第十九話 戻らないもの
リチャードソン伯爵家の夜会まで数日となった。
あの怒涛のドレス作りの日から、ミランダを始めとするメルロー家の人々は意外と穏やかな日々を送っている。
非日常も、慣れれば日常へと変わる。
そんな言葉ではないが、メルロー家の人々がようやく今メルロー家の置かれた現状に慣れ始めてきたというのもあるし、それほど突飛な出来事がこの数日で起きていないというのもある。
ミランダは居間のいつもの場所でドレスのリメイクに励んでいた。ドレスは予想を遥かに上回るペースでリメイク作業が進んでおり、残りは紅茶染めした元々デビュタントで使ったドレスに手を加えるだけとなっていた。
そこにはダニエルがアルフレッドの執務補佐をずっと代わってくれていることや、ミランダ自身がリメイクにどんどん慣れていくこと以外に、ブライアンとの朝のお茶の時間でも作業できるようになったのが大きいだろう。たかが30分。されど30分。それだけの時間があれば、ドレスの一部分に刺繍を施すなど、ミランダには簡単だった。
王都に2人で出かけてから、ミランダはブライアンに対して変に気負うことがなくなった。
むしろ、ドレスを作りながら時折話を返してくれればいいからと勧めてくれたブライアンに、自然体でも受け入れてくれる、居心地の良ささえ感じるようになっていた。
今も、ロッキングチェアに座るミランダの、少し離れた場所にあるソファでブライアンが静かに紅茶片手に座っていた。
ブライアンは手元に集中するミランダの注意を決して散らすことなく、本当に適度な会話しか投げかけてこない。たまに、何も言わずに時間いっぱい、ミランダをずっと眺めて帰ることもあるくらいだ。
ブライアンがじっと見つめていることにたまに気がついてしまい、ふと目が合うと、ミランダも気恥ずかしいのだが、それ以外は本当にやりたいように過ごさせて貰っているこの時間を、ミランダは好むようになってきている。
「…いつもと形が違うんだな」
だから、ミランダは驚いた。
なんとなく手が進まなくて、少しぼんやりとしかけていたミランダにわざわざ近づき、ブライアンがそう問いかけてきたのには。
ーブライアン様って…ドレスの形とか見て違いがわかるのね。
てっきりブライアンはドレスなどどれも同じだと思うタイプだろうとミランダは思っていた。だが、それはどうやら違ったらしい。
「いつもは自分がアレンジしやすいからAラインと呼ばれる形のドレスを着ているんです。でも、これは私ではなく、父と兄が姉のドレスを真似て作ってくれたドレスだから、形が違うんですよ」
そう言ってわかりやすいように両手でドレスを広げて見せるミランダ。柔らかな布で丁寧に作られたドレスが、小さな動作にもふわりと靡く。
ブライアンは「姉のドレスを真似て?」と呟きながら、まだよくわかってないのか眉間に皺を寄せ、考えている。
「幼い頃、姉のデビュタントのドレスを見て、同じドレスを着たいと我儘を言ったことがあるんです。それを父も兄も、忘れずにいたんですね……嬉しかったです。姉と同じ、白いドレス。だから、この形は多分、姉が着たかったデザインなんです」
胸のところからスカートに切り替えられている長袖のエンパイアドレス。デコルテラインからふんわりと作られた袖の部分にかけて柔らかい少しだけ透け感のあるレースが使われている。
デビュタント以前から大人っぽいと言われていた姉が、16歳の少女らしく輝いていたドレスが、ミランダの目には魔法のドレスに見えた。
「しかし、アメリア殿は……もっと大人っぽいのを着てなかったか?」
「あら?殿下は姉様を見たことがあるんですか?」
「あぁ…王族の男たちは、社交界デビューが早い。私は14からで、アメリア殿も何度か見かけている」
ーそうだったのね…
ミランダもダニエルも見ることのできなかった、ホールでのアメリアの美しいドレス姿をブライアンが知っている。そのことを少しミランダは羨ましく思った。
「お姉様は、家のためにより良い家へ嫁ごうと、自分に一番似合うドレスを選んでましたから…本当はこう言った控えめで可愛いドレスが着たかったのだと思います」
自分が彼女と同い年になるまで、全く気がつけなかった、姉の真実。思えば幼い頃、やたらフリルの多い少女趣味の服を着せられていたのも、アメリアが自分の着れないものをミランダに着せていたのかもしれない。
「アメリア殿のこと、本当に残念だったな…」
「……」
「美人薄命というが、彼女の死はあまりにも早すぎて悔やまれる」
「……本当に…」
ー姉様は、あんな所で死ぬはずじゃなかったのに…
感情が芽吹きそうになる瞳を隠すように、ミランダは静かに目蓋の裏へとそれを押しこみ、唇を噛んだ。湧き上がる憎しみを、怒りを、悲しみを、必死にその身に留め置き、その奥底へとまた押し戻す。
そうして、瞳を開ければ、いつもの穏やかな深緑の色が現れる。その瞳の奥を、覗き込むようにじっと見つめていたブライアンが、何かを理解したように目蓋を伏せ、声を落とした。
「…染めたくなかったのか?」
ーあぁ、なぜこの人は。そこまで気がついてしまうんだろう。
ミランダはブライアンの言葉に、静かに微笑みを返す。
「そうですね。………染めたく、ありませんでした」
どんなに目を背けようとしても、それは紛れもないミランダの本音だ。
「だったら他のドレスを…」
「作ればいい?我が家にそんな余裕あると思いますか?」
「…私がプレゼントすると言ったら?」
「………やめて下さい。憐れんでいるんですか?」
強い反感にも取れる言葉なのに、それを発するミランダの声はどこまでも柔らかく、そして物悲しい。
「……なぜそこまでして貴族の地位にこだわるのか。他の人から見たら滑稽でしょうね」
そう呟くミランダが見せる自嘲的な笑み。
それはミランダが初めて見せた、いつもとはまた違う、嫌な大人っぽさだ。胸を締め付ける諦めにも似た表情、アルフレッドにはそれが彼女の背負う憂いの影、そのもののように見えた。
「でも、たとえ市井の者とそう変わらぬ暮らしに落ち、働かないと当然のように生きていけなくても、私たちは貴族であることを捨てることは出来ないんです」
ーどんなに辛くても、どんなに逃げたくても…
「それが私たちの責任であり、私たちの背負うべきものなんです」
ーそれが、助けられなかった姉を代償に、この地位を甘んじた…私たち家族への罰だ。
「………湿っぽい話をしました。姉の話になると、ダメですね。やっぱり」
誤魔化すようにそう口にし、表情を隠すように俯いたミランダ。
そんな彼女の今にも泣き出しそうな姿を、ダニエルはただ黙って見つめている。
「でも、染めたくなかったと言っても、染めてしまったものは戻りません。私にできることは、このドレスを素敵な姿に生まれ変わらせること、それだけです」
そう言って、ドレスを丁寧に撫でたミランダは、今度こそブライアンをまっすぐに見つめ返し、笑った。
「上手にできたら、またブライアン様にお見せしますね」
そうして"完璧な淑女の微笑み"を浮かべたミランダに、ブライアンは「楽しみにしている」と返し、その瞳を代わりに閉じた。
「ブライアン様、そろそろお時間では?」
「あぁ、」
ミランダの帰りを促す言葉に、ブライアンは素直にうなずく。
玄関まで送ろうと後に続くミランダに、何故か途中、その足を止めたブライアンが1度振り返った。
「夕方ごろ、少し時間あるか?」
「私は大丈夫ですけど…殿下、またそうやって時間を空けて、お仕事は大丈夫なんですか?」
あの城下町のお出かけが気に入ったのか、ブライアンはあれ以来、こうしてスケジュールを訊ねては、一緒に過ごす時間を取ろうとすることがある。全てが出かけるというわけじゃない。むしろ、ほとんどはメルロー家で食事やお茶の時間を過ごすだけだ。
「…17時頃、迎えに来る。暖かい格好をしておいてくれ」
それだけを告げると、ここまででいいと言って、ブライアンは王城へと帰っていった。
ー暖かい格好…外に出るのかしら?
17時といえば、まだ冬の終わりである今頃は夕方に位置する時間帯だ。そんな暗くなり始めてからどこに行くのかと、ミランダは疑問に思いながらも、思わず苦笑いを浮かべる。
「気を遣われましたね…きっと」
そんな独り言を漏らしながら、ミランダはドレスを少しでも進めようと居間に戻り、再び針を手に取っては無心で作業を進めることにした。




