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第三十六話 騎士が志すは赤の忠誠

これよりしばらくブライアンside。

グリーンフィールド公爵家に着いた時から、何か、戦地で敵の術中に嵌りかけているときに覚える嫌な感覚にも似たものが、ブライアンにこびりついていた。

公爵の少し落ち着きのない挨拶、姿を見せないディアナ、少し騒めきが多い貴族たち。

それがミランダに纏わることだとわかったのは、尋常じゃない様子でブライアンに泣きながら縋ってきたグレースの言葉。


『ミランダがっ、私のせいでっ、…何もないと思って、連れてきて……ディアナ様がっ、』


高飛車で生意気、いつだって自信を隠さないグレースの、見たことのない泣き顔と取り乱しっぷり。そこかさらに詳しいことをセオドアから聞いたブライアンは、急いで会場から迷路のような廊下へと飛び出した。

グリーンフィールド公爵家は、いついかなるとき敵に攻め込まれても良いように、屋敷はかなり複雑な形で作られている。


ディアナ ローズ グリーンフィールド。王家に、次期英雄王(ブライアン)に生まれるその前から忠誠を誓う、公爵令嬢。彼女が何よりも優先するのはブライアンと彼の治める(ブルフェン)の未来。

もし、ディアナがミランダを"障害"だと判断すれば、ミランダは無事ではいられない。それをブライアンは十分に理解しているからこそ、幼い頃から公爵家を何度か訪れた記憶を辿り、その中の心当たりを死ぬ気で探し回った。


そうして見つけたのは赤い薔薇に埋め尽くされた温室。

入った瞬間鼻についたのは、濃厚すぎる薔薇の異様な匂い。ブライアンにはすぐにそれが薬の類だとわかった。グリーンフィールド公爵家が諜報活動及び拷問の際使用するという、"香り"を使った薬。

血の気が引いた。

口を覆い、涙を流し、苦しそうに何かに抵抗するミランダ。

すぐにこの空間から彼女を遮断しなくてはと、乱雑に脱いだ上着をミランダの頭から被せ、ディアナに温室の天井を開けさせた。

ブライアンが本気だと示すまで、決して天井を開けようとしなかったディアナ。なんとか正常な思考を取り戻し、今度は恐怖から震え出したミランダを、ブライアンは必死に宥め、そして激怒した。


何故、

そこまでして、次期英雄王(ブライアン)を玉座につけたいのか。


ブライアンが自身で王になりたいと望んだことなど一度もない。

王族に生まれたこと、王太子となったこと、英雄王そっくりに生まれたこと、何ひとつブライアンが望んだものではなかった。それでも、ブライアンは避けられない役目が、定めが、この世にはあることを理解していた。

だから、英雄王の威光ではなく、自分が王国を守っていると示す軍人としての役目(じしん)と、自分の隣で支えてくれる(ミランダ)、その2つだけの我儘は許して欲しかった。望まぬ生き方をするために押し殺した自分の中に残された、数少ない執着だったから。


段々と落ち着きを取り戻してくれるミランダを見ながら、ブライアンは恐ろしくて堪らなくなった。

もし使われたものが毒薬だったら、そうでなくても媚薬の類だったら、今ここでブライアンの腕の中にいるミランダは居なくなっていたかもしれない。グリーンフィールド公爵家は記憶を奪う薬さえも持っていると聞く。

もしミランダが自分のことを全て忘れてしまったら?

そう考えると例え自白のためとはいえ、ミランダを危険に晒したディアナが許せなかった。そして、ミランダをこれからも危険に巻き込む可能性を、一緒になっても幸せにできない可能性を知りながら、もう手放せないとブライアンの本能が悟ってしまった。


もしミランダと生きる未来に王位が邪魔なら、

ブライアンは簡単にそれを捨てるだろう。


もしミランダが国のせいで害されたなら、

ブライアンは簡単にこの国を滅ぼすだろう。


愛や恋など生ぬるい激しすぎる感情。

それが取り巻く環境から感情が薄くなったブライアンに残された、たった1つの譲れない欲だった。


そして、ブライアンはその(ミランダ)を守るためには、どんなに信用できなかろうと、嫌だろうと、ディアナの協力が必要不可欠なことをきちんと理解している。



温室へと向かう道すがら、ブライアンはこれからまた対峙する相手を思い、深く息を吐き出した。

ディアナ ローズ グリーンフィールド。英雄王の血こそ継いでいないものの、血縁は最も王家に近い、時代が違えば確実に"女王"として君臨したであろう公爵令嬢。禍々しくさえも見える美しく、血さえも吸い尽くし、咲き誇りそうな赤い薔薇を連想させる、そんな女性。

王太子妃候補に上がる前から、ブライアンは何回もディアナに会ったことがある。しかし、ブライアンが彼女に持ち合わせる感情は、生まれる前より王家に縛られたことへの哀れみと、彼女の英雄王(りそう)になれないことへの罪悪感、それだけ。

ただ、そんな生い立ちと育ち故に、決して一筋縄では行かない相手。情に訴えたところで、彼女は必ずこの国と次期国王(ブライアン)の利を優先させる。

ディアナをどのようにしたら味方につけられるのか、ブライアンには見当もつかない。


ふと、ミランダならどうするだろうと、来た道を振り返りブライアンは思いを馳せた。

とても聡いブライアンの想い人。しかし、思い浮かぶのは彼女がどのような答えを出すかではなく、先ほど別れる寸前で見た彼女の憂いと葛藤の姿だった。

ミランダはずっと何かに囚われ、何かに怯え続けている。それがなんなのか、ブライアンは彼女の調査書から推測することはできても、それを問いただすことも、救い出すことも出来ずにいた。

本当はゆっくりでもいいから、自らブライアンの手を取り、前を向いて欲しかった。だからずっと何も言わず、ブライアンはただ黙ってミランダを見守り続けた。ミランダは、自分の足で前を向いて歩ける、そういう女性だとブライアンは信じているから。

でも、もう待てる時間はそう残っていない。


「遅かったですわね。姫との逢瀬は楽しまれましたか?」


開け放たれた温室で優雅に紅茶を飲みながら待っていたディアナは、言葉とは裏腹になんのふざけた様子もなく、そう無機質な声を発すると、その無感情な琥珀の瞳をブライアンに向けた。彼女の持つものはいつも感情が伴わない、事務的なものだ。彼女は堂々たる人柄と何かを語る声以外、彼女は人間なのだと強く感じさせるものを持っていない。

それでも、こうも華やかな赤い薔薇に囲まれて、それに負けない存在感を出す人間を、ブライアンは他には誰も知らないのだ。


「…ミランダは姫じゃない」


ブライアンの知るミランダという女性は、囲い込んで守られてくれるような、そんな女性では決してない。


「いいえ、姫ですわ。だって"貴方様"が選んだのでしょう?騎士が忠誠を誓うのは王か姫と、相場は決まってますから」


ディアナはブライアンには理解できないことを口にしながら、そのままブライアンに椅子を進める。それに対し、ブライアンは黙ってそれに腰かけた。


「最終確認です。彼女じゃないとダメなのですか?側妃として置くのも?」


「ない。私にとっての唯一はミランダだけだ」


そう断言したブライアンに、ディアナは無表情のまま、スッと視線を逸らす。


「では敢えて言いましょう。彼女は王妃に向きません。"香り"を使ったとはいえ、簡単にわたくしの話術に揺さぶられ、情緒を乱す。…いえ、というより、彼女は何故か異常なほど精神が不安定だわ。推測するに…己の激しい感情に対する怖れ、嫌悪が強すぎて、抑制はできても制御はできない」


わかっているでしょうと言いたげにまっすぐ見つめてくるディアナの瞳に、ブライアンもぐっと押し黙った。


「他は貴方様や私、他の者が手を回せばどうとでもできますが、その一点だけは無理です。それは殿下もおわかりですよね?」


ブライアンはその言葉に瞳を閉じ、色々な選択肢を検討する。

そして、


「…廃嫡を望みますか?」


今、ブライアンが口にしようとした言葉を、ディアナははっきりと口にする。


「貴方様が臣下に降りれば、彼女の負担は減るでしょう。王族でなければ、彼女は十分に嫁げるだけの素養を持っている。貴方様だって、軍を辞めなくて済みますわ」


何もかも見透かすようなディアナの言葉に、ブライアンは眉間に皺を寄せ、不信感を募らせる。


「…止めるか?」


「いいえ。ただ、"貴方様"に直接仕えることができなくなるのを残念に思うだけです」


グリーンフィールド公爵の人間として、当然阻止してくると思ったブライアンに反し、ディアナは全く予想とは違う答えを返す。


「…………私が、"貴方様"の暴挙を見過ごすのは意外ですか?」


目を見開き固まるブライアンに、ディアナはその責任ある者としては愚かな、私情を優先することを揶揄しながら、ブライアンにそう問いかけをする。


「あぁ、」


「素直ですわね…まぁ、言ってしまうなら、わたくしは貴方様が王となられなくても、やりたい事をして幸せになれるのなら、本望なのです」


そう言ってディアナは立ち上がると、すぐ近くの赤い薔薇の植え込みに、そっと近づきしゃがみこむ。


「貴方様はずっと勘違いなさってるようですが、わたくしが忠誠を誓ってるのは英雄王ではなく、ブライアン ミカエリス ブルフェン、貴女様ですのよ」


ディアナそう宣言しながら目の前の赤い薔薇を一輪、その手ずから手折った。そして立ち上がり、その花を見せつけるようにブライアンの目の前に差し出す。


「グリーンフィールド家は、ブルフェン王国が成る前より騎士伯を賜っていた家系。その血を継ぐものたちは差はあれど、たった1人を主人と決め、その一生をその君主に捧げるのです」


そう言ったディアナは手に持った薔薇を自分の方に引っ込め、その場で最上級の礼をブライアンに捧げる。


「わたくしが君主と定めた、他でもない"貴方様"が望むのなら、その望みのためわたくしはわたくしの持てる全てを捧げましょう」


そうしてニッコリと完璧に微笑むディアナに、ブライアンは1度瞳を閉じ、次いでしっかりと彼女を見据えて口を開く。


「…望む。だから、俺のために尽力しろ」


「お心のままに」


再び一礼したディアナは、その手で薔薇の花を弄びながら、ふと何か思い当たったように口を開く。


「…貴方様の姫のことですが、心より望まれるのでしたら、早めに憂いは取り払った方がよろしいと思いますよ」


「…わかっている」


ディアナの進言に、ブライアンは難しい顔をし、先に会場に戻ってもいいかとディアナに問いかける。


「ええ、構いませんわ。わたくしも…」


そこで何かに気がついたらしいディアナが、チラリと視線を薔薇の向こうへとやり、再びブライアンへと視線を戻す。

それを追うようにブライアンも探れば、少し異質な人の気配がこの空間に混じっているのが感じ取れた。


「影が来たようなので、それを聞いてから参ります」


「……グリーンフィールドの耳は優秀だな」


ブライアンはそんな言葉を溢すと、ディアナを置いて、一足先に会場へと戻っていく。


そんなブライアンの背をじっと見つめながら、ディアナは手の内の薔薇を再び持ち上げ、その香りを堪能した。甘く芳しい、時に人を心にまで浸透し、籠絡する危険な香り。しかし、それはディアナにとって幼い時から慣れ親しんだものだ。


「そういえば、もうひとつ言い忘れましたわ…」


ほんの少し仮面から覗かせた素顔。

薔薇の赤い花びらをうっとりと恋い焦がれるように見つめながら、ディアナは困ったように微笑む。


「英雄王しかり、前の時代より騎士伯を賜りしグリーンフィールド家の忠誠の(いろ)を、貴方様も受け継いでおられますわよ」


そう言って花びらの1枚に口づけを落としたディアナ。そして、それをガーデンテーブルの上に置くと、スッといつもの無表情に戻して手を上げた。それを合図に音もなく現れるのは黒い装束に身を包む、グリーンフィールド家の影。


「…わざわざ割り込んできてまで言う緊急案件?」


「はい。先程のご令嬢に纏わることです」


その言葉に、ディアナも表情を凍らせ、その者へと振り返った。


「簡潔に」


「会場に戻る廊下で、マクスウェル家の者と口論。外傷はございませんが、何やら脅されていた様子でした」


その言葉に、ディアナは急ぎ足で会場に向かうブライアンを追いかけた。


騎士伯

作者が適当に作った貴族の階級です。

侯爵と伯爵の間くらい、騎士を生業としながら領地を持つ、国の守りの要となる貴族と思ってください。

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