第三十話 英雄王に焦がれる者たち
クッションの効いた、柔らかい馬車の座席に密かに感動しながら、ミランダは自分の向かいに座る相手へと改まって声をかけた。
「今日はエスコートよろしくお願いします、セオドア様」
「こちらこそお手柔らかによろしくね、ミランダ嬢」
いつもと変わらぬ穏やかな笑顔のまま、少し冗談めかしたことを言うセオドア。彼が着ているダークグレーのテールコートの差し色は、ミランダの衣装に合わせてくれたらしく紫系統で纏められていて、これもまた彼自身によく似合っているように見えた。
今宵の夜会にはリチャードソン家の家族全員が招待されており、ミランダはセオドアのパートナーとして参加することとなっている。
「あら、セオドア。今夜のミランダは雰囲気が違うから気後れしてるのかしら?」
「うん、そうだよ。まぁ、それよりも心配なのは嫉妬深い誰かさんにまた恨まれることなんだけどね」
ミランダの横に座っていたグレースから容赦なく飛んだ意地悪な追求を、セオドアはあっさり肯定すると、なんだか含みがありそうな発言も一緒に残して、爽やかに笑っている。
しかしミランダは、そんなセオドアの言葉よりも、いつもより声も表情も固いグレースの方が気になり、調子が悪いのではと心配になった。
「…グレース?」
「何ですのその目は?…あぁ、そういえば紹介し忘れてましたわ。こちらは私とセオドアの従兄弟、ユージーン。リンカーソル男爵家の者よ。いつもは研究という名目で引き篭もりをしているのだけれど、今日はわたくしのエスコート役として引っ張り出しましたの」
ミランダの心配そうな様子をわざと無視して、グレースは話を逸らすように馬車に乗るもう1人の男性をミランダへと紹介してくる。
「こんにち…いや、こんばんはかな?たぶん今日だけだと思うけど、仲良くしてね、ユリの花のお嬢さん」
突然、しかも結構な投げやり感でグレースにされた失礼な紹介にも物ともせず、なんともぼんやりとした口調で挨拶したユージーン。男性にしては長い肩甲骨辺りまでありそうな赤褐色の髪を、下後頭部で纏めて垂らし、目の色を隠すようにかけられた分厚い丸メガネが、なんとも独特な雰囲気を漂わせている。
「ミランダ メルローです。よろしくお願いします」
「うん、わかったよ、ユリの花のお嬢さん」
「ジーンは人の名前を覚えませんから、諦めた方がよろしくてよ、ミランダ」
ミランダの話をユージーンは聞いているのかいないのか。グレースの呆れたような物言いにも、彼は気にした様子はなく、ミランダにニコニコと笑顔を向け続けている。
そんなこんなで、グリーンフィールド公爵家の屋敷にはあっという間にたどり着いてしまった。
王都内にある貴族の住居区からは少し離れ、王都の外れを占拠するようにそびえ立つのは真っ黒な要塞のような建物。グリーンフィールド公爵家は代々、ブルフェン王国の守りの要となる騎士、現在では軍人の家系であり、その彼らの所有する大きな敷地の半分は、ブルフェン王国の軍人養成所としても利用、運営されているそうだ。
立派な構えの入り口で馬車を降りると、そこで待っていたのは1人の軍人候補生と思われる、まだ年若い少年。
グリーンフィールド公爵家では、養成所で育てている若者たちを軍人、護衛、用心棒など、さまざまな職に就いたとしても生きていけるように教育している。これも教育の一環で、夜会の来賓相手に貴族のもてなし方を学ぶため、案内係として彼らの経験を積ませているらしい。
先行していたもう1台の馬車から先に到着していたリチャードソン伯爵と伯爵夫人が、他の候補生に何やら説明し、それに候補生の彼は深く頷くと、そのままこちら側にいた少年へと走りより、小声で何か耳打ちをする。
それをきちんと聞き届けたらしい彼はにっこりと笑い、ミランダたち4人を見上げると、「私がこのまま皆様の案内を務めさせていただきます」と、丁寧なお辞儀を披露した。
そのまま重厚感のある玄関の扉を潜り、入り組んだ廊下をするすると迷路の謎を解くように少年の先導で進んでいく。
「父さんたちは後からってことでいいのかな?」
「はい。リチャードソン伯爵夫妻はもうしばらく後でご案内する指示を受けております。別々の入場となりますが、ご了承頂ければと思います」
セオドアの質問にも、まだ12、3と思われるその少年は淀みなく答え、少し申し訳なさそうな微笑みを作り、ミランダたちに小さく頭を下げた。
王宮以外ではそう拘らない貴族が多いのだが、夜会の場合厳密には主催の待つ会場に身分の低いものから入場し、最も身分の高い来賓を最後とする決まり事が存在する。それを公爵家では厳粛に守っているのだとミランダはすぐに理解した。
「わぁ〜、なんか緊張感で身体が強張りそうなところだねぇ〜」
周りをキョロキョロと見回したユージーンがそんな呑気なことを言い、公爵家に到着してから一言も声を発しないグレースに、腕を叩かれている。
案内なしでは迷子になりそうな暗い廊下を抜け、ようやくたどり着いたのはこれまた黒く威圧感のある両開きの扉。
案内の少年はその扉の側に立っていた別の少年にミランダたち4人の名前へを告げると、そのままこちらに振り返り「良い夜をお過ごし下さい」と告げ、頭を下げた。そして、
「リチャードソン伯爵家セオドア様、並びにメルロー子爵家ミランダ様。リンカーソル男爵家ユージーン様、並びにリチャードソン伯爵家グレース様」
ガチャンッと大きな音で扉が開いたと同時に響くのは来場者を告げる少年の大きな声。
もう既に、かなりの人数で埋まったホールへの入り口が開き切ったことを確認し、ミランダはセオドアのエスコートで屋敷同様、荘厳な雰囲気を放つホールへと足を踏み入れる。
ーすごくシンプルだけど…とても素敵な会場だわ。
あからさまにならないように気をつけながら、グリーンフィールド公爵家のホール全体を観察したミランダ。
壁も天井も暗いグレーで配色されたせいか、他の夜会と比べて暗く感じる室内。それを補うのは暖色の光を放つ豪華なシャンデリアと、壁際とテーブルの上に灯された数々の燭台。端に寄せられたテーブルにはさらにそれぞれ一輪挿しが置かれており、壁に飾られた絵画もどこか落ち着きのある、風景画が中心に飾られているように思える。
周囲から集まる視線も気にすることなく、会場の雰囲気に浸っていたミランダ。しかしそれはセオドアの小さな声かけによってすぐに終わりを告げる。
ミランダたちの視線の先で、ブライアンよりも肩幅がありそうな立派に鍛え上げられた体格をした紳士が、今宵の招待客を待ち構えていた。年齢はアルフレッドよりももう一回り上だろうか。白髪混じりの小豆色の髪に、鋭いグレーの瞳が特徴的な厳つい顔立ちをしている。
「本日は我々リチャードソン伯爵家一同をお招きいただき、ありがとうございます。父、ウィリアムからまた後ほど挨拶があるかと思いますので、私からは本日、私とグレースの相手を務めてくれた、こちらのお二方の紹介を閣下にさせて頂ければと思います」
セオドアのそんな真面目な挨拶に始まり、流れるように公爵にユージーン共々紹介されたミランダ。
何故かグレースが挨拶の言葉を口にしなかったことを不思議に思いながらも、ミランダは紹介されるがままに、優雅にお辞儀をし、そのまま改めて自らの名と挨拶の言葉を紡いだ。
瞬間、
「…なるほど。噂通り男の話に口を挟む、慎みのない女というのは本当らしい」
直球で投げつけられた中傷の言葉。
それには思わずミランダだけでなく、セオドアも顔を強張らせ、2人よりも後方で自身の礼を崩さないまま控えていたグレースもまた、グッとスカートの裾を握りこむ。そんなグレースを宥めるように、こっそりとユージーンが彼女の背を撫でていた。
「髪色が物珍しくて目を惹かれたのかも知れないが、こうも浅はかな女ではとても「閣下、お言葉ですが。それ以上は殿下を非難してるとも取れる、些か過ぎたる言葉かと。お気をつけを」
さらに言葉を言い連ねようとする公爵に、セオドアはそう割って入ると、穏やかな彼には珍しい無表情で公爵をじっと睨みつけた。何も言わず、その鋭い眼光でセオドアを睨み返す公爵。
そこに、
「父上、そちらはわたくしがグレースにお願いして連れてきて頂いた、"わたくしの"客人です。思うところがあるとお見受けしますが、それ以上言葉を連ねるなら、それは彼女をわざわざ招待したわたくしをも貶めることだと、理解してくださいませ」
このまま険悪な空気の流れ出すのではと不安に駆られたところを、清々しく斬り込んだ女性にしては深みのある凛とした声。
ダークローズのうねる髪を後頭部の高い位置で纏め上げ、赤の仕立ての良いプリンセスラインのドレスを優雅に着こなした迫力のある女性。その堂々とした佇まいと、凛とした琥珀色の瞳、そして説得力のある物言いがとても貫禄のある、美しい人だ。例えるならどんな場所でも華やかに咲き誇る真紅の薔薇。
女性らしい落ち着きのある歩みでミランダたちの元へ近づいてくるその女性名は聞くまでもなかった。
彼女こそがディアナ ローズ グリーンフィールド、王太子妃筆頭の公爵家のご令嬢だと、ミランダはその身を持って確信した。




