第二十八話 ブルフェン王国の情勢
その後、ジェフリーと踊ったのを最後に、さっさとエヴァンズ侯爵家の夜会から無事帰宅したミランダとアルフレッド。
そんな翌朝、いつものようにメルロー子爵家を訪れたブライアンは、開口一番ミランダに心配そうにこう訊ねた。
『イヴリン妃とジェフリーに会ったと聞いた。大丈夫か?』
正直、どこからそれを知ったのかとミランダはとても焦ったが、王太子ならそれなりの伝手があるのだろうと、そこは深く考えず、無難な答えを返した。
『…まぁ、なんとか。珍しく父が頑張ってくれました』
割りかし嘘でもない本当のこと。でも全てが本当とも言えない答え。隠し事をしているようで気が咎めたが、それでもミランダはジェフリーとの会話の内容をブライアンに話すのはなんとなく嫌で、そのまま黙っていることに決めた。
ーもしジェフリー殿下がブライアン様の味方だったとしても、あの時の話をブライアン様に全て話すのは告げ口のように感じるもの。
ブライアンはそんなミランダの様子をまたジッと見つめたまま、特にそれ以上追求せず、『君が大丈夫ならそれでいい』と優しい言葉だけを返した。その言葉にまたミランダは胸にトゲが刺さったような、そんな感覚を覚えては昨夜のジェフリーに指摘されたことを思い出す。
ーこの人の隣に居たいなら、変わらないといけないじゃないかしら…
胸元にそっと手を押し当てたミランダは、そのまま想いを馳せるようにその視線を窓の外へと向けていた。
「で?考えた末、わたくしの冷静な意見を聞きに来たと。そういう訳ですわね?」
そう言って、白いビロード地の長椅子の上で優雅に足を組み直したグレース。
ピンクと白の女性らしい豪華な部屋で寛ぐグレースの様子は、まるで1枚の絵のようにぴったりと噛み合い、ここが彼女が本来いるべき場所なのだと強く実感させられる。
今、ミランダが訪れているのはリチャードソン伯爵家のグレースの私室。どうにもここのところ胸を占めている心苦しさ、不甲斐なさをなんとかしたくて、ジェフリーに言われたことも含め、グレースに話を聞いてもらいに来たのである。
「まぁ、人に相談するようになっただけ、進歩してると思うべきかしらね…」
そんな言葉を独言、白磁に金で縁取られたティーカップを摘み、口をつけるグレース。
それを目にし、ミランダも取り敢えず気分を落ち着けようとそっとカップを持ち上げる。
ーあれ?
そこでふわりと香るのはいつもこの家で出されるものと違う、ほっとするような香ばしい花の香り。よくよく見れば、お茶の色もいつもとはかなり違うもののようにミランダには思えた。
「ハーブティーですわ。何のブレンドかは知りませんが、心安らぐものをと用意させましたわ。それで、そのしけた下がり眉も少しは改善されましてよ」
そう言って不敵に笑う、グレースの捻くれた優しさに、ミランダはくしゃりと表情を崩す。
「…で、話を戻しますけど。一旦、貴女が王太子に思うどうこうは置いておきますわ。手っ取り早く片付きそうな、腹黒王子の話からいきますわよ」
そんなミランダの表情からグレースはプイッと顔を背けると、近くに控えていた侍女に用意させた真っ白な紙と万年筆を手に取り、それらで何やら書き込みながらミランダに向かって説明を始める。
「今のブルフェンの政治的な情勢はなんとなくわかってますわね?」
「えぇ…」
「では何故ブルフェンが頑なに自国のものに固執しているかわかるかしら?」
「…英雄王じゃないかしら?この国を作り上げた人ですし、何よりこの国の人々の彼と彼の血を継ぐ王族への信仰と忠誠心は驚くほどに揺るがないわ。だけど、」
「そうよ、それが揺らいでいる。英雄王の生き写しと謳われる異国の血を引くブライアン王太子、血統としては純粋にブルフェン国内の由緒正しい血しか引いてないジェフリー王子、どちらを次の王として推すのが英雄王の国に捧げるのに正しい治世なのかで」
そう続けるとグレースは"ジェフリー"と書いた丸と、"ブライアン"と書いた丸を作り、それぞれに先程挙げた点を書き起こしていく。
「そして、本当はさらに細かいのだけれど…まぁ、大まかに分けるならこの2つの派閥が、ずっと対立してはバランスを取りと言った具合を繰り返しているんですの。ブルフェンは一国家としては珍しいことに、今までこういった争いがあまりなかったから、今回のどちらもそれぞれの主張を曲げようとせず、政界が真っ二つに割れてるのは現状は予想できないことが多くて、とても不安定なのよ」
そう言いながらグレースはそれぞれの派閥に属する大まかな家柄を記入し、そしてもうひとつ"中立"と書いた丸の中にリチャードソン伯爵家含め、他の家と共にメルロー子爵家の名前も書いていく。
「つまりですわ、ミランダ。この不安定な情勢の中で、王位につかなければならないと思われる王太子の妻には、それなりの力が求められるということですの。それは本人が持ち得なくても、いざと言う時、他貴族達を黙らせられる実家の力でもいい。でも、残念なことに貴女には家の力は全くありませんわ。だからもし、貴女が本当に王太子の妻に、未来の王妃になりたいのならば、自力で他の者たちを黙らせる力がなくてはならないと言うことですのよ」
グレースはそこまで一気に色々書き加えながら説明すると、一度万年筆を置き、避けておいたティーカップで喉を潤した。
ミランダはその間に、書いてもらった図をもう一度じっくりと眺め、自分の中に理解しきれてない所はないかと細かなところにまで目を通す。
「一見するとブライアン様を推してる方々の方が権力は強そうに思えるのだけど、」
「……そうね。その見解で間違ってないわね。なんだかんだと他国の血は入っていても、英雄王にそっくりな王太子殿下に何も思わない者の方が少ないはずですわ。現に、第一王子派の人たちは、ジェフリー様を次期王にと推すわりに、王太子を暗殺するなどの強行策に出ようとしませんの。その根底には英雄王への憧憬と、その姿に瓜二つな王太子に対する強い畏怖。その点、今まで何も手出し出来なかった王太子が晒した今回のミランダという弱点は、さぞ彼等には魅力的であるでしょうよ」
そうしてさらりと告げられた自身のことに、ミランダはギュッと眉を寄せる。
「…まぁ、今はそうでも。わたくし、貴女にならそう言った家臣を思うままに動かせる力、身につけるのは不可能ではないと思いますわよ?あの腹黒似非王子の言うことは確かに事実ですけど、それを現在の、まだ子爵令嬢としての自覚しかないミランダに求める時点で甚だ頭がおかしいのですわ。むしろ、仮に婚約を結び、王太子と結婚しても、そこまでだって最低1年、さらに王太子が王位を継ぐのなんてもっと先の話ですわ。そんな1年先、2年先のことを、神でもない人間如きが一体何を根拠に言い当てられますの?」
「でも、それは…」
「確かに、そう一朝一夕に身につくものじゃないとわたくしもわかっておりますわ。それでも、わたくしはミランダ メルローがこうと決めたことには決して手を抜かない人間だと誰よりも評価してる。だから、わたくしがうじうじと二の足を踏む貴女に宣言してあげるわ。貴女が本当に望むのなら、不可能なんてありませんわよ」
そう言ってキラリと光る黄金の瞳でミランダを真っ直ぐに見つめたグレース。その言葉をきっちりと受け止めながら、それでも自分を信じきれないミランダ。
少し俯いたミランダの様子に気がついていないのか、グレースは次いで苛立たしげにジェフリーのことを論い始める。
「大体、あの腹黒性悪似非王子の理論は頭にきますのよっ!今まで権力に争う術もなかった弱小貴族のご令嬢を、あの王太子は自ら無理をさせてまで望みますのよ?男として、好いた女に色々強いるのなら、彼女に少しでも負担が掛からないように守るのは当然でしてよ!?むしろもっと全権力使って遠ざけるべきですわ!だから、ミランダっ!貴女、王太子に守られてばかりで不甲斐ないなどと落ち込む必要性は何ひとつございませんのよ?むしろ守らせなさい!!『私が欲しいならそれ相応の対価を寄越せ』と命じなさい!!貴女は少々甘っちょろ過ぎて見てられませんわっ!!」
そうして遂にヒートアップした苛立ちはミランダにも飛び火し、グレースは行儀悪く紅茶を一気に飲み干しては、おかわりを侍女に命じた。そんないつも以上に荒れているグレースの話す独自理論をどこまで真に受けていいのかわからず、ミランダは弱々しい微笑みを浮かべ、また一口ハーブティーを味わった。
ー色々まだ不安はあるけど…"もし"を望むなら、やらなければならないことはだいぶ明確になったわ。
おかわりに出されたミランダと同じハーブティーを口にしたグレースが、ようやく落ち着いたように息を吐き、真剣に考え込むミランダを難しい顔で見つめている。
そして、
「…もし、王妃となるような、王妃となるべくして育った人間がどのような方なのか知りたいなら、貴女に合わせてあげることもできましてよ」
そうなんとも言い難い、複雑な表情でミランダに告げたグレース。まだグレースの示す意味が理解しきれなかったミランダに、グレースは侍女に何やら頼んで、1枚の招待状と開封済みの手紙を持って来させた。
招待状の印には"薔薇に囲まれ、剣をついて忠誠を誓う騎士"の姿。手紙からはふわりと立ち昇る薔薇の香りと、招待状と同じ印が押されている。
「最近の王太子についての噂があまりにも広がり過ぎていると苦情が来ていますの。その報告ついでに、今度の夜会に顔を出せと言ってきてますわ」
そう言ってグレースがミランダに見せた差出人の名は、ディアナ ローズ グリーンフィールド。ミランダの記憶が正しければ、グリーンフィールド公爵家の御息女であり、社交界の紅薔薇姫と謳われるその人である。
「この方が実質、ブライアン王太子の妃に最も近い、王太子妃候補筆頭でしてよ」




