第二十六話 煌びやかすぎる夜会
カタカタと車輪を揺れる音を聞きながら、夕焼け色に照らされた景色が窓の外を流れていく。メルロー家の小さな馬車に乗り、ミランダはアルフレッドと共にある夜会へと向かっていた。
エヴァンズ侯爵家。
現ブルフェン国王ルドガーの側妃であるイヴリン妃の実家であり、第一王子ジェフリーを次期国王にと推す貴族の筆頭である。
この国にある3つの公爵家に次いで、侯爵家の中では1つ飛び抜けた地位を誇るのがこの家だ。血縁婚故に体が弱い者が多く、表舞台にすらほぼ出られずにいるクリフォード公爵家と比べれば、むしろエヴァンズ侯爵家の方がよほど力があるだろう。
そして、今、王太子であるブライアンと噂になっているミランダにとっては、あまり相対したくない相手とも言える。エヴァンズ侯爵家がイヴリン妃と共に、ブライアンを目の敵にしていることは社交界でも有名な話だ。
馬車が止まり、先に扉をから出たアルフレッドの手を借り、静かにミランダはその大きな豪邸とも呼べる屋敷の前に降り立った。
「おふたりのお帰りをお待ちしております」
馬車の御者を務めてくれているハンナの夫、ファーガスが、こうしてわざとひと声掛けてくれるようになったのは最近だ。
以前より、ミランダたちが社交の場に出席する時にはファーガスは自分の愛馬を連れ、メルロー家の馬ユリウスと共に毎回馬車を組み立て、こうして送り迎えしてくれている。
妻同様、微笑みを乱すことのないファーガスのちょっとした心遣いに、ミランダもアルフレッドもしっかりと頷き、笑みを返す。
「行くよ、ミランダ」
「はい」
アルフレッドのエスコートに導かれ、ミランダはゆったりと敵地とも言える会場へと足を踏み入れた。
王宮舞踏会にも劣らない、豪華で華々しい会場。
主催者のエヴァンズ侯爵の元に挨拶をしに行けば、ジロジロと見られこそすれ、無難な挨拶しかかけられなかったことに、嫌味のひとつやふたつ飛んでくると思っていたミランダたち2人は内心驚いてしまった。
夜会の始まりが告げられてからしばらく。
今のところ遠巻きにされるだけで特に何も言いがかりをつけられていないこの状況に、かなり警戒してこの夜会に参加したミランダはなんとも拍子抜けした気分になってしまう。
ーそれにしても…
「とても豪勢で煌びやか…というのでしょうね」
挨拶して早々に去るわけにもいかず、だからといって他に挨拶する相手もおらず、ましてやダンスも踊る気分ではない。となると、手持ち無沙汰ついでに会場をぼんやりと見回すくらいしかないミランダは、そんな言葉をポツリと溢した。
これだけ聞けば世間知らずな田舎者が、都会の華やかな舞台に気後したとも取れなくはないが、実際ミランダが思ったのは少し違った感想。
ーなんというか、いろいろ装飾過多に見えるのは私の好みのせいかしら。
ホールの隅々まで照らし出すような、天井にいくつも取り付けられた豪華なシャンデリア。両サイドにいくつも等間隔で並ぶ縦長なガラス窓には赤いカーテンが飾られ、そこには金と銀のびっしりと埋め尽くす刺繍が施されている。その間にある白い壁には1枚ずつ、イヴリン妃が気に入っている画家の絵が飾られ、大理石の床は光をよく反射するのか、礼服やドレスで着飾った人々を余計に眩しく見せている。
高価でいかにも煌びやかなものを好むなら、こういうのも好きなのだろう。しかし、ミランダからすると少し見た目に煩くて、王宮舞踏会以上に居心地が悪いというのが素直な印象だった。
「次の曲が終わった頃お暇しようか。『ここのところ騒がしくて体調が元々悪かった』って言えば、なんかあっさり帰してくれそう」
人が近寄ってこないことをいいことに、すっかり普段通りの口調でそう囁いたアルフレッドに、ミランダは小さく微笑み返す。
そこに、
わぁっと湧き上がる歓声と共に、会場入り口周辺が俄かに騒がしくなる。
ー何かしら?
集まった人々に場所を開けられるようにして、優雅な足取りで歩いてくるのはブロンドの髪をティアラと共に複雑に結い上げ、真っ赤な裾の長いマーメイドドレスに身を包んだイヴリン妃とその息子、ジェフリー王子だ。
赤が好きなのだろうか、ルビーをはじめとした色味の違う赤い宝石とピンクダイアモンドをこれでもかと散りばめたドレスは、かなり距離の離れたミランダの目からも眩しいほどであった。それと合わせて作られたと思われる、拳ひとつ分はありそうなルビーを中心に作られた首飾りに、揃いの耳飾りも、似合ってはいるが、些かやり過ぎなようにミランダからは見えた。
ー王宮舞踏会の時は、もう少し控えめだったと記憶してるのだけど…
その登場というより、その眩しさに困惑していたミランダとは違い、アルフレッドは珍しく真顔でイヴリン妃のことを眺めていた。
「…ミラ、ごめんね。まだ少し帰れるのは先になりそうだ」
そしてアルフレッドから聞こえたのはとても硬い無機質な声。父のそんな珍しい様子に奇妙な感覚をミランダは抱いたが、それでも何も言わず、素直に同意の言葉だけを返す。
イヴリン妃がジェフリーを引き連れ、主催である彼女の兄、エヴァンズ侯爵をはじめとし、他の参加者にも次々と言葉をかけていく。
音楽隊が奏でる美しい曲の調べに耳を寄せながら、ミランダは段々と迫りくるイヴリン妃の存在に嫌な予感を抱き始めた。
そして、
一組の貴族夫妻に挨拶を終え、ミランダたちをその目に捉えたイヴリン妃は、その真っ赤な唇を狡猾にめくり上げた。
ゾッと、ミランダの背を駆け抜けていくのは寒気だ。蛇に目をつけられ、ゆっくりとその長い体で締め上げようと、じりじりと近寄られる…そんな感覚。
ミランダの手を離し、ゆっくりと紳士の礼をするアルフレッドに合わせ、ミランダも殊更慎重に頭を下げた。
「久しいわね、メルロー子爵。なんだか随分と貴方の顔を見てない気がするわ」
イヴリン妃が言うように、アルフレッドは見目は整っている方なのだが、濃いはっきりとした顔立ちでは決してない。
挨拶早々、痛烈な嫌味を吐くイヴリン妃に、ミランダは胃のあたりからヒヤリと冷たくなっていく錯覚を覚える。そんな少し身を硬くしたミランダとは違い、アルフレッドは普段の彼とは打って変わったそつない対応をイヴリン妃に返している。
「そちらが子爵のご令嬢ね。デビュタントの時も思ったけど、美しい髪をしていること」
そうミランダに声をかけたイヴリン妃は、少しあどけなくも見える顔立ちに違わぬ、なんの邪気も含んでなさそうな艶やかな声だ。
一瞬呆気にとられたミランダとは違い、隣のアルフレッドが何かを感じ取ったように肩を揺らし、ギュッと拳を握った。
先程の父アルフレッドへの言葉、そして今の明らかに強張ったアルフレッドの様子、そこからイヴリン妃が言葉通り"褒めてはいない"のだと、ミランダははっきり理解する。
ミランダの母、ヴァレンティナは、今は亡き小国の王族の血こそ引いてはいるが、彼女の母はもともと大陸を旅して暮らす流浪の民、ロマニの踊り子だった。
ダークブロンド。
ブロンドというには影が強く、そして光の当たり方次第で如何様にもその色も、輝き方もを変える髪はロマニの者たち特有の色でもあった。
ーお母様の血のことを揶揄っておいでなのね…
イヴリンの意図するところを瞬時に察知し、こういった場合どう返すのがいいか、ミランダは今までの経験、そして推測から素早く答えを導き出す。
ーこういった方は下手に反論すると面倒になるわ。だから…
ミランダはイヴリンに発言の許可を問い、そして、ゆっくりと"敢えてその感動を聞かせるように"感情を乗せ、その言葉を紡ぐ。
「ありがとうございます、イヴリン様。イヴリン様にまさか褒めて頂けるとは、その審美眼は国境の垣根すら越えるとは本当ですのね。大陸を渡り歩く流浪の民、ロマニの者が持つ色味なのですが、その美しさはどの国でも一様に好まれ、愛でられたと伝え聞いております。この国では些か見慣れぬ色合いですが、私からすれば母から受け継いだ大事なもの。イヴリン妃の言葉を心に刻み、一生の誉とさせて頂きます」
そう如何にも感動した純粋な少女を装い、今一度深くお辞儀をするミランダ。
イヴリンの言葉をそのまんま受け取ったフリをし、加えてその言葉から他国のことを引き合いに出しながらもイヴリン自体を褒め称える。
しかしそれは、聞きようによってブルフェン国内の血にこだわる貴族、特に第一王子派に対する痛烈な嫌味だ。そこを敢えて何も気付かぬ娘のような反応をすることで、どうにも嫌味を言いづらい雰囲気をこの場に漂わせる。
顔にこそ出さなかったが、その瞳を明らかに負の感情で満たしたイヴリン妃。
そんな彼女に追い討ちをかけるようにアルフレッドも「私を気遣い、亡き妻を思い起こさせるお言葉、誠に有り難く思います」とそれは満面の笑みで返すのだから、もうイヴリン妃はそれ以上何も言えなくなってしまう。
「わたくしも、貴方達とこのように話す機会に恵まれて、大変満足ですわ」
そんな言葉を負け惜しみのように言いつつ立ち去ろうとするイヴリン妃。
しかし、それを予想外に邪魔したのは彼女の隣でずっと黙っていたはずの第一王子だった。
「母上、私にこの美しい方の紹介はしてくださらないのですか?」
その言葉に、まだ災厄は去らないのだと、ミランダは再び意識を引き締め直した。




