第二十七話 理想の王子と呼ばれる人
ジェフリー第一王子。
父親であるルドガー王のくすんで影のある赤銅色の髪と、母親であるイヴリン妃の髪がうまく合わさったような、ピンクブロンドの癖のある髪が似合う甘い顔立ちをした、物語に出てきそうな見た目をした王子様である。
そう、彼は本当に見た目だけなら幼い頃のミランダが目を輝かせるような、そんな"王子様然"とした容姿をしていた。
金にも近い柔らかな若葉色の瞳をはじめ、男の人とは思えない白く滑らかな肌、薄い唇から紡がれる言葉は万人を容易く喜ばせ、彼に微笑みかけられれば何人もの女性たちが気絶するという伝説まで持っている。
ブルフェンの男性には少数派な線が細い体つきをしているため、ジェフリーには威圧感がなく、女性から苦手意識を持たれにくいということもある。何よりフェミニストで有名な彼は、社交界でも屈指の人気を誇っているらしい。
ジェフリーの言葉には流石に、イヴリン妃も驚きを隠せないのか、思わず足を止めたその体勢のまま動こうとしない息子を、穴が開くほど見つめている。
対してジェフリーは、何を驚いているんだろうと言いたげに首を傾げ、微笑んだままイヴリン妃の言葉を待っている。
「…ジェフリー、」
「はい、どうかされましたか?母上」
「……………こちら、"知っている"でしょうけど、メルロー子爵。そしてその娘のミランダ嬢よ」
数秒、互いの間に何やら目線だけのやりとりをした後、イヴリン妃が渋々アルフレッドとミランダをジェフリーに紹介した。イヴリン妃には珍しい、当て擦りがあからさまな印象を受ける物言いは、息子に対する抗議のようにも思えた。
しかし、当のそれを向けられた本人は気にした様子は一切なく、イヴリン妃にミランダの名を教えてもらえて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、母上。これでやっと社交界きっての麗しの妖精姫にご挨拶できますね」
ーう、麗しの妖精姫??
まるでずっと声を掛けたかったのだと言ってるようなジェフリーの言葉と聞き慣れない呼び名に、ミランダは心の内で引きつった表情を浮かべてしまう。
「こうしてお声を直接かけるのは初めてですね。メルロー子爵、そしてミランダ嬢、お会いできて嬉しく思います」
「こ、こちらこそ、ジェフリー殿下にご挨拶できる機会を頂き、光栄でございます。アルフレッド メルローです」
「……ミランダと申します。殿下に拝謁出来たこと、またとない誉となりましょう」
少し素を出しかけてもきちんと挨拶するアルフレッドを横目で確認してから、ミランダは敢えて堅めな含みのある言い回しを選ぶことにした。
ーなんかこの方…目の奥がずっと笑ってない気がするのよね。
そう感じたミランダは、少しイヴリン妃を真似て、言葉で揺さぶってみようと思った。一体、何が目的なのかと。
しかし、それは果たして伝わっているのかわからない少し残念そうな微笑みを浮かべて、ジェフリーはまた言葉を続ける。
「ひどいなぁー。それではまるで、私とミランダ嬢が話すのはこの一回切りだと言われてるみたいだ。ずっと話す機会が欲しいと願っていた女性に、そう素っ気なく言われてしまうのは流石の私も傷ついてしまう」
「…それは失礼しました。殿下は女性たちの間では憧れの方ですから、どうにも緊張から固い物言いになってなってしまったようです。お許しください」
「あぁ、そうなら良かった。ミランダ嬢のように美しい人に嫌われてしまったらどうしようと、不安に思っていたところだよ」
ジェフリーの態度は、本心からそう思っていると錯覚しそうな自然な表情、素直な言葉ばかりだ。しかし、それを聞けば聞くほどに、美しい瞳の奥がこちらを面白がっているような色が引き立つようで、ミランダはなんとも言えない気持ち悪さを胃の奥で燻らせた。
ー観察された上で、遊ばれている…
如何にも優しい、親しみがある王子に見えるのに、ミランダにはそれを信じることができない。むしろ、ミランダだからこそ、こういった甘い見た目の男が簡単には信じられなかったのだ。
「母上、彼女をダンスにお誘いしても?」
「…ジェフリー、まだ声を掛けてない者も多いのですよ?」
「ははっ、大丈夫ですよ。後から追いかけますし、男性の中には息子の私がいない方が心置きなく憧れの"イヴリン妃"に話せる者も多いと思いますよ?」
「………」
「母上が、そろそろ私も結婚を視野に入れて女性と接しろと仰ったのですよ?…まぁ、彼女に粉をかけたら、ブライアンに怒られてしまうかも知れませんが」
イヴリン妃はじっと睨んでいるとも訝しんでいるとも取れる視線でジェフリーを見つめると、「勝手になさい」と言い残し、ミランダたちの前から1人去っていった。
その背中にニコニコと手を振るジェフリー。
彼はイヴリン妃が距離を開けるのを見守ったのち、再びミランダへと視線を戻し、手を差し出すと王子様のお手本のような微笑みを彼女に向けた。
「今宵、美しい貴女との素敵な思い出をこの私に頂けませんか?」
「……私でよければ一曲、喜んでお相手致します」
まるで空気を吸って吐くように、スラリと滑り出たジェフリーの誘い文句に、ミランダは牽制の言葉も混ぜながら、大人しくその誘いを受ける。
ー実際は断れないというのが、悲しい現実だわ。
そんなことを思うミランダの手を取り、ジェフリーはアルフレッドに一言断りをいれると、そのまま意気揚々とホールの中心へとミランダを誘っていく。
「…大丈夫だよ。次の曲、"君の得意な"ワルツをお願いしてあるから」
まるで何もかも見通しているようなジェフリーのその言葉に、ミランダ背筋をゾッとする震えが駆け抜けていった。
ホールに響くのは、ワルツの中でもかなりゆったりとしたスローテンポでしっとりとした曲。クイックワルツが流行っている最近では、あまり聞くことのなかった部類の曲だ。ステップを踏むのに余裕はあるが、身体の動きが変に曲を余して止まってしまうと、優雅さを損なう。常に余韻を残すのを意識して動き続けないといけない、クイックワルツとは別の意味で難しい曲だ。
そう言った場合、男性は女性のボディをうまく支えて、手助けをしてくれると助かるのだが、ジェフリー王子はそこのところは嫌味なくらいお上手だ。
「へぇ〜…ダンスは苦手なのかと思ったけど、踊らないだけみたいだね」
2人きりになり、人畜無害そうな印象から明らかに変化した意地悪い物言いに、ミランダは一瞬だけ眉を跳ねさせた。
ーこの方、やっぱり…
「……あまりダンスを楽しいと思うことがありませんので」
「おや?ブライアンとはとても楽しげに、何なら大輪が咲き誇るような笑顔を浮かべていたと聞いたけれど?」
「…ブライアン様はリードがお上手ですので」
「それは私のリードでは楽しめないということかな?」
「少なくともブライアン様はダンスの最中、水をさすような腹の探り合いは仕掛けてきませんので」
微笑みを浮かべ崩すことなく、それでも淡々と素っ気ない言葉を返すミランダに、ジェフリーは何が気に入ったのか、クツクツと喉を鳴らし、楽しそうにミランダを見下ろしている。
「…いやぁ。君みたいな頭の良い女性と話すのは楽しいね」
「褒め言葉として受け取りますわ」
「褒めてるさ。さっきの母へと返しと言い、君はとても機転が利く。あれは見てても清々しい返しだったよ」
ミランダはジェフリーに褒められているのに、褒められた気がしなくて、むしろその不気味さに不信感すら覚えていた。それはミランダには、ジェフリーが言葉通り、心からそう思って言葉を発していないと察せられるからだ。
そして、褒め言葉を口にしたジェフリー本人も、ミランダがそのことに気がついていることをわかっている。
「でもね…君ははっきり言うならつまらないよね」
だから、その後に続いた穏やかな口調そのままに投げられた批評に、ミランダはグサッと胸に刺さる物を明確に感じた。
そんなミランダの反応は気にも止めず、ジェフリーはどんどん言葉を続けていく。
「君は確かに頭は良いが、その行動は得た知識と経験則からくる、極めて安全な答えだ。だから非常事態や予期せぬ事態の時、容易くその優秀なはずの頭脳は動かない。その時の状況を見て、"より良い"ものは選べても、"最上"の答えは求めない。野心が全くないから、冒険心もないんだよ。普通よりは良いし、優秀だけど、言ってしまえば無難だから人を上に立つ素質は君にはないよ」
そこまで好き勝手言って、ジェフリーはニヤリと笑う。
「君に、王妃としての器はない。王が潰れた緊急時、王の代わりとなり国のため"最上"を目指そうとしない者など、はっきり言って居ても変わらない。むしろ、今の君はブライアンや周りの人間に守られ、それを当然のように受け入れては自分で動こうともしない。そんな女が、次期国王の隣に立てるわけがないだろう?」
ミランダの気にしているところへ明確に刃を突き立てる、毒のような言葉の数々に、ミランダは途方もない胸の痛みと、自らの不甲斐なさに唇をキツく噛む。
「傷ついた?傷ついたついでにブライアンから身を引いてくれると私も助かるんだけどね」
「……」
「君が去っていけば、初恋に目覚めた哀れなアイツは、きっと抜け殻のように使い物にならなくなる。そうなれば私に玉座はあっさりと転がってくるだろう」
そのブライアンを貶めているとも取れる、ジェフリーの言葉に、ミランダは今度こそ微笑みを崩し、目の前の男を睨みつけた。
そんなミランダの変化を、ジェフリーは少し意外そうに観察し、「へぇー」と言葉を落とす。
「君、自分のことでは怒らないのに、ブライアンのことでは怒るんだね。ブライアンの片想いってのは印象操作で、本当はもう君たちは恋仲なのかな?」
「…勝手な憶測を話すのは結構ですが、ブライアン様の心根を真っ直ぐ見つめようとしない貴方様に、あの人を好き勝手言われるのは気分が悪いです」
「心根ねぇ…私の方がアイツとそれなりに長い付き合いだけど?恋は盲目というやつかな?」
「自分が見たいと望んだ色眼鏡で物事を斜に見る人には言われたくありませんね」
「ふ〜ん…なるほど」
ジェフリーはそう呟くとかなり気に障ったのか、はたまた面白くなかったのか、それまでの仮初の表情を外したままミランダに傲慢な物言いで言い切った。
「まぁ、別に構わないさ。君はそうやって口だけ達者なまま、ブライアンに守られてうじうじしていればいい。君のおかげでブライアンの評判が下がるのは私からしても都合がいい」
明らかに取り繕われていない、ジェフリーの真実の顔。そしてその口から聞かされるその本音の数々に、ほんの少しの違和感をミランダは覚えた。
「もう終わるね。なかなかに楽しかったよ」
「ジェフリー殿下、」
だから、ダンスが終わる寸前のタイミングで、ミランダはそうジェフリーに呼びかけた。そして、自分の直感を信じ、眉を上げ意外そうな顔を作るジェフリーにそっと言葉を投げつけた。
「本当に親しくない者の名は、そう容易く呼ばないものですよ」
そのミランダの忠告にジェフリーは瞬きをひとつし、そしてニヤリっと悪どい笑みを浮かべる。
「なぜそう思ったんだい?」
「残念なことに、"自分の経験則"です」
正直にそう言い切ったミランダを、暫くじっと見下ろしたジェフリー。そしてまた、彼は愛想のよい微笑みを浮かべるとミランダの言葉にこう返した。
「なるほど、なんとも根拠のない推論だ。だが、一応心に留めておくよ」
その言葉を最後に曲が終わり、ミランダはジェフリーの手によって恭しくアルフレッドの所へと送られる。
「じゃあね、ミランダ嬢。またいずれ何処かで」
ジェフリーは完璧な王子としてそう言葉を残すと、そのままミランダの元から颯爽と去っていった。




