、信じられないミランダは"過去"のことが絡むと容易く壊れてしまう」
そこまで告げたアルフレッドはブライアンに深く頭を下げた。
「こんなこと、情けない私がお願いする権利はないとわかっています。でも、恥を忍んでブライアン様にお願いします。ミランダを…私の娘をどうか、救っては頂けませんか?」
「もう、私たちでは助けてやれない…」と泣きながら続けたアルフレッド。その言葉にダニエルも何か思うことがあるのか、グシャリと前髪を握った。
「…私は、ミランダにとってまだ何者でもありませんよ?」
「それでもです。ミランダは、貴方を前にしたときだけ、感情がまた昔のようにきちんと動いていた。……たぶん、届くなら貴方の言葉だ」
そう言い切ったアルフレッドは再びブライアンを真っ直ぐ見つめ、また頭を下げる。
「全てを明かすことが出来ないのにこんなこと言うべきではないとわかっています。それでも……どうか……」
そんなアルフレッドの心からの願いに、ブライアンは大きく頷いた。
ちゃんとメルロー家の歪さに読者さんが違和感持ってくれてて、ここで納得がいくような伏線が貼れていたのか、作者はひどく不安です。
どんな家族だって、絵に描いたような円満な形を持ってるわけないのですが、
どこでそれぞれが納得して、どういった形に収めるか、それが出来てるか出来てないかなんだと思います。




