第十四話 怒った女は怖いもの
朝からミランダは不機嫌であった。
本人は『寝不足なだけです』とむっつりした顔で言っていたが、それが"寝不足による理性の緩み"で、癇癪を起こしていることにアルフレッドとダニエルは気がついていた。
いつもは淑女の微笑みを仮面として被り、負の感情を極端に抑え込むミランダ。その反動が寝不足というきっかけで溢れ出しているのだと。
こうなったミランダはある意味とても素直だ。
なんの遠慮もなく負の感情を、怒り、悲しみ、やるせなさ、不満のかけらをポロポロと落としていく。
時にそんなこと思っていたのかと、周りにショックを受けさせることが多々あるのだが、それは紛れもないミランダの本音の一部であり、そう言った時は"毒吐き"と称して、アルフレッドとダニエルはそれを甘んじて受け入れることにしている。
「…今日は私、ドレスをリメイクしないといけないので、お兄様執務代わってくださいね」
「うん、しばらくは僕も商会休むつもりだからさ」
「胡散臭い顔で笑わないでください」
「………はい」
「あとお父様、」
「なななななんだい?ミラ?」
「今月残り分と来月のお金のやりくり見直してくださいね。今月は余計な出費がありましたし、来月もそれなりに増えるでしょう。オートミール生活したくなければ捻出して下さい。それくらいのやりくりならできますよね?」
「…………はい」
そうして、いつもより寒々しい空気の流れる朝食が再開される。
先程の言葉は、どれも口にしていなかっただけで、ミランダを悩ませていた問題だ。
ドレスを間に合わせるのに時間に追われてること。短い期間で今回は家事の合間をぬいつつ、見栄えの良いものを作らないといけないからさらに大変なのだ。
そしてお金のやりくり。今月は自分の医者代、ハンナの臨時給料、茶葉とお菓子の材料費、特に白い砂糖と日持ちしない牛乳は贅沢品で値が張るのだ。それに加えてさらにドレスの材料費、自分と父、兄の新しい靴代、他にもまだ増えるかもしれないメルロー家の出費は、来月になったら元に戻るかといえばまず考えられない。
何より噂のこと。そしてブライアンのこと。それが何よりミランダにとって重荷であった。
別にブライアンが嫌いだとかそういうわけではない。ただ、彼は歴とした高貴な家柄、しかも王族であり、自分とは住む世界が違う人。それなのにそんな彼が何も気にせず、ミランダに構ってくることに不満が増すのだ。
当然、寝不足で不機嫌となったミランダが、今まで溜め込んでいた憤りをその対象、ブライアンに向けられないわけもなく…
ブライアンは困惑していた。
その日、朝ブライアンを出迎えたのは珍しいことにミランダの兄、ダニエルであった。
『申し訳ないんですが、うちのお姫様、不機嫌モードなんです。その…気をつけてください』
そんなよくわからない言葉とともに案内されたのはいつもの応接室とは違う、メルロー家の居間。
目に飛び込んできたのは、窓辺のロッキングチェアに座り、むすっとした表情のままダークローズのドレスに飾りをつける、ミランダの姿。
こちらにちらりと視線を向け、限りなく棒読みに近い歓迎の挨拶をするその様子に、ブライアンは情けないことにかなり狼狽えた。そこに、微笑みを浮かべるいつものミランダの面影はない。
ブライアンはなんとか平静を装い、ミランダからは少し離れた斜向かいのソファへと腰かける。
居間は応接室と違い、パッチワークのソファカバーやクッションを始め、アルフレッドの描いた絵など、少しゴチャついたメルロー家らしい暖かみのある内装をしている。
それをブライアンがちらりと眺めたタイミングで、とても神経質そうな静かなノックの後、ダニエルが茶器を持って入ってきた。
ミランダ同様、慣れた手つきで紅茶を用意すると、ローテーブルの上にそっと置き、ブライアンにこそっ耳打ちする。
「すみません。殿下相手なら緩和すると思ったんですが…あれでしたら、今日は早めに帰られた方が…」
「えぇ、帰って頂いて結構です」
ミランダを気にし、極端に声を落としたはずのダニエルの声を耳ざとく聞き取ったミランダは、そんな冷たい言葉を被せてくる。
そんなミランダの様子に、大の大人の男2人はビクッと肩を揺らした。
「私はこのように忙しいのです。一分一秒惜しいほどに。何処かの誰か様の噂のお陰で、我が家には例年以上のお断りしづらい催しへのお誘いがあるものですから」
「…気にしなければいいのでは?」
「貴方様は王族だからそれができるのです。たかが男爵上がりの小さな弱小、没落寸前の貴族が、世間体も家格差も気にせず、好き勝手過ごせるとお思いで?あっという間に潰されますよ」
そう言いながらも乱雑になることなく、繊細な手つきでドレスにレースを取り付けているミランダに、こんな状況でありながら、ブライアンは密かに感心する。
「…聞いてますか?」
ドレスを横に除け、キッと強い眼差しでブライアンを睨みつけたミランダ。
その深緑の瞳にはメラメラと燃え広がる炎ような輝きがあり、図らずもブライアンはその美しさに目を奪われる。
そのいつもの穏やかさとは違う、生命の輝きそのもののような…そんな感情的な瞳に。
「私は怒ってるんです。殿下の立場を考えない、やりたい放題な有様に」
「す、すまない」
語気を荒げることなく、淡々と責めてくるミランダの言葉に、ブライアンは目に見えぬ圧力を感じたように、咄嗟に謝ってしまう。
そんな彼の様子を、ダニエルはハラハラとした表情で心配していた。
「謝ったところで現状は何も変わりません。謝って欲しいとも思ってません。それに、悪いと思っていようとブライアン殿下は、私との婚約を諦めてくれませんし、迷惑だと言ってもここに来ることをやめてはくれないのでしょう?違いますか?」
ミランダの痛烈な言葉の数々に、ブライアンは悲しそうに眉を下げ、目蓋を伏せる。
ミランダの言葉に傷ついたというのもあるが、それ以上にここまでミランダに負担を掛けていたことに全く気づかず、むしろ朝の訪れを受け入れてくれていることに喜んでいた自分が情けなくなったのだ。
「…詫びがしたい」
再び真っ直ぐミランダの瞳を見つめ、真摯にそう気持ちを伝えたブライアンに、ミランダは一瞬口元を噛んだ後、プイッと窓の向こうへ視線を逸らす。
「…忙しいと先程申し上げたではありませんか。今日のところはお帰りください」
拗ねたような、モゴモゴとしたミランダの低い声。
しかし、その言葉にはっきりとした拒絶のようなものをブライアンは見て取り、気落ちした様子で席を立つ。
「…また来る」
気遣わしげなダニエルに付き添われ、居間から去っていくブライアン。
ミランダはそれを窓越しに見つめ、扉が閉じるのを確認したあと、はぁーと長いため息をつく。
「言われれば帰るくらいの…その程度の時間ってことかしら」
その言葉をきっかけに、ミランダの身の内では沸々と説明し難い苛立ちが募っていく。
ドレスは1着アレンジを終えた。元々アレンジしやすいドレスだったのもあり、デザインに悩まなかったことも相まって予定より早く仕上がったのだ。
怒った顔とは反対に、丁寧な手つきでそのドレスを腕に抱えると、ミランダはロッキングチェアから立ち上がり、廊下へと続くドアを開ける。
「や、やぁ、ミランダ。もう終わったのかい?」
居間を出てすぐのところに立っていたダニエルがビクッと肩を揺らし、気まずそうな顔で振り返り、ミランダに引きつった笑みで話しかける。
「…不貞寝します。しばらく起こさないでくださいね」
ミランダは無愛想な言葉でそれだけ言い放つと、スタスタと自室へと向かって歩いていく。
そんなミランダの後ろ姿に、ダニエルも「うん、それがいいと思うよ〜…」と小声で賛同した。
小さくて狭いメルロー子爵邸。
ミランダは自分の部屋に、あっという間に辿り着く。
手に持っていたドレスをクローゼットにしまい、ふと振り返れば日陰干ししてある、紅茶染めしたドレスが目に入る。
少しくすんだピンクベージュに染まった優しい色合いのドレス。
キュッと口元を引き結び、それから目を逸らすと、そのまま行儀悪くミランダはベッドへと倒れ込む。
「…全部殿下のせいだわ」
そんな子供染みた八つ当たりを口にしながら、ミランダは重たい目蓋を自然と受け入れた。
ミランダが次に目を覚ましたのは、お昼の時間を過ぎた頃だった。
たった数時間寝ただけでも頭も心もすっきりとしたミランダは、すっかり日の光に満ちた室内で大きく背伸びをする。
そして浮かぶのは満面の笑顔。
ー何やら機嫌の悪さを撒き散らかし、殿下にも失礼な態度を取った気がするけど…いいわ、別に。事実怒っていたのだし。それで気に入らなくて、離れて行くのならその程度だったということよ。
ある意味、開き直りとも取れる割り切ったことを思いながらベッドから抜け出し、鏡の前で少し乱れた服装と髪をなおす。
ーさて、クリーム色のドレスも進めようかしら。
そうと決めると、クローゼットから目的のドレスを取り出し、再び居間に向かおうと決めるミランダ。
そうして、廊下へと続く扉を開けると、そこには何故か、驚いた顔して目の前に立つダニエルの姿があったのだった。




