閑話 王太子は怒られる
ブルフェン王国、王国軍本部内に伸びる石造りの廊下を荒々しい急ぎ足で歩く男がいた。
軍人以外はあまり立ち入らないこの場所では、成人男性としてはしっかりとした骨格も華奢に見えてしまうのは、仕方がないことであろう。普段はそのことにほんの少しのコンプレックスを刺激される彼だが、今はそんなことを気にしている暇はないと、ひたすらに目的の部屋まで足を動かす。
ピンクブロンドの柔らかそうな癖のある髪が乱れることも厭わず、ズンズン歩いていくその姿を、すれ違う軍人たちは皆物珍しそうに目を丸めている。
「ジェ、ジェフリー王子!どっ、どうしてこちらに?」
軍本部の奥まったところにある一室。その扉の前を立っていた兵士が男の姿を目にし、動転した声を上げた。それもそうだろう。今彼の目の前にいる御仁がわざわざこの軍の、さらには王国軍第二番隊隊長の元を訪れるなど滅多にない緊急事態だ。
なんせ隊長とジェフリー第一王子が犬猿の仲であるという噂は、とても有名な話であった。
「ブライアンに急用だっ!扉を開けろっ!!」
しかし、当の物珍しいお客様はそんな兵士の様子も気にも止めず、開けろと言いながら自らノックもせずその重々しい扉を豪快に押し開いた。
バァーンッ!と破裂音にさえ近い、扉がぶつかる音が室内に響く。
「ブライッ!お〜ま〜え〜〜〜〜一体、どういうつもりだぁっ!!!」
普段温和で知られているジェフリー王子の、低く唸るような怒りの声が一気にその部屋に轟く。
「…ジェフ、扉閉めろ」
執務机の横で呆然とした顔で立ち尽くす執務官2人とは違い、怒鳴られた当の本人、ブライアンは眉間に若干の皺を寄せながら静かにそう答えると、その視線を再び手元の書類へと戻してしまう。
バァーンッと、再び煩い音を立てながら扉を閉めると、ジェフリーは荒い足音を立てながら、執務机で静かに政務をこなす異母弟の元へと近づいた。
ちょうどジェフリーが執務机の真ん前へ移動すると同時に、ブライアンが手元の書面にサインをし終え、視線を上げた。
「自分が何をやらかしたかわかってるんだろうな?」
「…ジェフ。仮面、外れてるぞ」
「誰のせいだと思ってる!!お前は、今までの苦労を全てドブに放り込むつもりかっ!?」
いつものジェフリーらしくない剣幕な物言いに、ブライアンは表情を変えないまま、小さく首を傾げる。
そんなブライアンの様子に、事の重大さを理解してないと見たジェフリーは、怒りからワナワナと身体を震わせた。
「だからなんでメルロー子爵令嬢とお前が、良い仲だという噂が上がってるんだっ!お前が王になることに反対する勢力が喜ぶネタを提供してどうする!」
「…違う。口説いてる」
「なお悪いだろっ!!」
そこまで怒鳴り切るとジェフリーは疲れたように、がくりと目の前の机に片手をつき、反対の手で頭を抱えた。
しかし反対に怒鳴られているブライアンは、全く納得がいけないというように怪訝な表情を浮かべている。
「ケビン、お前は常にブライについてたはずなのに…どうしてこんなことになっている!」
怒気を孕んだ低い声とともに、ブライアンのすぐ斜め後ろに立つ男をジェフリーが睨みつけた。
彼の名はケビン リーゲンハルト。
ブライアンの乳母兄弟であり、幼い頃から常にブライアンに付いている従者であった。
王妃クリスティーナについて来た乳母そっくりな、ブルフェンの男性には珍しい長い漆黒の髪と同色の瞳は、今のような全身黒い服を纏った姿では容易く闇に同化してしまうだろう。
「それは他ならぬブライアン様が望んだからですね。生憎、主人の意に背くことをするのは私の主義に反しますので」
表情を一切変えることない無表情のまま、ふてぶてしく頭を下げるケビンの姿に、ジェフリーは話しても無駄だと判断し、再びその瞳をブライアンへと戻す。
「…何故だ?」
「何故って子爵令嬢だぞ?普通に考えてあり得ないだろ。子爵では王族に嫁げない」
「しかし…彼女には素質がある」
「そりゃそうだろうよ。なんでも王国立学園創立以来の優秀な才女だ。見目も亡きメルロー子爵夫人、姉のアメリア嬢にも劣らないし、立ち振る舞い、言葉選びどれ1つとっても美しいと評判だ。が、何度も言う。彼女は子爵令嬢だ」
「だが…彼女の母親は、「そこの事情は王家の者である俺たちはよく知ってるだろう。だからこそ彼女は一介の子爵令嬢としか扱えないし、王族には嫁げない」
まだ明らかに不満気な、難しい顔をして口を閉ざすブライアン。
ジェフリーもそんな口下手の癖に、表情を繕わない異母弟の気持ちが手に取るように理解できてしまうからこそ、大きなため息をついた。
「…今、この国は安定を図らなきゃならないんだ。わかってるはずだろ、ブライアン」
「…わかってはいる」
殆ど聞き取れない低い呟きのような声で答えながら、ブライアンは腕を組み、静かにその鋭い瞳を閉じた。
ブルフェンはかつて、英雄と呼ばれたレオナルドの起こした革命によって出来た国であった。
歴史の長かった前の国を謀反を起こして新たに作り直した王国。歴史はまだ短く、不安定だった国を英雄王レオナルドは己の武を以て他国から守りきり、発展させてきた。
頑なまでに騎士として、武人としての変わらぬ慣習、自国での仲間意識を大切にしてきたブルフェン。
そんなこの国に揺らぎが生じたのはブルフェン現国王、ルドガーが王妃として他国の姫であったクリスティーナを迎え入れたことであった。
ルドガーはそれ以前のブルフェンを統治した王たちと違い、革新的な王であった。
このまま自国のみで立て籠もるようにブルフェンが突き進めば、容易くは他国に置いていかれ、そのうち侵攻を受けるであろうと危惧していた。
事実、その頃から国同士の争いは強い方が勝つのではなく、情報を制するものが勝つと言われるような、そんな流れへと移行し始めている。
その流れに既に乗り遅れかけているブルフェンが生き残るには他国の、それもかなり力のある国の姫君を迎え入れ、それをきっかけに国同士の繋がり、後ろ盾を作り、まずは情報難から抜け出す必要があった。
そうした思惑から成された帝国の姫、クリスティーナとの婚姻。
しかしそれを、頑なにそれまでの慣習や国のあり方に固執してきた者たちが簡単に受け入れるわけがなかった。
今このブルフェンの貴族たちは一枚岩では無くなっている。
クリスティーナを国母として受け入れたくないため、その息子であるブライアンを次期王にしたくない者。現国王ルドガーの考えに表向き賛同し、他国の考えを積極的に受け入れるふりをして、他国と内通し、国を顧みずに利を得ようとする者。反乱分子など、掃いて捨てるほど隠れている。
そんなバラバラになりかけている国の中枢をまとめ上げるため、次期国王である王太子ブライアンの妃は、ブルフェン王国の由緒正しい格のある貴族の家から娘を迎え入れるのが1番とされていた。
次の治世のため、まだ指名されていないにせよ、ブライアンが王になった時に彼を支える王妃となるべく、釣り合いの取れた令嬢は自ずと王太子妃候補としての教育を施されていた。
ウィングフィールド公爵家のディアナ、ラッチェンス侯爵家のアンジェリカ、リチャードソン伯爵家グレースが暗黙の王太子妃候補に当たる。
ブルフェン王国の第一王子、ジェフリーはルドガー王と側室である元侯爵令嬢のイヴリン妃との間にできた王子である。
なかなか国王ルドガーと王妃クリスティーナとの間に子ができないからと迎えられた側室であったが、そうして生まれたジェフリーは、ブルフェン王国の由緒正しい貴族だけの血を引いた紛れもない"正統派"の王子であった。
他国の血がブルフェン王家に混じるどころか、次の王になることを許したくない者からしたら、これほど打ってつけの対抗馬はいない。
事実、側室イヴリンと彼女の実家であるエヴァンズ侯爵家は、ジェフリーが次期国王となることを強く望んでいる。
しかし、当の本人がそれを望んでいるかというとそうではない。
ジェフリーは自分と1つ違いで生まれた異母弟であるブライアンと、本当の兄弟同然に仲良く育った。
正確には、ほぼ無口でボーッとしていたブライアンを放っておけず、ズルズルとそのお世話をするように育ったのだ。
しかしそのブライアンは年を重ねれば年を重ねれるほど、初代の英雄王の生き写しだと騒がれ、そのカリスマ性に引き寄せられた者たちによって崇められた。
対してジェフリーは正当なブルフェン王国だけの血を引いた王子であったが、ピンクブロンドの柔らかな髪に、若葉色の瞳、物語に出てきそうな王子様の見た目と言えば聞こえはいいが、この国の王として崇められた者たちの姿からはかけ離れた容姿に成長した。
ブライアンがわかりやすく武に優れたなら、ジェフリーは知に優れていた。そこもまた今までの歴代王との違いでもあっただろう。多少の劣等感はないとは言わないが、ジェフリーはそれらの要素を寧ろ好都合だと思っていた。
彼が欲しいのは皆に崇められる玉座ではなく、国を思い通りに動かし、発展させていけるゲームメイクのできる立ち位置。つまり宰相の立場だ。そしてその為には、ブライアンという存在はジェフリーにとって都合が良かったのだ。
「…まさかお前、まだ俺が王になればいいとか思ってるんじゃないだろうな?」
「………いや、」
その小さいとはいえ、ブライアンの否定の言葉にジェフリーは酷く安堵した。
裏ではきちんとした協力体制をとる2人にとって、どちらが次の王になるべきかのこの一点はいつも同じ結論に達しない。もしやミランダを望んだのはそれを理由に王太子の座を降りる気なのでは…とジェフリーは訝しんでいたのだ。
「じゃあ、何故メルロー子爵令嬢だ。後ろ盾どころか不利な要素を今更背負いこむなんて…」
「俺は、ミランダ嬢だからこそ、この不安定なブルフェンの治世を共に乗り越えられるのではないかと思った」
ブライアンの異国人の血を強く意識させるブルーグレーの瞳が、ジェフリーを真っ直ぐ見据えている。
「…ほかの令嬢じゃダメなのか?」
「王太子妃としてはダメではない」
「…けど、お前の望む妻とするならメルロー子爵令嬢以外にありえないといったところか」
再び重々しいため息を吐き出し、ジェフリーは俯く。
ジェフリーはこのブライアンという男の頑固さを嫌という程知っていた。そして多分、ブライアンがそれに気がつく前から、彼がメルロー子爵令嬢に惹かれていることも気がついていた。
「…今はいいとは言えない。そしてこれからも、色々精査した上で諸々の問題をクリアしなければ許可できない」
「わかっている。そもそもミランダ嬢にも拒まれている」
「拒まれている?」
少し落胆した声でボソリと零したブライアンのその言葉に、ジェフリーは意外そうに目を見開き、次いで眉をひそめる。
「…なぜ?」
「…身の丈にあった政略結婚がしたい、らしい」
「………身の丈には合ってるとは言わないが、政略結婚としてなら十分すぎるほどの利があるだろ。子爵家からしたら」
「…"政略結婚"の表す意味が、違うのかもしれないな」
(いや、それにしたって…仮にも王族に逆らうか?その重大さを知らないわけないだろうに…)
言葉に口にしないまでも、ジェフリーは益々眉間の皺を濃くし、難しい顔表情を広げていく。
「…そこらへん、事情があるのか調べるつもりだ」
「あぁ…本当に彼女を望むのならきちんと調べておけよ」
ブライアンはその言葉を聞き、もう話は済んだと判断したのか、また執務机の横に積み上げられた別の書類へと手を伸ばし、目を通し始めた。
ジェフリーはそんな異母弟の姿を数秒眺めた後、すぐに部屋を後にし、来た道を戻る為に足を進める。
良くも悪くも愚直な未来の王のため、これからどうするべきなのか、早急に対策を考える必要があるのだから。
「…相変わらず顔に似合わず、気性の激しい方ですね。まぁ、ブライアン様のせいであれだけ心労を溜め込めば、ストレス発散したくなるのは致し方ないことなのでしょうが」
ジェフリーが出て行った扉を静かに見つめ、そう口を開いたのはブライアンの従者ケビン。
その言葉に羽ペンを走らせていた手をピタリと止めたブライアンが、少し振り返り、恨みがましい目でケビンを睨みつける。
「主人の意に背くことはしないのではないのか?」
「"背かない"とは言いましたが、"愚痴をこぼさない"とは言っておりません」
ケビンそうしれっと口にしながら、本棚から今ブライアンが見ている資料に必要そうな書物を取り出し、ブライアンの執務机の傍にそれをそっと置いた。
「それとも、ただ『畏まりました、ご主人様』と機械的に言う私がお望みですか?」
「…そのままでいい」
無感情な声のまま意地悪いことを言うケビンに、ブライアンはむっつり顔のまま不機嫌にそう答えれば、ケビンが小さく喉の奥を鳴らして笑う。
「しかし…」
流れでそう口にしたケビンが、思案顔で顎に手を当てブライアンへとチラリと視線を投げた。
「…"小言"と"愚痴"は違う」
「これは大きな"独り言"ですよ…今回の、ブライアン様にしては珍しい"ワガママ2つ目"は少々厳しいように思います」
「…わかっている」
ケビンが口にした通り、ブライアンは王族という地位に着きながら、今まで自ら望んだ"ワガママ"をあまり口にしたことがない。
ブライアンが初めて言った"ワガママ"は王位を継ぐまで軍役を続けること。
その際はブライアンの滅多にない希望に皆、多少の無理を通しても叶えようと躍起になったが…
今回ばかりはそう簡単にいくわけがない。
「…ケビン、どう思う」
「…それはミランダ嬢が貴方様をどのように思ってらっしゃると私が思っているか、という質問でよろしいでしょうか?」
「あぁ…」
ブライアンの圧倒的に足りない言葉を補いながら、敢えて質問を返すケビンに、ブライアンは気にした風でもなく肯定を返す。
ちなみに、この言葉少ななブライアンの言葉を正確に推測し、理解できるのは、幼い頃から一緒だったケビンとジェフリーを含めた、片手数名ほどしかいない。
「あまり恋愛に不慣れな男を調子づかせて、暴走されては困るのですが…」
「独り言は後にしろ」
無表情のまま態とらしい嘆きを上げるケビンを、ブライアンが一喝すれば、ケビンは生真面目に、そして言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「…ミランダ嬢は、ブライアン様を意識はしてらっしゃるのでしょうね。いつもの涼しげで美しい鉄仮面のような微笑みが崩れておりますし、ブライアン様の言動1つ1つにとても反応してらっしゃる。ただ…それを異性としてか、苦手意識か、そこは断言できないかと」
「だろうな…」
ケビンの言葉にブライアンは深く頷き、ため息を吐いた。
ブライアン自身、他人の機微に疎いわけではない。だから、ミランダが自分を良くも悪くも強く意識している、その事実だけは感じ取っていた。
(いつも彼女の言動には怯えが混じる…好意はある方だと思ったが、断言できるほどの確証がない)
ジーっと手元の書類を睨みつけ、押し黙るブライアン。
そこに声をかけたのは、先程までずっと事の成り行きを静かに見守っていた執務官の1人、セオドア リチャードソン。癖のある亜麻色の髪に、ヘーゼルの瞳をしたブライアンより少し年若い青年だ。
「先程から話題に上がっている令嬢はミランダ メルロー子爵令嬢であってますか?」
「そうだが…」
「セオドア様はミランダ嬢と面識があるのですか?」
「えぇ、妹とミランダ嬢が仲が良いのです」
少し楽しげなセオドアの声に、ケビンは冷静に彼の妹、グレースも国立学校を卒業していたなと思い出し、ブライアンはガタッと、今にも立ち上がりそうな勢いで前のめりになってセオドアを睨んだ。
「あぁ、ご安心ください。妹と母はミランダ嬢をウチの嫁にしたがってますが、冗談半分でミランダ嬢に提案した際、丁重に断られてますので」
「…どこを安心しろと?」
「ブライアン様、男の嫉妬は見苦しいですよ?」
そんなケビンの諌める言葉で、ブライアンは渋々腰を浮かせた身体を、椅子に深く押し戻す。
「その時にミランダ嬢に言われたのは『条件としては非常に理想的なのですが、もしもセオドア様に想いを寄せる令嬢が現れ、別れることになった時に、グレースを悲しませるのは嫌だから』と」
「…理想的?」
「ブライアン様。注目するのはそこじゃないでしょ。…なぜ別れる可能性を視野に?」
違うところにショックを受けるブライアンにため息を吐きながらも、難しい表情を浮かべるケビンに、セオドアが言いづらそうに言葉を続けた。
「わかりませんが…『人の愛情など簡単に移ろうものでしょう?』と」
その17歳の少女らしくない言葉に、その場にいた誰もが重苦しいものを感じるのであった。




