第二十三話 社交界の女たち
ミランダと同様、ダニエルもアルフレッドも、そして他参加者たちも、突然現れたリチャードソン伯爵夫人の存在に驚いたようだった。
リチャードソン伯爵夫人、ミーシャは幼い頃より身体が弱く、社交界にほとんど顔を出さないことで有名であった。ミランダも彼女とは以前に1度挨拶したきりでほとんど会ったことがない。グレースが言うには、伯爵家の自室で静かに過ごしていることがほとんどだとか。
亜麻色の長い髪を、ツーサイドアップにしてから緩く結い上げられたまとめ髪は、とうに成人しているセオドアの母親とは思えぬほど愛らしく、まだ少女のようにさえ見えた。赤い虹彩の瞳はキラキラと輝き、伯爵夫人の好奇心をそのまま表しているようだった。
「ミーシャ…」
「そんな顔しないでください、旦那様。わたくし、"まだ"何もしてませんよ?」
「母上、先程ご婦人方の元にニコニコと笑顔でにじり寄っていたではありませんか」
「あら、それは違っていてよセオドア。なんだか意地悪な顔してコソコソしていたから、先制パンチならぬ、ジャブとしてそのまま突撃しようと機会を窺っていたのよ?」
「なお、悪いじゃないですか…」
「お母様、それはミランダが自分で対処すべきことでしてよ?甘やかす必要はございませんわ」
ミーシャの言葉にセオドアは引きつった笑顔を、グレースは眉をしかめ、伯爵はというと深いため息を吐いて頭に拳を当てた。
ミーシャ様は世間知らずなせいなのかとても素直なため、ぽっと出てきた夜会で、噂好きのご婦人たちを滅多打ちにする問題児としても有名なのである。
元々公爵家のご令嬢であったせいか、他の人は彼女の強弁には言い返せず、彼女の独壇場をさらに助長しているのだ。
ミランダは伯爵家の、特にミーシャの夫である伯爵に対して、とても同情した。身内が勝手に暴走しそうになるのを止めるのはたとえ慣れていても、かなり気力を消耗する。
そんなミランダの内心を知ってか知らずか、ミーシャはより一層キラキラと輝きを増した瞳をミランダに向けると、ミランダの両手をバッと掴み、その小さ過ぎる両掌の中でギュッと握り込んだ。
「ミラちゃん!わたくしも今回は尽力しましてよっ!!」
任しておけとばかりの満面の笑みを浮かべ、鼻息を荒くするミーシャに、ミランダは思わず微笑みを強張らせる。
ーミ、ミラちゃん?
ミランダとミーシャが会うのはこれが2回目。
初対面の時も挨拶のみで、親しくなるほど会話を重ねた記憶はミランダにはない。
「…伯爵夫人。ご厚意は嬉しいのですが…「あら酷いっ!夫人なんてよそよそしいわ。ミーシャって呼んで?」
「…………ミーシャ様、」
「なぁに、ミラちゃん。心配はいらなくてよ?あなたのことをわたくし、とっても大好きですの。なんてたって我が家の捻くれ屋さんにも優しく接してくれる天使ちゃんですもの。欲を言えばセオドアのお嫁さんになって欲しかったけど、相手が殿下ではなかなかに難しいわねぇ〜。本当は噂を利用して、そのまま我が家の嫁枠にコロコロと転がり降りてきてくれたら嬉しかったのだけど、セオドアとウィリアム様…あっ、旦那様のことね?そう、2人がダメだって言うから、じゃあせめて幸せのお手伝いをしましょうってことで、私も頑張って出てきたのよっ!それに…」
一話せば十返ってくるような、豊かな表情と共に繰り広げられるミーシャの饒舌ぶりに、ミランダは口を挟むこともできず、ただただ圧倒された。
何やら色々凄いことをミーシャが言っていた気もしたが、それ以上に彼女の間近に迫る闘志に燃えた生き生きとした瞳の熱気に負けて、ミランダの耳にその内容はほぼ右から左状態だ。
そんな妻の様子に慣れているようで、リチャードソン伯爵はミーシャの話がもう止まらないと悟ると、その腕を華奢なミーシャの体に回し、そのままズルズルと引きずるように退散していく。
「ミーシャ、無駄口はいい。挨拶回りだ」
「…も〜、なんで社交界の人間ってこうも暇人ばかりなのかしらね?いっそ植物の研究にでも打ち込めば充実した毎日を送れるし、悪口も減る。一石二鳥、いえ、それ以上ですのに。あら?ウィリアム様?まだ話は終わってなくてよ?ちょっと待って!まだ1番重要なこと伝えてないのよっ!あっ、ミラちゃん!もしアームストロングの家から招待が来ても断らないであげてね?あの子、ミラちゃんに楽しんで貰えるように、頑張って準備してるみたいだからぁ〜〜〜〜〜」
ミーシャの制止にも耳を傾けず、ズルズルと妻を引きずっていく伯爵。そんなのにも負けず、だんだん遠ざかりながらもミランダに話しかけるミーシャ。そんな2人を追いかけ、小さく手を振りながら去っていくセオドアを、ミランダは引きつった笑みで見送った。
そんな一連の流れを遠巻きに見ていた招待客も、だいたいがこのリチャードソン家の常連で、この光景は見慣れているのか、すぐ何もなかったような空気で談笑を再開する。
「騒々しくて悪かったわ」
「ミーシャ様ってあんな感じなのね…」
「パワフルな方よね。わたくしの父と言い、奇人変人でお似合いですわ」
グレースの言葉に流石に頷くことは出来ないため、ミランダは曖昧に微笑むので留めておく。
「では、メルロー家の皆様。なかなか喧しい夜会ですが、楽しんでくださいませ」
そう言ってグレースは颯爽と背を向け、他の貴族の元へと去っていった。
「グレース嬢もなかなかに個性的だけどなぁ〜」
アルフレッドのそんな呑気な呟きに、ミランダは否定せず、ダニエルがアルフレッドの脇腹を小突いた。
夜会が始まれば予想通り。普段は話しかけてこない紳士淑女の皆様が、積極的にミランダとダニエルの元を訪れては探りを入れてきた。お陰でファーストダンス以外は踊る暇さえなく、次々とやってくる彼ら相手に、ひたすらに会話を楽しむこととなった。
リチャードソン伯爵家がミランダと懇意にしている様子を見せたからか、はたまたミーシャが会場で目を光らせているからか、あからさまな質問を投げつけてくる者はいないが、皆、言葉の端々に強い興味の光が見え隠れしていて、ミランダはいつにも増して気が抜けない。
「夜会で具合が悪くなった所を助けて頂き、その後心配して訪ねてくださったのが噂となってしまったようなのですが…このようなことになって申し訳なく思っておりますわ」
メルロー家での事前の話し合いで決まっていたように、ミランダは一様にこの言葉を口にしては心苦しそうに眉を下げ、瞳を伏せた。
ミランダとしては渾身の演技である。
そんなミランダの様子に、皆相手がブライアンだったからか、はたまた噂自体半信半疑だったのか、意外にも同情的な反応を引き出せたことに、ミランダもメルロー家も満足していた。しかしそれと同時に、なんとも言えないモヤモヤとしたものがミランダの心に住み着き、それが時折チクリッと痛みを与えるのが気にかかる。
ー気にしたらいけないわ。
そんなことに気を取られていたからだろうか。
ダニエルが少し、飲み物を取りに席を外したタイミングを見計らい、近づいてきたその人物に気がつかなかったのは。
「今日は随分と素敵なドレスを着てらっしゃいますのね、メルロー子爵令嬢。いつもはもっと慎ましやかですのに、どう言った風の吹き回しですの?もしや彼のお方に、多大な温情を頂いているという噂は、誠でありましょうか」
ドレイル侯爵夫人。
かなりのゴシップ好きで、どの夜会でもターゲットを見つけては噂の隅々まで穿り出しては言葉で嬲り、ボロを出したところをさらに追求して、相手を貶めるのが好きという、非常に面倒な相手だ。彼女は自分の後ろにいる、彼女そっくりな娘をブライアンに嫁がせたいと画作していたこともあり、ミランダが気に入らなくて堪らなかったのだろう。
母娘共々、質の悪い笑みを向けてくるのを感じながら、ミランダはふわりと微笑んだ。
ー距離は取ってたつもりだけど、やはりこうなるわよね。
ドレイル伯爵夫人に便乗したように、それまでミランダを遠巻きに見ていた女性何人かが、邪魔が入らないよう壁を作り、あっという間にミランダを取り囲む。
「これはドレイル侯爵夫人。タチアナ様に他の皆さまも、ご機嫌麗しゅう。なにか勘違いされているようで、とても悲しいですわ。一体、何故そのようなことをおっしゃいますの?」
ミランダははっきり言ってこういった女同士の言葉の応酬は苦手だ。かなり婉曲に、遠回しな言葉を有名な詩などに擬えさせながら使わないといけないのは、すっきりと美しい言い回しを好むミランダの普段の話し方から大きく外れる。
ミランダの丁寧でありながら無駄がなく、品のある言葉遣いは学があったり、頭の回転が早い紳士たち相手には好感を持たれるのだが、女性の中でそれを使えば"女性らしくない"、"奥ゆかしくない"と非難される。
特にミランダより上の世代の女性たちは、そう言った風習に固執している節があった。彼女たちの気に障らない、無難な返しをなんとかすることのできたミランダ。しかし、これで彼女たちが納得するわけもなく、ドレイル伯爵夫人はそのニンマリと釣り上げた口元を隠しながら、またミランダを追撃してくる。
「おかしいですわ。植物というのは種のないところでは芽咲きませんのに。それにメルロー嬢は大変目を惹くお姿をされていますから、彼の方はもちろん、多くの殿方に花と留め置かれるなど容易くございましょう?」
かなりの中傷を含んだドレイル伯爵の物言いをミランダはグッと喉の奥で堪えながら、敢えて小首を傾げてにこりと笑う。
「まぁ、ドレイル伯爵夫人は世の理が全て自分の知であると?わたくしには、太陽ということも月ということも恐れ多く思いますのに。しかし、ドレイル伯爵夫人に仰るように、彼の方の慧眼は深き底さえも見透かすものであることには賛同しますわ」
敢えてドレイル伯爵夫人の言葉を一部利用することで、婉曲的に彼女らを批判するミランダの言い回しに、ドレイル伯爵夫人は自身の手にした扇にミシッと音を立てる。
「血は水より濃くなるとは真実ですわね」
「さて、古き将が氏より育ちと頂に登りましたが」
最後の嫌味にドレイル伯爵夫人が吐いた言葉に、ミランダはすかさず微笑んだ。
彼女も周りも、これは立ち行き悪いと踏んだのか、そそくさとその場から散り始める。
1人を残して…
「何よっ!子爵風情がっ!!私の方がアンタなんかよりよっぽど王族に相応しいのにっ」
叫んだのはドレイル伯爵夫人の娘、タチアナ。
これには夫人も驚き、はしたないあからさまな物言いで暴言を吐く娘を、信じられないものを見るように凝視している。
「…選ぶのは王太子殿下です。それに私はあの方との関係を肯定したことなどないはずですよ?」
普段通りの言葉遣いでそう言い返したミランダを、タチアナはワナワナと体を震わせながら、睨み付けている。
そこへ、
「…その辺で止めてもらおう」




