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第三十一話 甘く美しい薔薇の罠

ここから五話ほど、ミランダが精神的に追い詰められる話が続きます。ご注意下さい。



ディアナ ローズ グリーンフィールド。社交界の紅薔薇姫と呼ばれる彼女は、あまり表舞台に顔を出さないミランダでさえその話を知っているほど、このブルフェンでは有名人だ。


初代英雄王、レオナルドの妻であった初代王妃ローズの生家である、グリーンフィールド公爵家のご令嬢。

代々ブルフェンの王族に堅い忠誠を誓い、自らの血筋の娘をその妃として差し出すことを最大の誉としているグリーンフィールド公爵家が、王太子ブライアンのために生ませ、王太子妃となるべく育てたのが彼女、ディアナである。

今代のグリーンフィールド公爵が、英雄王の生写しと名高いブライアンに固執してるのは有名な話であり、彼がなんとしても娘のディアナを妃にさせたがっていることは、社交界ではもはや知らぬ者はいない周知の事実。

王太子妃となるべく育てられたため、その素養は群を抜き、知性にも優れ、次代英雄王(ブライアン)が"どんな人間"であろうと支えるために、様々な分野にも精通する多彩さも有しているとか。

唯一難点を挙げるとするなら、王家と血統が近すぎること。しかし、逆に言えばそれさえ顧みなければ完璧な女性と称されているのがディアナであり、その何者も退ける貫禄から"女帝"とも裏では呼ばれていたりする。


「そもそも彼女の一件はわたくしに一任すると、以前申されたのは父上ですが。早々に、自分の仰ったことを違えるのはどうなのでしょう」


ゆったりとした足取りでミランダたちの目の前、公爵の隣へと進み出たディアナ。彼女は1度こちらに向け、とても美しく、既に王族の一員のような威厳すら感じさせるお辞儀を披露すると、再び父である公爵へと向き直り、そのまま言葉を待つように公爵の目をじっと見つめ続けた。


「…お前の対処があまりに遅いからだろう。これ以上、国家安定を揺るがすことはたとえ噂だろうと放ってはおけぬ」


「お言葉ですが、真偽のつかぬ噂如きに我が公爵家自ら揺さぶられるなど、それこそ名折れとなりましょう。冷静に事態のありましを見定めてこそ、国家の忠臣のなすべきことかと」


「お前に任せて本当に良いのだな?」


「男には男の世界があるように、女にも女の世界があるのです。そこに割って入るのはたとえ貴方様でも不躾です」


必ず公爵の言葉に数拍間を置いてから言葉を返すディアナ。彼女の声はどちらかと言えば無機質で無感情に聞こえるのだが、必ず綺麗な山形を描くような、なだらかな抑揚をつけて声を発しており、それだけでも言葉のひとつひとつが、とても穏やかに感じられるのだ。

なによりディアナの存在そのものが非常に堂々としているため、彼女の出す音ひとつにも重みがあり、聞くに値することを話していると納得させるだけの力があった。

ディアナの言い分に納得したのか、公爵は小さく「なら、お前に任せることとする」とディアナに告げ、それ以上なにも言うまいとばかりに口を閉ざした。

そんな公爵にディアナは感謝を示し、一礼すると、今度はミランダの目の前までやってきて、止まった。


「ディアナ グリーンフィールド、そこにいるグレース リチャードソンに現状説明できないのであれば、貴女をここに連れてきなさいと指示したのはわたくしです。会の開始前からで申し訳ないけど、少し付き合って頂くわ」


「よろしいわね」とそのまま有無を言わさぬ口調でミランダにそう言い切ったディアナ。

ミランダはここは大人しく従うしかないだろうと、了承を示すように一礼する。そこに、


「お待ちくださいませ、ディアナ様」


そうディアナに声をかけたのはそれまで黙っていたはずのグレース。彼女はそのまま発言の許可をディアナに求め、それに対して相変わらず表情を変えないままのディアナは、グレースに顔を向け、「どうぞ」とだけ言葉を返す。


「説明責任はわたくしにもあると考えております。わたくしも、ご一緒させて頂けませんか」


声の震えを隠しきれず、でも懸命にそうディアナに進言したグレース。それにじっと耳を傾けたディアナは、今度はきちんとグレースに体ごと向き直り、はっきりと次の言葉を告げ、それを拒絶した。


「グレース リチャードソン。噂の本人がいる今、貴女の説明は求めていないわ。同行は許しません。下がりなさい」


反論の余地さえ許さぬディアナの命令に、グレースは何も言わずに頭を下げた。


「皆さま、お騒がせしました。夜は"まだ"始まってもおりませんので、気にせず楽しんでくださると期待しております」


次いで、ディアナは言外に「今起きたことは夜会開始前の"非公式"ことだから決して口外しないように」と場の者たちに強く言い含めると、そのままミランダに視線をやり、ついて来いと言うように背を向け、粛々と歩き始める。

ミランダもそれに続くため、会場に、ひいては公爵に対して一礼し、それから先を歩くディアナの後を送れないようにと退場した。



また暗くて、今度は長い一直線の廊下をしばらく進んだのちに、ミランダが連れて来られたのは全面ガラス張りのそれは見事な薔薇の温室だった。

真っ赤な薔薇だ。

どれも少しずつ種類は違うが、どこを見渡しても真ん中に用意されたガーデンテーブルがある空間以外、全てが赤い薔薇で囲まれていた。

それは見た目だけではなく温室内の匂いも、芳醇で濃密な薔薇の香りに包まれており、ミランダも一歩足を踏み入れただけでまるで酒精に酔ってしまった時のような、謎の高揚感を感じるほどだった。


最初からディアナはミランダをここに連れてくるつもりだったのだろう。

真ん中の空間にあるガーデンテーブルの上には、もう既にティーセットが用意されており、ディアナがミランダを向かいの席へと勧めたのを確認し、いつの間にか現れた執事が、2人のティーカップへと薔薇の香りのする紅茶をそっと置いて去っていく。


「どうぞ。当家で作っている自慢の紅茶です」


自らが毒が入ってないのを証明するように口をつけ、ミランダにも飲むように勧めるディアナ。

しかし、この温室に入ってから感じた妙な高揚感に加え、慣れない強い匂いに微妙な気持ち悪さも感じ始めていたミランダは、これ以上気分が悪くなっても困ると思い、口をつけるフリだけで留めておいた。


ーそれにきちんと、この人と向き合わないと…


予期していなかったディアナと2人きりでの対面に、ミランダは不安から逃げ出したくなる心をぐっと抑え、覚悟を決める。


「どうかしら?」


「薔薇の香りが口の中にも広がるようで、なんだか贅沢な気分になります」


味などにはくれぐれも触れないように気をつけながら、ミランダは自然さを心がけてにこりと微笑んだ。決して視線は逸らさない。逸らしてしまえば、きっとまたミランダは弱い心に負け、逃げてしまいたくなるから。

そんなミランダをディアナはじっと静かに見つめたまま、小さく「そう」と言葉を落とす。


「…先程のこと、申し訳ないことをしたわ。あのように人前で…父は代々この家の騎士の考えに縛られている方だから、未だに固執した考えから抜け出せずにいるのよ」


そう何処か悲しげにミランダに告げたディアナ。そして、改まったように彼女は椅子に座ったまま深く頭を下げた。


「ごめんなさいね。正式な謝罪が出来ないけど、なんとかこれで納めてくれないかしら」


「そんな気にしないでください。私も異国の血が流れるとはいえブルフェンで生まれた者、そういった考えが根付いていることは十分理解してますので」


そんなディアナの素直な謝罪の言葉に、身構えていたはずが、予想外に動転してしまったミランダ。咄嗟に思い至った言葉を連ね、ミランダは慌てて胸の前で両手を振った。


「そう言ってもらえるとありがたいのだけれど…」


先程の堂々とした様子から一転。弱々しく見えるディアナの様子に、ミランダはよくわからない親近感のようなものを感じた。


ー何かしら…この感覚。


薔薇の香りに本当に酔ったのか、少し昂りやすくなっている自身の感情に、ミランダは密かに首を傾げた。そして、無意識に気持ち悪さを訴える胸へ手を当てるミランダ。

そんな少し考える素振りを見せるミランダを、ディアナはカップに口をつけながら冷静に観察する。

そして、


「本当はゆっくりお話ししたいのだけれど、時間も少ないから本題に入らせてもらってもいいかしら?」


カップをソーサーに置き、小首を傾げるディアナにミランダは自然と、素直に頷いた。


「ありがとう。では、単刀直入に聞くけど、貴女と殿下の噂はどこまでが事実なのかしら?」


ディアナの穏やかな質問に、ミランダは悲しげにキュッと眉を寄せた。突如襲った胸の痛みをそのまま表情に乗せたような、そんな反応。


「…悲しませてしまったかしら?でも、わたくしはこれでも王太子妃候補の人間なの。事実を正しく知っておかなければ、これから私と貴女の為にどう動くべきなのか考えることもできないわ」


ー王太子妃候補。


うまく掴みづらいディアナの言葉の中に含まれた気になった単語が、ミランダの脳内でぐるりと回る。


「その…王太子妃候補とは、その中からブライアン様のお妃様を決めるのは決定、なのですか?」


気になってポロリとついて出てしまったようなミランダの問いに、ディアナは数拍間を開けると、少し申し訳なさそうな口調で言葉を返した。


「余程のことがなければ、そうね」


嘘のなさそうなディアナの率直な言葉に、ミランダはズキリッと胸の痛みをより深く感じ、さらにドレスの胸元を強く押さえ込む。


「貴女は異国の血を引く、子爵の娘だから、この国の王妃となるには少し力が足りないもの。側妃や愛妾ならまた違うけれど」


ー側妃、愛妾…


ディアナに提示された"事実"にミランダはどんどん心が揺さぶられるようだった。いつからか思考がうまくまとまらなくなった頭が、ぐわんぐわんと揺れて白く霞み、理性の枷を緩くする。

そんなミランダの一挙一動をディアナは冷静に見て取り、そして、次の言葉を口にした。


「このままでは愛する貴女とのことで追い詰められた殿下は、貴方のためにかなりの無理をなさるかもしれないわね。そうなれば、殿下は多大な気苦労を背負うこととなる」


ーわたしが、ブライアン様の、重荷になってる?


ヒュッと鳴った呼吸を合図に、ミランダの冷静さは失われ、一気にその表情を絶望へと変えていった。


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