第十六話 ぎこちなくも近づく距離
普段は1時間はかかる王都への道のりが、その半分の時間でたどり着いてしまった。
しばらくはブライアンの腕の中でカチコチに固まっていたミランダだったが、頬を撫でていく柔らかな風の感覚と、高いところから遠くに見える美しい王都の景色に、自然と関心はそちらに傾き、王都にたどり着く頃にはすっかり馬上の旅を楽しんでいた。
「乗馬というのは、こんなに楽しいものなのですね」
ブライアンに鞍の上から抱き下ろされながら、ミランダは小さな子供のようにはしゃいだ笑みを浮かべた。初めて経験する相乗りがいつもの仮面を忘れるほどに、ミランダを興奮させたのだろう。
そんなダンス以来2度目とも言える、ミランダの無邪気な笑顔に、ブライアンは思わずある提案が口からついて出る。
「そのうち、遠乗りに行くか」
「本当ですかっ!?」
「…時間をつくる」
「はい!ありがとうございますっ」
さらに大輪の花を咲かせるように破顔したミランダに、ブライアンは照れ臭そうに視線を逸らし、微かに耳を赤くする。
フローリアを王都入り口にある公共の宿舎に預け、ミランダにとっては慣れた城下町、主に平民や商人が行き来する西地区の大通りへと足を踏み入れる。
広々と作られ、きちんと舗装された大通り。
その両サイドにはそれぞれ小さな専門店をはじめとする店舗が並び、そのほかにも通りの真ん中一列に簡易な造りで建てられた露天などの出店がずらっと連なっている。
貴族街である北地区とは違い、人々の賑やかな活気に満ちたこの地区は、人通りも多く、慣れていないととても歩きづらい。
その中をスイスイと進んでいくミランダに続き、ブライアンも逸れないように後ろを歩く。
「…慣れているな」
「よく買い物で来るんです」
普段は隣町に歩いて出て、そこから乗合馬車を利用していると話すミランダに、ブライアンはとても驚いた顔をしていた。
ー貴族はやっぱり乗合馬車なんて使わないのね。
メルロー家のほぼ庶民的な感覚を自覚し、苦笑いを浮かべつつ、ミランダの視線はあるものへと一瞬吸い寄せられる。そこにあるのはトルティーヤと呼ばれる、最近人気の他国の食べ物が売られる屋台。
ー昼食、食べ損ねたのよね…
美味しそうな香辛料の香りに、空腹を思い出してしまったミランダはさらに苦笑いを深めた。そんなことに今気がついたところで、王族であるブライアンに屋台での買い食いを付き合わせるわけにはいかない。
昼食は諦めようと、視線を前に戻したミランダ。しかし、その耳にブライアンの「…腹が空いたな」という呟きが突如飛び込んできた。
「殿下、昼食まだなんですか?」
思わず勢いよく振り返ったミランダ。
「いや。食べては来たが……少なかった」
そう素直に答えたブライアンに、ミランダは思わずその体格の良い身体を上から下まで確認してしまう。
ー確かに…殿下はよく食べそうよね。
普通の男性より頭ひとつ大きく、がっしりとしたブライアンの体躯を見ながらそんな感想を浮かべ、ここら辺の食事処で貴族が入れそうなところはあったかしら?とミランダは記憶を探っていく。
「…一度貴族街へ移動しますか?」
「いや、アレでいいだろう」
思い当たるものがなく、仕方なく無難な提案したミランダに、ブライアンはそう言ってある屋台へ視線を投げた。そこにあるのは先程ミランダも見ていた、トルティーヤの屋台。
ーアレを食べるというの?殿下が?トルティーヤよ?
本気ですか?と言いたげに、まじまじとブライアンを見上げるミランダ。そんな彼女にブライアンは、
「アレを見てただろ?」
と不思議そうに首を傾げる。
ー見られてたのね…
ミランダの顔が恥ずかしさから真っ赤になり、その視線はなんとなくブライアンを避けるように横へ逸らされる。
羞恥からそんな状態で立ち止まったままになってしまったミランダの腕を取り、ブライアンはそのままトルティーヤの屋台の前へと彼女を引っ張っていく。
「食べろ。君は細すぎる」
ブライアンからしたら昼食を食べ損ねたらしいミランダを心配しての行動。そして、相乗りで実感してしまった、華奢すぎるミランダの体つきを潰してしまいそうと恐れての言葉だった。が、残念なことに、体格差から見下ろしたブライアンの視線、彼としてはウエストを見ていたつもりだったのだが、彼の少な過ぎる言葉数も災いして、ミランダに対してとんでもない誤解を生んでしまった。
「…どこを見て、言ってらっしゃいますか?」
眉をひくつかせたミランダに低まった声でそう問われて、改めて冷静に状況を見直すと、ブライアンの視線からよく見えるのは程よくふっくらとした胸元。
「……………そういう意味じゃない」
「本当ですか?男性的にはもう少しボリュームが欲しいのではなく?」
「誓って言う。そこは問題ない」
ーじゃあ、どこなのよ。
そう言いたげに片眉を上げるミランダ。
これ以上何か言うのは危険と思ったブライアンは、その視線から逃れるのようにそそくさベーシックな味のトルティーヤを2つ注文した。会話をこっそりと聞いていた屋台のおじさんが、そんな2人の様子に苦笑いを浮かべている。
思ったよりすぐ出来上がった熱々のトルティーヤを2つ受け取り、ブライアンは気まずそうにひとつ差し出し、言い訳のように呟いた。
「先程、腰を掴んだ時細すぎて…折れるかと思ったんだ」
「…折れることはないかと」
そんな不器用なブライアンの弁解に、釣り上げていた眦を緩め、ミランダは仕方なさそうに眉を下げる。
「でん…ブライアン様はきちんと相手に伝わるようにお話しする努力をしてください」
「…善処しよう」
そんなぎこちない仲直りをしながら、2人は初めて味わうトルティーヤの味に舌鼓を打った。
腹ごなしをし、再び歩き出した2人は大通りを王宮の方にしばらく進んだのちに見えた、淡いピンクの外壁をした小さな店舗へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー」
笑顔の店員さんに出迎えられ、広がった視線の先には、柱のように巻かれた布の束がずらっと並ぶ光景。他にも2階に続く階段の壁には『レース、リボン、ビーズ、ボタンなどの装飾品は上へ』と張り紙が貼ってあり、ここがそう言った装飾の類の専門店だと一目で確認することができた。
物珍しそうに店内をぐるっと見回すブライアンとは違い、ミランダは慣れた様子で布の置いてある棚の、シフォンの巻きが置いてある場所へと直行する。
その中のまず、お買い得品と書かれた場所を見始めたミランダに、ブライアンは背後からそっと声をかける。
「決めて……買うものは決めてるのか?」
「えぇ、この柔らかい布地が欲しいのですが、お買い得品で合う色合いのものがあればと思って」
そう言いながら、白や黒、ピンクのそれらを手に取り、眉を顰めるミランダ。
「…買得品とかでは…そう言ったのを気にしなくていいなら、何色がいい?」
「そうですね…クリーム色のドレスなのでそれに合うのなら。特にこれとは決めていませんね」
ブライアンの疑問に不思議そうにしながらも、ミランダは一瞬間を置き、そんな何とも言えない答えを返す。
ー濃い色の方が締まるかしら。紺、深緑、濃い紫もいいし…うーん。
そんなことを考えているミランダの前に、すっとブライアンがあるシフォンの布地を差し出した。真紅にほんの少し紫の入ったような上品な赤だ。普段原色に近いものをあまり手に取らないミランダにもいいなと思わせるような、そんな深く、どこか落ち着きを感じさせる色味。
「これとかどうだ?」
そう言ってミランダの顔を覗き込むブライアン。その姿に思わず、彼の髪色とこの布地の色が似通っているなどと、ミランダは少し考えてしまう。
「そうですね。いいと思います」
ーただ、値段はどうなのだろう?
思案するミランダを他所に、ブライアンはまるで決まりだと言うようにその布の巻きをひょいと腕に抱えてしまう。
「えっ、ブライアン様?」
「これは詫びだ。ここの金は私が払う」
「でも、それは…」
「譲る気はない。気にしないで買い物しろ…君は」
そうして「他に欲しいものはないのか?」と、取り合う様子も見せずスタスタと店内を闊歩するブライアン。そんなブライアンの後ろ姿に、これは取り付く島もないと、ミランダも諦めたようにため息を吐く。
「ブライアン様、それは先に必要な長さ切ってもらった方が邪魔になりません。店員さんに頼みましょう」
「あぁ。…………遠慮しないで多めに頼め」
「……そうさせていただきます」
そんな2人のやりとりを年配の女性の店員さは笑みをなくしきれず、ニマニマと頬を緩め、観察していた。
結局ミランダは最初に見た赤いシフォンの布地以外に10種類もの布地、大量のレースとリボン、使い勝手の良いビーズなど様々な物をブライアンに買ってもらった。
最初はそこまで買う予定ではなかったのだが、なかなか品物を籠に入れようとしないミランダの様子を見兼ねたブライアンが、彼女が目に留めたものを次々と籠に放り込んだ結果だった。
『多すぎるます』と苦言を呈したミランダも、『プレゼントしたいんだ。…甲斐性のない男にさせる気か?』とよくわかない懇願をブライアンにされてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまったのだ。
その後に寄った刺繍糸専門店でも、もう慣れた様子で次々籠に商品を入れていくブライアン。そこでも大量な刺繍糸を買ってもらったミランダは、なんかお金持ちの貴族様になった気分だわと自身の境遇と矛盾だらけの感想を抱いた。
そうして大量の戦利品を持ち、フローリアの元へと戻った頃には太陽の光が橙色へと移り変わり始めていた。
買ったものを慣れた様子でフローリアのお尻の上括りつけ、ミランダは行きと同じように鞍に乗せられ、その後ろにブライアンが続いて乗る。
「とても贅沢な買い物してしまいました…」
余韻か、はたまた背徳感か、そうポツリと呟き、でも嬉しそうにはにかむミランダに、ブライアンはしばしの沈黙の後「…そうか」とだけ言葉を返す。
パカパカと、軽い蹄の音を鳴らしてゆっくりと常歩で進む馬の上で、ミランダは名残惜しそうに城下町の方を振り返っている。
「…帰ったらドレスを作るのか?」
「はい。今回はかなりの大作なので」
「そうか…」
王都の四方にある大きな門を潜り、野原が横目に続く見慣れた道が現れる。
「…完成したら見せてくれ」
「ドレスですか?」
「あぁ…見てみたい」
「わかりました。では頑張らないといけませんね」
そんな会話を最後に、ブライアンは馬体を軽く蹴り合図すると、行きと同じスピードで馬を走らせ始めた。
ミランダにはその帰りの道が、行きよりもあっという間だったように感じられ、そのことをとても残念に思った。
夜、パチパチと暖炉の火が鳴る居間で、いつものロッキングチェアに座り、ミランダはクリーム色のドレスをアレンジしていた。
ふと視線を上げ、少し離れたところのソファテーブルに広げられた布やレース、刺繍糸などを目にし、ミランダは優しく目元を緩める。
「ちょっと贅沢すぎるわね」
そんな言葉を呟きながらも、ミランダは気恥ずかしそうな可愛らしい笑みを浮かべている。
そして今日の出来事を思い出し、そういえば今日はブライアンと過ごす時間が気まずくも、負担でもなかったなと思い至る。
「…慣れたってことかしら?」
そんなわけはない。
そうわかっていながらも、楽しかった気分を萎えさせたくなくて、ミランダは気がつかないフリをする。
「頑張ったら明後日までに出来上がるかしら…」
そんな小さな呟きを落としながら、ミランダはとても幸せそうに手元の赤い布を見つめていた。




