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第二十一話 淑女の身支度

清々しい青空が広がる、晴れやかな日だった。


しかし、それに反してミランダの心はどんよりとした曇り模様。休憩という名のお茶を飲みながら、その表情はすっかり疲れ切っていた。


朝早くから馬車で迎えに来たグレースによって誘拐されるように家を出たミランダは、リチャードソン家を訪れていた。

到着早々客間に連行。身ぐるみ剥がされ、湯船に放り込まれると、その後は長時間かけての全身マッサージ。このマッサージはミランダにはかなりの痛みが伴った。日頃凝りに凝り固まった筋肉がゲシゲシと揉み解され、皮膚という皮膚に花の香りのするオイルを擦り込まれ、不純物を流し出そうとする行為は、ミランダの心身にあっという間に疲労感という大ダメージを与えた。

その後放心状態のままヘアトリートメントをされながらのネイルケア。爪に色を塗られるのはなんとか拒否したミランダだが、かわりに磨かれた桜色の爪の上にはラインストーンを貼られてしまい、料理で異物混入になったらどうしようとひとり微妙な顔をしていた。

そうしてその後も、フェイスマッサージに、顔のお手入れ。ここまで来るとミランダは無我の境地である。


そして現在、

いくら休憩でお茶を飲めるとはいえ、軽食片手に、疲れ切ったミランダが元気になれるわけもなく。


ー貴族ってこんな大変な準備して夜会に行くのね…


自分のことは自分でするミランダにとって、人に世話されるのは記憶があやふやな幼少期以来の経験だ。しかも、今日会ったばかりの他人にあれこれと全身を整えられるのは、なんだか罪悪感や嫌悪感があり、ただ精神が摩耗するだけで、綺麗になった嬉しさより断然疲れの方が上回る。

メルロー子爵家ではまずあり得ない1日がかりの淑女の身支度に、はっきり言ってミランダはもうお腹いっぱいな気分なのだ。しかもこれが、行きたくない夜会のための準備なのだから、ミランダの気分は下り坂一直線だ。


ーこんなことならあの時、了承するんじゃなかったわ。


たった2日前に行われたドレスの最終テェックの時のことを思い出し、ミランダはとても重たい溜息をついた。




『本当に、素晴らしいですわっ!』


そうグレースが感嘆の声を上げるほどに、最終確認の日に上げられたドレスたちは素晴らしかった。そう、ドレス達である。

なんと驚いたことに、オークチュール"カメリア"の2人は、注文されていたドレス3着全てを最後の直しを終えれば納品できる形で仕上げてきたのである。

その代償か、マティルダもアウローラも顔色が悪く、げっそりとやつれ、目元にはクマまでこさえていたが、その瞳は異様にギラギラしていて『やりきりましたわっ』と胸を張って自信満々に言い切る姿は、まさに作品に情熱を注ぎ込む職人としての誇りの現れなのだろう。


さぁ、早く着て見せてくれとドレスを押し付けてくる2人の熱意に圧倒され、恐る恐る完成したドレスに袖を通したミランダ。

着た瞬間、それまで着ていたドレスとは全く違う肌触りに、ミランダは思わず息を呑み込んだ。

次に驚いたのはドレスの軽さ。豪華な飾りをつけるとそれに合わせ、重くなるのがドレスというもの。しかし、2人の作ったドレスはどちらも、その見た目に比べても、圧倒的に軽く、なんならミランダの持っているシンプルなドレスよりも軽かった。


『布地にドレープ、ギャザーなどの工夫をしてボリュームを出す技術を得たので、これまで以上の減量に成功しました』


そうやり切った表情で力説するアウローラ。それ以外に、余計な布面積を増やさないように工夫した布の裁断をしたとミランダに説明してくれた。

そんな2人の素晴らしいドレスを前に、グレースも今度の夜会はミランダと揃いの、"カメリア"のドレスを着ることに決めたらしい。


『ミランダ、私と色違いのドレスを着るからにはきちんと支度してもらうわよ。貴方、当日は我が家で支度なさい』


この時、淑女の身支度が"一般的に"どれほど大変か知らなかったミランダは、ハンナに準備を手伝ってもらう必要がなくなるし、移動も楽になるからいいかなと、軽い気持ちで了承したのである。



ーそれがまさか、こんな疲れることをしなくてはならなかったとは…


どんなに食欲が湧かなくても、食べておかなければ夜まで持たない。ミランダはサンドウィッチを無理して口元に運び、少しずつぬるくなったお茶と共に胃の中へと流し込んでいく。


「…なに、そんなぶすくれてますの?」


同じようにミランダの向かいに座って紅茶を飲むグレースは、ミランダとは違い慣れた様子で、たかが"淑女の身支度"くらいで疲れていないようだ。


「…いつもこんなことしてるの?」


「こんなこととは?」


「1日かけての身支度」


「貴族令嬢の義務でしてよ」


「貧乏貴族にはそんな義務ないわ」


今にも机に突っ伏してしまいたい、そんな怠惰な誘惑を我慢し、ミランダは口にサンドウィッチを含みもそもそと咀嚼し、ひたすらにそれを胃の中へと押し込んでいく。


「これくらいで根を上げてどうしますの?これからさらにコルセットを締め上げて、髪を結って、化粧して、ドレスを着て、そこからが本番ですのよ?そんなんで、社交界の女狐達と戦えますの?」


「…今日も女狐を招待してるのかしら?」


「避けられない付き合いはありましてよ」


そう言って同じくサンドウィッチに手を伸ばしているグレース。中身の具を確認し、満足そうに微笑んだ彼女は嬉しそうにそれを口に運んでいる。


ミランダはチラリと、離れた場所にかけられた自分のドレスへと視線を向けた。

土台となる淡い緑色のスカートの上に、ドレープとギャザーをふんだんに使い、薔薇の花びらが重なり合うのように重ねられた黄、深緑、萌黄の柔らかい布地。きっとダンスを踊るたびふわりと広がるそれは、薔薇の蕾が花開くように美しいだろう。

ペールグリーンのボディにも刺繍でいくつもの小さな金と緑の蔓薔薇が伸び、左胸元には白い薔薇のコサージュがつけられている。

首回りとデコルテ、肩はミランダには珍しく、がっつり開いたオフショルダーになっており、葉を模した袖が二の腕あたりを覆っている。


「わたくしがお揃いを着て差し上げるのですから、あとは自分でなんとか立ち回りなさいな」


ミランダの視線の先に気がついたように、グレースはツンとした態度でそう素っ気なく言い放つ。

グレースが着るのはミランダとデザインを少し変えただけの、色違いのドレスだ。主催のリチャードソン家のご令嬢とお揃いのドレスで現れるのは、その家と深い親交があると表すと同時に、ある種の牽制ともなるだろう。


「そうね、ありがとう」


ほんの少し上向いた気持ちで微笑みを浮かべたミランダ。

そんなミランダの言葉に、グレースはプイッとそっぽを向いた。



そんな和やかな束の間の休憩が終われば、コルセット締め、貴族令嬢にとって苦痛に満ちた時間がやってくる。

ミランダは壁に手をつくように言われ、侍女たち3人がかりでコルセットの紐をぎゅうぎゅうに引かれていく。途中、息を吐き出すように指示されながら締められたコルセットは、ミランダが普段適当に締めた前締めのものと全然違い、息苦しさと不自由な感覚のする体の締め付けをミランダに訴えてくる。


ーよく皆さんこんなので優雅に踊れるわね…


そんなことを考えている間に、あっという間にミランダが連れて行かれるのは鏡台の前。いくつもライトに照らされ、またしても3人がかりで髪結い、化粧されていく様子はまさにプロの技である。


「凄いですね…」


「お褒めいただき光栄です」


こうしてミランダの呟きにも相槌を打ってくれるほど。皆、テキパキと作業をしながらも余裕も持ち合わせている。


『その子達は私の専属じゃないのよ』


何度かリチャードソン家を訪ねていたミランダだが、今日ミランダをお世話してくれているこの3人の侍女のことを、今まで見かけたことはなかった。

先程の休憩始まりにそのことをチラリと聞いたらグレースがそう教えてくれたのだが、その言葉に少し、含みのようなものを感じてしまい、ミランダは首を傾げていた。


ー身のこなしもハンナみたいなのよね…


元王宮侍女のハンナと似たような身のこなし。しかし、高位貴族ともなれば、これくらいのレベルは当たり前なのかもしれないし、まさかわざわざ王宮から侍女を借りてきたなんてことはあり得ないだろう。そんなミランダの考え事を他所に、髪もメイクもあっという間に仕上がっていく。

両サイドから編み込みながら後頭部の低めの位置で纏められた髪は、所々後毛が溢され、編み込み部分には小さな白や緑の花を模したピンが付いている。

メイクも茶色系で少しメリハリをつけた後、ピンクとグリーンを絶妙に合わせたアイメイクが、春の訪れを告げるような柔らかさを演出している。唇には、主張しすぎない自然なピンクにグロスを乗せ、頬にもほんのりと淡い色をつけている。


メイクやヘアメイクが終われば、流れるように連れて行かれるのはドレスのかけられたシンプルなハンガーラックのすぐ横。大きな姿見の前だ。手早くドレスを着せられると、続けてドレスに合わせて用意してもらったアクセサリーを身につけていく。

首元はエメラルドにペリドット、トパーズを使った華やかな作りのネックレス。シルバーの短めのチェーンで耳元にぶら下がる雫型のエメラルドのピアスは、ミランダの動きに合わせてゆらゆらと揺れ、光を反射する。

靴も、ドレスやアクセサリーに揃えてペールグリーンに染められた革に、緑の蔓薔薇の刺繍とラインストーンが施されている。


ーどうなんだろう…


ミランダは鏡に映る自分は姿形は同じなのに、まったくの別人に見えた。普段など比じゃないほど、美しいものに飾られた自分。でもそれがより一層普段の自分との違いを感じさせるようで、似合っていないのではないかとミランダは不安に思ったのだ。


ーブライアン様が見たら…褒めてくれたかしら?


ふとそんな時ミランダが思ったのは、今朝会うことが出来なかったブライアンのこと。会えなかったことを少し寂しく思いながらも、ミランダはそっと息を吐き出す。


そんなミランダのいる客間に、迎えを知らせるノックの音が鳴り響き、静かにそのドアは開かれた。


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