第二十九話 魔法使いの魔法を
グリーンフィールド公爵家の夜会はなんとその翌日だった。
以前リチャードソン伯爵家でお世話になったように、『隙を見せるとやられましてよ!』というグレースの主張により、この日もリチャードソン伯爵家で支度することになったミランダ。しかし、今回は朝からではなく、いつも通りの朝を過ごした後、ハンナを連れて昼過ぎにリチャードソン伯爵家を訪れることになった。
「ハンナ、急に付き合わせて悪いわね」
「いえ、1度ミランダ様をきちんとお仕度してみたかったので、その機会に恵まれて嬉しいくらいですよ」
ハンナの夫、ファーガスが組み立て、御者を務めてくれるメルロー家の馬車に揺られながら、申し訳なさそうな顔をするミランダに、ハンナはおっとりとした口調で、でもはっきりとそう答えた。そして、「ミランダ様が思うより、時間も手間も私1人でもそう掛からないと思いますよ」と、よくわからない予言をしてハンナはフフッと小さく笑った。
ハンナはミランダに宣言した通り、リチャードソン伯爵家に到着し、案内された部屋で待ち構えていたグレースに、自分1人で大丈夫だと伝え、他の伯爵家で手伝いの準備をしてくれていた侍女たちを全て断ってしまった。
「本当に貴女1人で大丈夫ですの?」
「はい、もちろんお任せください。元々ミランダ様は人にお世話されるのに慣れてませんから、あまり知らない人間に囲まれては逆に疲れてしまわれます」
不審そうな、心配そうとも取れるグレースの問いに、ハンナは朗らかな笑みのままそう答えた。
「ミランダ様、ハーブと香油を入れた湯船を用意しますので、まずはゆっくりそちらでお寛ぎ下さいませ。その間にこちらで、色々準備させて頂きますので」
そう穏やかな笑みで説明したハンナは、ミランダの目により一層頼もしく思えた。
はじめから少し、いや以前とはだいぶ違う出だしで始まったハンナの夜会の準備は、ミランダが思わず呆気に取られるほど本当に簡単に終わってしまった。
とても心地よく、リラックスできる湯から上がると、ミランダの全身に無香料のボディオイルを伸ばしながら、本当に軽くツボを押し、全身をさする程度でマッサージを終わらせたハンナ。さらに彼女は、ミランダがそのマッサージのあまりの心地よさに軽く眠ってしまっている間に、爪の手入れや髪のトリートメントまでも終わっているという手際の良さを発揮していた。
束の間のうたた寝から起こされ、無理なく、でもいつもよりほんの少しキツめにコルセットを締められたら、またあっという間に鏡台へと連れて行かれたミランダ。以前はもっと痛いし、大変だったと濁しながら伝えたミランダにハンナは、
『若い頃は唯一の理想を追い求めてしまいがちですからね。花の美しさが皆違うように、個々の美しさをどう引き立てるか考えるようになれば、さらに世界は広がるのですが、』
とよくわからない説明をしながら、あっという間にミランダの髪を結っていく。
まず後ろ髪の上半分を少しのボリュームとゆとりを持たせ、編み込みながらハーフアップに仕上げていくハンナ。そこに向けて今度は下に下ろしたままの髪を、今度は左から右へ、サイド少しずつ髪の束を残してから編み込んでいき、ふんわりとボリュームを持たせたシニヨンを右下側頭部で作り上げる。そして顔まわりと残しておいた髪を緩くコテで巻き、サイドの束はそれぞれ耳に少し掛かるような形で、最初に編み込んだハーフアップ部分へと巻きつける。
さらに生え際あたりから少し髪を引っ張り出しては後毛を作り、それを軽く巻いては首元に、あるいは耳元あたりで遊ばせる。
「初めて試しましたが、やはりお似合いですね」
最後に一部の毛先だけ、百合の香りが仄かに香る香油を着けながら、ハンナは満足げに笑った。
あまりの手際の良さで、しかもミランダによく似合うの髪型を作ってしまったその手案に呆気に取られ、まじまじと鏡の自分を見つめてしまうミランダに、ハンナはクスクスと笑みを溢しながら、問いかけた。
「ミランダ様、今日はどういう気分ですか?」
よくミランダには意図のつかめないハンナの質問。
ーどういう気分?
「なんでも構いません。少し憂鬱だとか、大人っぽくしたいとか。今の気持ちでも、希望でも、なんでも良いのでお伝え頂けるとメイクの参考になりますので」
ハンナの寄り添ってくれるような優しい声音に誘われて、ミランダの口から自然と言葉が滑り出す。
「勇気が…自信が欲しいわ。変わるための」
それは本当に独り言のような、とても小さな願い。
「…かしこまりました」
微笑みと共にそれだけを返したハンナは、次々とメイク道具を取り出しながら、ミランダの希望に沿うように、どんどんその顔を彩っていく。
そうして出来上がったのは、いつもの自分より少しだけ大人っぽく、そしてしっかりとした意志を感じさせるミランダの顔。
眉、目元は普段よりワントーン濃い焦げ茶ではっきりとさせられ、瞼に軽く乗せられたライラックのアイシャドウがさらにその陰影と肌の白さを引き立てていた。
チークは敢えて殆ど入れず、口元をワイン系の口紅で彩ることで、肌の白さとのメリハリをここでもつけている。
「…いかがでしょう?」
普段のなんとなく"自分"に合わせたメイクや、以前の"可憐さ"を前面に押し出したメイクとも違う、"ミランダらしいまま大人の魅力を引き出された"そのメイクに、ミランダは何も言えず、ハンナを見上げた。
「そちらの方が、自分でもこれだけ印象を変えられるのだと、自信に繋がると思ったのですが」
小首を傾げ、悪戯っぽく微笑むハンナに、ミランダは少し潤んだ瞳で「ありがとう」と呟いた。
そうして、最後に"カメリア"で作ってもらったもう1枚のドレスを纏えば、そこにはミランダも見たことがない新しい自分が鏡の前へと現れた。
コンプレックスで着ることを避けていた、マーメイドラインにも似た、咲きかけのユリを思わせるパープルのドレス。オフショルダーの形から露わになるデコルテや首筋が、ドレスか、はたまたメイクのおかげか、とても女性らしく魅力的で、でもそこには確かに凛とした気品さも感じさせるようだった。
「お似合いですよ、ミランダ様」
そうして、そこを彩るためにかけられるのは、ミランダが大切にしている形見の、繊細な細工で作られたダイアモンドのネックレス。
「大丈夫です、ミランダ様。貴方様は、本当に立派で美しい淑女に成長されましたよ」
そう言ってミランダにネックレスと揃いのピアスを渡してくれたハンナ。
それを受け取って鏡へとまた目を戻したミランダは、今度こそ目の前の自分に、自信を持って笑みを返した。
自分の支度を終えてミランダの様子を見にきたグレースは、ミランダの姿を目に留めると、驚いたように目を丸くしたが、いつもの素直じゃない言葉でミランダのことを褒めてくれた。
そして、ハンナにも『今度私の支度を手伝ってみなさいな』と本気か冗談かよくわからない話を持ちかけ、ハンナに『機会があれば、是非』と無難な答えを返されていた。
ハンナはグレースとミランダに暇の挨拶をすると、ミランダに「幸運をお祈りいたします」という言葉を残し、ファーガスと共に帰っていった。
それをミランダは最後まで見送った後、グレース達の待つリチャードソン家の大きな馬車に乗り込み、目的の夜会へと出発したのであった。




