第二十二話 リチャードソン家の人々
「おお、ミラっ!まさに天界より舞い降りし天使の愛らしさだね〜」
しっとりとした艶のある木製の扉を開き入ってきたのは兄、ダニエルだった。
予定通りミランダのエスコートをするために迎えにきたダニエルは、グレーの光沢のあるテールコートを身につけていた。ミランダのドレスと色を合わせて新調した若葉色のアプリコットタイ、ハンカチーフ、それにエメラルドのカフスボタンなどの装飾品もダニエルによく似合っている。
ダニエルの相変わらずなわざとらしい褒め言葉にミランダは苦笑いを浮かべながらも、きちんと意見を聞こうとスカートの両裾を軽く持ち上げ、広げて見せる。
「私…ドレスに着られてませんか?」
「何を言うんだ!もうドレスも宝石も、化粧だって全てミラの一部のように馴染み、光り輝いているよ!」
両手を広げ、姫を称賛する騎士のようにお辞儀して見せるダニエル。そんなふざけた様子の兄のおかげか、ミランダの不安はまるで些細な杞憂だったように、すっとどこかへ消えてしまった。
ミランダは、変なお辞儀から姿勢を正したダニエルを見上げ小さく笑みを溢す。
「…どうやらもう大丈夫のようだね。お手をどうぞ、僕の麗しのお姫様」
「そんなことを妹にばかり言っていると、お嫁さん探しは一行に進みませんよ?」
「ははっ、別に今すぐ結婚する気はないからね」
ダニエルの差し出した掌に、ミランダは手を重ねながら、悪戯っぽい笑みを浮かべ自分の兄を見上げた。
そんな妹に、ダニエルは茶目っ気たっぷりなウインクを返しながら、ミランダを恭しくそのままエスコートする。
「グレースはもう会場に?」
「主催側だからもう行くってさ。部屋の案内もろくすっぽせずに、後はよろしくと言われたよ」
「…グレースはまだお兄様に怒っているんでしょうね」
「抱き上げただけなんだけどなぁ〜」
「"子供と間違えて"、ですよ?」
ダニエルは初対面でグレースの地雷を見事に踏み抜いて以来、彼女に激しく嫌われている。
「まぁ〜、グレース嬢のことは置いておくとして!早く会場に行くよ〜」
明らかに話を逸らしたダニエルに、ミランダは困ったように眉を下げ、微笑んだ。
さすがはリチャードソン伯爵家というべきか。会場である大きなホールは沢山の貴族達で溢れていた。白を基調とし、ネイビーのカーテンや、臙脂色のテーブルクロスなどの落ち着いた色味の差し色が加えられたホール内。壁側に用意された色鮮やかな料理も、ホール飾られた趣向を凝らした絵画も、どれも目を惹くほどに美しい。
しかし、それらに視線が向かないほど、ミランダは自身に向けられる視線が多いことを感じて、緊張していた。
注目されることなど今までもあった。ミランダを好意的に見ていない者たちの心ない陰口も、数え切れないほど聞いた。しかし、それは一貴族の令嬢としての注目。王族が関わった噂が絡む好奇の視線は、今までのそれと比ではなかった。ホールにいる全ての貴族たちが、ミランダの一挙一動に目を光らせている。
肌が粟立つような緊張感。
意識して柔らかい笑みを保ちながらダニエルの手に引かれ、いつも以上に優雅な立ち振る舞いを心がける。
「…父様は?」
「大丈夫。今、伯爵と話してる。合流しようか」
まずアルフレッドと合流してから主催に挨拶をしようと、アルフレッドの行方をダニエルに問いかけたミランダ。その考えをよくわかった上で、少し固くなっている彼女を宥めるような優しい声がダニエルから返ってくる。
「父上、リチャードソン伯爵」
ダニエルの呼びかけに、それまで和やかに談笑していたアルフレッドが飼い主を待ちわびた犬のような期待に満ちた表情で2人の方へと振り返った。
「おぉ、ミラ!すっごく可愛いね。薔薇の妖精さんみたいで、キラキラしてるよ」
「ありがとうございます、お父様。お待たせしたようで、申し訳ありません」
ミランダのドレス姿にいつもと同じように、満面の笑みを浮かべ、はしゃぐアルフレッド。外面もなにも気にしない、素直なアルフレッドの反応にミランダは苦笑しながらも、他者の目もあるので一応お淑やかに言葉を返す。
「私が少し迷子になってしまいまして」
「あっ、そうなの?少し心配だったけど、こんなに綺麗にしてもらったなら時間かかるのは当たり前かなって納得してたんだけど…あっそれはそうと、伯爵。ミランダのこと本当にありがとうございます」
ダニエルの言葉にキョトンと首を傾げるアルフレッド。そして思い出したのか再び伯爵の方へと振り返ると感謝を口にし、きちんと貴族らしくお辞儀をした。
そんなアルフレッドを伯爵は、じっと見下ろしながら「大したことはしていない」と怒っているとよく勘違いされる、野太い声で素っ気なく言葉を返す。
リチャードソン伯爵はセオドアを少し歳を取らせたらこうなるだろうと思わせるような、息子とそっくりな容姿をしている。
しかしそっくりと言ってもそれはおおよそのパーツがというだけで、栗色の髪と釣り上がり気味の目元はグレースと同じであり、雰囲気はセオドアとまるで違い、いつも厳しい表情を浮かべているので近寄り難い印象が強い。
「伯爵様、順番が少々入れ替わりましたが…本日は私も、妹も招待して頂きありがとうございます」
「今晩はお招きありがとうございます。伯爵家の皆様には良くして頂き、とても感謝しております。ありがとうございます」
リチャードソン伯爵に向き直り、ダニエルとミランダは仕切り直すようにきちんとお辞儀をした。それに対して伯爵は、2人にそれぞれ目を走らせると「あぁ、」とだけ返し、再びミランダにだけ視線を戻し、じっとその姿を眉間に皺を寄せながら観察した。
「ふむ、いいんじゃないか?いつものお仕着せと見間違う、見た目に乏しいものより、余程まともに見える」
「ありがとうございます」
リチャードソン伯爵の痛烈な嫌味とも取れる言葉にも、ミランダは慣れたように微笑み、とても嬉しそうにお礼の言葉を述べる。とてもわかりづらいが、伯爵もグレース同様に素直ではない性格をしている。
先程伯爵の言った『いいんじゃないか?』も、それを踏まえた上で聞けば最上級の褒め言葉だとわかるため、ミランダは心から安堵し、嬉しくなったのだ。
ー伯爵様は言い方を除けば正直な方。彼が"似合う"というなら、それは素直に受け取っても大丈夫ね。
少し恥ずかしそうに、はにかむような可愛らしい笑顔を見せるミランダに、ダニエルは「僕や父さんに褒められるより、余程嬉しそうだね…」と、とても複雑な表情を浮かべていた。
そんなダニエルにも伯爵は「我が家で迷子になる奇特な客人はあまりいないのだが?」などと話しかけ、ダニエルも「我がメルロー家は小さな範囲に慣れておりますから。むしろ、案内役が些か不十分だったのでは?」などと、軽口の応酬を始めている。グレースとも反りが合わないダニエルは、リチャードソン伯爵ともあまり気が合わないのだ。
急に始まった2人の嫌味合戦にミランダはどうしたものかと眉を下げていると、その肩をトントンと誰かによって軽く叩かれた。
「グレース、先程ぶりね。セオドア様も、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、ミランダ嬢」
「ミランダ、貴女随分のんびりさんでしたわね。てっきり逃げ出したのかと思いましたわ」
ミランダがそちらへと振り返れば、セオドアにエスコートされてやってきたグレースの姿。どうやら2人ともミランダたちの姿を見つけて、他の挨拶からこちらへと戻ってきてくれたらしい。
グレースの、ミランダとお揃いのピンク系統でまとめられたドレスも、彼女の愛らしい容姿にとてもよく似合っていた。袖がミランダと違い葉ではなく、ピンクと赤の花びらのようなデザインがされていて、それもそれでとても素敵でグレースらしくも感じた。
その隣に立つセオドアは、なんと珍しいピンクベージュのテールコート。しかし、そんな色合いも穏やかな気質のセオドアが着ると、柔らかな雰囲気も相まってむしろよく似合っているようだった。
「やぁ、セオドア君にグレース嬢。2人ともとってもおしゃれさんで素敵だよ」
「お褒めいただき、光栄です。子爵」
「ふふ、メルロー子爵。わたくし、貴方のその馬鹿正直な褒め言葉、嫌いじゃありませんわ」
もうすっかり社交界モードの切れてしまっているアルフレッドの言葉に、リチャードソン家の兄妹は彼ららしい言葉で褒め言葉のお礼を告げている。
次いで、グレースはチラリとアルフレッドからその隣でダニエルと話している、自身の父、リチャードソン伯爵に向けると、明らかに意地悪な笑みを浮かべた。リチャードソン伯爵もそれに気がついたようで、ダニエルとの会話をやめ、娘、グレースの方へと向き直る。
「お父様、貴方も少しは娘を褒めるという気概を持ち合わせてみてはどうですの?わたくしも、今回はそれなりに頑張りましたのよ?何か少しはあってよろしいのではありませんか?」
「………馬子にも衣装だな」
「その瞳は、もう使い物になっていないのでは?お医者様をお呼びするなら、なるべく名医にお願いすることをお勧めしますわ」
「………」
そんな一触即発な険悪な空気の2人に、セオドア様がグイッとその間に身体を割り込ませた。
「グレース、気持ちはわかるけど父上のところに来た用件を忘れちゃダメだよ。父上も、挨拶はよろしいのですが、母上を野放しにするのは危険ですのでやめて下さい。また、あちらで招待したご婦人方のところに潜り込んでましたよ」
そう言って、セオドアが自分の背の影からグイッとリチャードソン伯爵に向かって押し出したのは、亜麻色の髪をした華奢な女性、リチャードソン伯爵夫人。
今までもずっとセオドアの後ろに隠れていたらしい彼女が、引っ張り出されて「あら、」と呟き、邪気もなく微笑む姿に、彼女がこの場にいたとは思わなかったミランダはその驚きから目を丸くした。




