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18 ニートの劇3(★)

 シン演じるエルカローゼに、全視線が集まっている。



 ――でも、どういうこと?



 シンはいつまで経っても何もしゃべらないのだ。

 リーザは気が気ではなかった。

 確かに外見は驚くくらい見違えている。

 でも中身はあいつなのだ。

 ニンジンが嫌いで、まともにおつかいすらできない天井裏の住人。

 ほんの数時間程度で変われるはずもない



 ――大丈夫なのかな、シン。もしかして緊張のあまりセリフが全部ぶっとんでいるんじゃない?


 リーザはキョロキョロした。

 どっかに台本は落ちていないの? それを見つけて大きな紙にセリフを書いてあげなくては。隣に座っている貴婦人に「あの、すいません。このお芝居を見たことがありますか?」と尋ねる。


 舞台が始まったのに何、この子といった顔で、不機嫌そうにリーザを見る。


「あるわ」

「この後、お姫様は何て言うの?」


「民の苦しみを嘆き、国を憂う台詞を言うのよ。どうでもいいけど、あなた、劇は始まっているのよ。静かにしてくれない」


 

 ――一刻も早くそんな感じの台詞を書いて、シンに見せてあげなくては。

 

 リーザは急いで鞄からノートを取り出すと、ビリビリに破り……、おっと、張り合わせる物を持ち合わせていない。せめておにぎりがあれば……。あらら、ペンもない。

 大丈夫。私は錬金術師よ。その辺の素材から、適当に調合さえすればなんとでもなるわ。待っていなさい。シン

 って、そもそも民の苦しみを嘆くセリフって、どんなセリフなの??

 

 貴婦人はシャープな眼鏡に手を添えて、リーザの様子を一瞥した。

 何をジタバタしているのよ、この子? と、迷惑そうに見ているに違いない。

 


 舞台はシン、ただひとり。

 シンは何も言わない。

 

 リーザは心臓が止まるような思いだったに違いない。

 いつの間にか、クマの刺繍のしてあるハンカチをポケットから取り出してかぷりと噛んでいた。

 セリフが分からない以上、自分がしてあげられることは何もない。

 ただ黙って、シンの様子を見守るしかなかった。


 ――お願い。

 何か言って。

 頑張って、シン!


 ようやくシンは口を開いた。

 

 リーザはその動きに同調したかのように、ハンカチを強く噛む。


 ――そうよ、シン。勇気を出して!



 シンは「あああぁ……あああ……」と、聞こえるか聞こえないかの程度の声でボソボソ呟いた。


 リーザは真っ青になった。


「ああああああああああぁぁあぁ。あ、あいつ、完全に頭がぶっ飛んでいる……。全部セリフを忘れているんだわ」


「あなた! うるさいわよ!」


 リーザは思った。


 ――この女性は思いっきり怒っている。

 きっとシンが、いつまで経っても演技を始めないからだわ。

 

 リーザは恐る恐る貴婦人の方へ視線を向ける。

 特段怒った様子もなく、物静かにシンを見ていた。


「……それにしても今回のエルカローゼ役の子。あの圧巻の演技力、ただ者じゃないわね」



 ――は?

 シンは何もしていないじゃん?

 今にも泣きそうな顔のまましばらくの間固まり、その後「ああああ」と、うめいただけじゃん。


 リーザにはそのようにしか見えていなかった。


 リーザはキョロキョロと辺りを見渡す。

 観客は皆、シンの演技に集中していた。

 しかも期待を膨らませた表情で。


 理解不能だった。

 

 ――いったい何が起きているの?


 貴婦人は、

「うるさいわよ、あなた。まだ分からないの? きっとエルカローゼはね……。まぁいっか。あなた、多分、そのハンカチがびしょびしょになるわよ。いいから黙って見ていなさい」



 貴婦人は高価なコートに毛皮のマフラーを身に付けており、首には大粒の真珠が輝いている。その物腰からして、恐らくかなりの芝居通。


 そう言えば聞いたことがある。

 料理の達人は一口味わっただけで、調理した者の腕だけではなく、その者の人格や価値観、そしてその人が歩んできた歴史まで分かるという。えーと、それ、どこのソースだっけか。でもそんな感じの説明を受けて納得したことがある。



 ――まさか、シン……。あんた……

 訳が分からなくなったリーザは、考えることを放棄して、さっき購入したホットドッグを紙袋から取り出して食べることにした。



 確かに貴婦人の劇を見る目は肥えていたのかもしれない。

 彼女の推測は、おおむね当たっていた。


 それは舞台が始まる10分前のことだった。

 


 最後の打合せを終えた役者たちは、主役を演じるウィッツを中心に円陣を組み、掛け声を発しようとしていた。


 まさにその時だった。

 シンが手を上げた。


「あのぉ~」

「先生。何ですか?」


「俺、しゃべらなくてもいいですか?」



 皆は騒然とした。

 シンの演じるエルカローゼは途中で死んでしまう設定だが、話を盛り上げるための最重要キャラだ。

 それがセリフを言わないなんて、どういうことなんだ?

 この人は冗談を言っているんだろ?


 皆はそんな怪訝な表情でシンを見つめた。


「あと、俺、相槌も適当でいいですか? それなりに頑張るつもりですが、一生懸命やってもそんな感じになってしまいますよ? ウィッツさんのお話を壊してしまうのも気が引けます。だから、俺を降板させた方がいいと思うよ」


 この期に及んでも、シンは逃げようとしていた。

 

 その言葉で、メンバー達は混乱し、団長は怒りのあまり言葉を失う。


 だがウィッツだけは違った。

 真剣な眼差しでシンを見つめ、シンの言った言葉を脳内で一字一句丁寧に復唱していった。


 ――彼こそ現世に蘇った偉大なる文豪だ。

 意味のないことなど絶対に言わない。

 僕はこの物語を完璧だと思っている。

 エルカローゼの為に最高のセリフを用意した。絶対に感動してもらえる自信があるというのに、それを自ら放棄するってどういうことなんだ?

 

 シンはまだ我がままを言い続けている。

 だって無理やり連れてこられたんだもん。

 まぁセリフを言わずに、舞台の上をぶらぶらするくらいならできそうだから、業務内容のレベルを落として貰えれば、なんとか譲渡はできる。

 こんな具合で、シンは自分を守るために開き直って言い訳をするしかなかった。

 

 

 団長は爆発寸前。

 メンバーの顔には緊張が走る。

 

 

 それでもウィッツは考えていた。

 

 

 ・ストーリーの変更はしない。

 ・だけど、一切のセリフを言わない。

 ・デタラメな相槌。

 ・それを真剣に行う。



 この条件に従わなければ、文豪は手伝わないと言っている。

 文豪の言葉をつなぎ合わせたその先に、いったい何が……。

 


 悪帝を演じる筋肉隆々な強面の男が、シンの胸ぐらをつかみかけようとした、その瞬間――

 ウィッツがその間に割り込み、男の手を制した。


「先生! つまり、あなたはエルカローゼに新たな要素を埋め込むとおっしゃっていますね」


 

 ――新たな要素?

 まぁ、適当にやるんだから、新たな要素と言われればその通りではあるが。


「うん。我がまま言ってごめんね。俺なりには頑張ってみるから……」


「……やはりそうでしたか。さすが先生です。エルカローゼに耳が聞こえないという新しい要素を加えるつもりなんですね」



 そのセリフで、皆は静まり返った。


 確かにそうだ。

 耳が聞こえないということは、相槌が困難になる。

 話すのだって難しいだろう。

 だけど大丈夫なのだろうか。

 些細な表情や体の動きだけで、観客にその意を伝え、そして感動させなければならないのだぞ。

 しかも即興で、だ。


 確かに物凄い挑戦ではある。

 だけど悲劇の戦姫にハンディーがあるというのは、もしかして……



 団長は大きく目を見開き、まじまじとシンを見た。


「そうなのか? シン君。君はそんな大役をやりたいと言っているのか?」



 ――え? え? なんでこうなっちゃうの?



 だけど、しゃべらなくて済むんだったらこの際なんだっていい。

 今からセリフを覚えるのも無理だし。

 あ、しまった。

 自分にはもう一個、強烈な弱点があった。


「あ。えーとですね。俺なりに頑張ってはみるんですが、もし俺の演技が見苦しいと判断されたら、前倒しで姫を殺して欲しいです。分かってもらえないと思っていますが、俺だって命がけなんですよ?」


 HPは、6しかないのだ。

 これが仕事である以上、演技をするとHPが削られてしまう。

 さっさと殺してもらって、仕事を終えなくてはならない。



 だけどそのセリフは、団長を始めこの場にいた全員にとって、シンの決意にしか聞こえなかった。

 

 もし客に受けなかったら、そこで降板にしてくれと言ったのだから。

 この人は、ガチで舞台に命をかけている。

 


 ウィッツは熱くなった目でシンを見つめていた。

 ――偉大なる文豪よ。僕はあなたと会えたことを誇りに思う。




 そして幕は上がり、大役の一人がしゃべらずに済むというミラクルな劇は始まった。


 バルコニーからシンが見ていたのは、戦乱で燃え盛る街の様子だった。

 逃げ惑う人々。

 卑劣な帝国の騎士たち。

 

 シンの表情は苦悩に満ちていた。

 働いたらHPが減るのだから、仕方ない。


 

 黒いマントを身に付けた悪帝役の男もバルコニーに出てきた。

 ワイン片手に、大笑いをしている。

 気に入らない領民達を一掃して、楽しむ狂乱者だ。


「ガハハ。人なんて、またいくらでも沸いてでてくる。どうだ? 姫。権力を持つ者のみがこの愉悦を味わえるのだ! お前も早くこの快楽を知るがいい」



 受け答えが成立していない。

 苦悩で満ちた表情で、手を組み、ただただ祈りを捧げているだけだ。

 HPはまたひとつ減った。

 その頬を涙が伝った。

 シンは早く降板させてと願いつつ、ただただ苦しみに耐えているだけだった。


 シンが振り返る。

 その視界に悪帝ガードルが映る。

 その凄まじい目力に、悪帝ガードルは怯む。


「ふん。どうせお前には何も聞こえないんだから、話すだけ無駄か」と捨て台詞を吐いて、立ち去った。


 いや、またHPが減ってとっても痛かっただけだったのなのだが、その表情は帝王が怯むくらい凄まじかった。

 まさしく圧巻の演技である。



 リーザは貴婦人を見た。

 黙ってシンの演技に集中している。

 貴婦人は、この劇団を信頼していた。

 だからきっと何か意味があるのだろうと推測することができた。


 リーザは、ホットドッグを食べる手を止めた。

 ――シンは、耳が聞こえない役を演じている。あんなに難しい役を……、あんなに必死に……



 *



 シンは自分のシーンが終わる度に、舞台裏で「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ」言いながら、体調を整えていた。

 小休止の間にHPをちゃんと回復させなければ、死んでしまう。

 瞼を閉じて、呼吸を落ち着かせる。

 指を折り、退場までのシーンを数えていた。


 騎士団を作ったけど帝王に鎮圧されぇ……、帝王に捉えられてぇ……、牢屋に入れられてぇ、罵声を浴びせられぇ……、処刑日を告げられてぇ……、最後の抵抗をしようとすれど大衆を人質に取られぇ……、自分が死ぬことで皆が助かるなら私を殺せ的なことを目で訴えてぇ……、そして後は公開処刑だけだ。

 

 やった。もうじき死ねる!


 ウィッツはその様子を少し離れた場所から見守っていた。

 ――すごい。こんな人、初めて見た。この人は魂を削って演技に徹している。僕も見ならわなければ……。


 ウィッツが舞台裏に入ったタイミングで、団長が歩み寄り話しかけてきた。


「どうだ? わしの目に狂いはなかった。最初から思っていたんだ。シン君は本物だと」

「はい。僕は先生を手本にしていきたいと思っています」


 団長はウィッツの耳元で、コソコソと、

「あのな。次のシーンでエルカローゼは処刑だろ?」


「あ、はい」


「見ろよ! あの観客の様子を」



 ウィッツは幕を少しだけ開けて、舞台の様子をうかがう。


 なんと涙を流している者までいるのだ。

 エルカローゼは、役の度にやつれていくのだ。

 頬はこけ、目の下にはクマまでできている。

 そりゃそうだ。

 HPが減り続け、幾度となく死線を超えそうになるのだから。

 特殊メイクとかではないそれは、何よりも真実味を帯びており、真に迫るものがあった。


 そして働いたらダメージを受けるという特殊能力により、吐血までしている。

 それも絶妙なタイミングで。

 それを腕で拭い、悪帝を睨めつける。


 観客たちにとって、その血が本物か作り物かなんてどうでも良かった。完全に劇の世界に入り込んでしまっているのだから。

 劇が始まる前、シンの胸ぐらをつかもうとした悪帝役の男も、さすがに最初は、口に赤い液体を含んでいるのだろうと思っていた。絶妙のタイミングで吐くなんて、なかなかの演技力だなとも思っていたが。


 だが、返り血を浴びた時に気付く。

 

 ――こ、これは、本当の血……。劇中に泣ける奴なんて五万といるが、マジで血が吐けるなんて……。奴は正真正銘の本物だ……


 

 

 団長はウィッツに耳打ちする。


「ほら、あの子を見てみろよ」


 団長が指差す先にはリーザの姿があった。

 ハンカチはびしょびしょになり、もはや号泣。

 フライドポテトを口に入れると、

「うぅ、しょっぱい……。死なないで……エルカローゼ……。死んじゃぁ、やだ……」と言っている。


挿絵(By みてみん)


 幕の裏では、団長はウィッツに、

「エルカローゼの人気は絶大だ。第1幕で殺したら勿体ねぇ。いっそのこと最後まで引っ張らねぇか?」


「……で、ですが……」


「おめぇには役者魂がないのか? シン君が舞台の始まる前にこう言ったのを覚えているか? もしダメだったら、さっさと殺したことにして降板させてくれ、と」


「はい。言いました。とてもカッコいいと思いました。だから僕は文豪を心酔しております」


「じゃぁ、逆も考えてやらなければ、フェアーじゃねぇだろ?」

「まぁ、そりゃ、そうですが……」



 ウィッツは舞台裏の端に座り込んで、呼吸を整えているシンに視線を向けた。



 シンの意識はもうろうとしていた。

 まさにそれは生ける屍のようだった。


 そんなシンは盲目的に指を折り、退場までのシーンを数えていた。

 

 ――騎士団を作ったけど帝王に鎮圧されぇ……、帝王に捉えられてぇ……、牢屋に入れられてぇ……、罵声を浴びせられぇ……、処刑日を告げられて……、最後の抵抗をしようとすれど大衆を人質に取られぇ……、自分が死ぬことで皆が助かるなら私を殺せ的なことを目で訴え……、そしていよいよ残すところ、公開処刑だけだ。

 

 やった。もうじき死ねる!

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