17 ニートの劇2
なんでこんなことになったんだろう。
シンは突き刺さるような視線を浴びて、今にも泣きそうだ。
目にはたくさんの涙を浮かべている。
そもそも、なんでこんなことになったんだろう?
丁度6時間前くらいに、ちょび髭の団長から台本を手渡され、好きに改変してくれと言われ、個室まで用意してくれた。
小さな部屋には、テーブルがあり、羽ペンとインクがおいてあった。
とりあえず椅子に腰かけて、台本をペラペラ捲ってみた。
活字が目に痛いではないか。
漫画のネームを3ページで力尽きたシンにとって、緻密に作り上げられたシナリオの改稿などできる訳がない。
そんなことは分かっているけど、とりあえず『姫』のところを『王子』にしようかなと読み進めていった。
すぐにヤバイ事情に気付く。
姫の名前は『リーディッヒ=エルカローゼ』。
うーん。
さすが『リーディッヒ=エルカローゼ』に二重線を入れて、その横に『王子』ではマズいだろう。
王子の名前を考えなければならないという、最初の壁にぶち当たる。
やばい。
何も思いつかない。
頭をゴリゴリ書いた。
いっそのこと、『シャドーマスター』にするか。
王子=シャドーマスター。
なんか話が根本的に変わってしまいそうだ。
話の内容を理解していないうちから、名前をつけても大丈夫だろうか。
そもそもこんな分厚い台本を読み切れるだろうか。
自慢ではないが漫画以外、ほとんど読んだことがないのだ。
本を読みなれていないシンにとって、文字だけの台本から物語の世界感をイメージするのは困難である。
「ちゅー」
「あ、お兄さん。来てくれたの?」
「ちゅー(面白そうだったから、こっそりお前のバッグに侵入して勝手についてきた。それよか、何を読んでいるんだ? 楽しそうだな)」
「あのね。これを読んで、分かりやすく俺に教えてくれないかな?」
「ちゅー(俺はねずみだぜ? 人間の文字が読めると思っているのか?)」
「お兄さんならできるよ」
「ちゅー(しゃーねぇな。ページを捲るのは手伝ってくれよな)」
このねずみ。
なかなかハイスペックだった。
「ちゅー(読んだ。はい、次、捲って。はい次、次、次、次……)」
それは脅威なる速読術だった。
シンの視界に文字がパッと映った瞬間には、次のページの文字が飛び込んでくるのだ。
そしてものの3分程度で、最後のページまで到達した。
ねずみはシンの方へ振り返る。
「ちゅー(これ、なかなかいい話だな。途中、何度か涙腺崩壊しかけたぜ)」
「ありがとう。これに出てくる王女様、えーと、名前はなんだっけか」
「ちゅー(エルカローゼか?)」
「うん、そのエルカなんとかさん。それを王子役に書き直さなくちゃならないんだよ。名前はシャドーマスターにしようと思うんだけど、どうかな?」
ねずみはちょっと固まりかけた。
「ちゅー(なんというか……、この姫は悲劇のヒロインというか、民衆を守るために自分をも犠牲にして無益な戦争を止めようとするんだけどさ……)」
「なるほど。じゃぁ、シャドーマスターが戦争を止める話に書き直せば良さそうだね」
「ちゅー(わりと大変だと思うぞ。シャドーマスターってどちらかというと攻撃力がありそうな名前じゃん。この姫は病弱な設定だぞ? そんでもって国に逆らった罪として、処刑されてしまうんだ。シャドーマスターだと名前のインパクトが強すぎて、処刑されるにしても、さすがにもうちょっとひっぱらないといけないと思うぞ?)」
「王女、死ぬの?」
「ちゅー(話を盛り上げるために使われる捨てキャラ)」
「マジかよ。でも死んで早く劇から退場できるのなら、それもありか」
「ちゅー(死亡フラグ付きのキャラを舐めてはダメだ。死というのは、ハッキリ言って劇薬だ。下手な演技を見せると、観客は興ざめしてしまうだけではなく、逆に怒らせてしまうこともある)」
このねずみ、凄すぎ。
シンは思い出したかのように、ハッと目を見開いた。
確かにお兄さんの言う通りだ。
熱いバトル系の少年漫画では味方陣が死ぬ時、死亡フラグの立ったキャラは死ぬ間際の回辺りで最高に見せ場を作り、盛り上げるだけ盛り上げて、見ているみんなが『なんで殺すんだよー。作者のバカァー!!』ってテレビに向かって怒鳴りつけるのがお決まりの鉄板パターンだ。
なんかヤバイことになってきたぞ。
もうだめだ。
こうなったら逃げるか。
そもそも役者なんて、仕事からトンズラするために思いついた出まかせ。
このまま無理して出演してみんなをガッカリさせるより、自分が逃げて劇を中止に追い込んだ方がまだマシかもしれない。
うん、逃げよう。
逃げるが勝ち。
「お兄さん。俺、逃げることにしたよ!」
「ちゅー(お、おい。折角、読破してやったのに!)」
お兄さんを無視して部屋の外へ出た。
まずいことに団長とその他3人の役者達と、鉢合わせになってしまった。
団長は、
「シン君。小休止かい?」
「あ、あのですね。そ、そうです」と笑ってごまかす。
「そうか。丁度良かった。君に紹介したい者がいるんだ」
そう言って団長が手のひらの先を向けたのは、精悍な顔つきをした若い男だった。
赤のマントに腰にはサーベルがある。
「アルセンド=ヴィクトリア役のウィッツです」
軽く頭を下げたウィッツだったが、怪訝な顔でシンを睨んでいた。
この台本を手掛けたのは、このウィッツだったのだ。
それを事情があるにせよ、後から湧いてでてきた得体のしれない者にいじられるのが許せなかった。もちろん口論したが、団長に『シンの書いた物語は10万人の大衆が、早く続きを読ませろと抗議してくるくらいの実力者』だと教えられて、意見をひっこめるしかなかった。
悔しい。憤りを隠しきれない。
しかしこの業界は実力がすべて。
これ以上物申しても、ただの負け惜しみにしかならない。
だから怒りをグッと堪えて、牙を隠した眼でじっとシンを見つめていた。
一方シンは、逃げたい気持ちでいっぱいである。
どう考えても無理。
なんか泣きたくなってきた。
――そうだ! 正直に話して、許してもらおう。俺には演技なんてできませんって。泣いて謝れば、許してくれるだろう。ウソ泣きだったらいつもやっているから、超得意。
「あ、あのですね」
団長はニッコリ笑い、
「シン君。ところでどんな風に直すつもりなんだ? そろそろ時間も押しているから、教えてもらっていいかな」
「直していません」
「えええ?? まだ直していないの? ちょっとは進んだんだろ? できたところまででいいから教えてくれよ」
「まったく直していません」
「なんでだ!? なんで改変しないんだ? 分かっているのか! 王女はいないんだぞ?」
残り時間は限られているのだ。
温厚な団長も、やや感情的になっていた。
焦りを隠せぬその表情は、シンにとってかなり怖かった。
「俺には、直せないんです。どうしても直せないんです。もう無理なんです」
シンはボロボロ泣き出した。
ヤバくなったら泣いてごまかすというスキルを所持しているシンにとって、泣くなんて朝飯前。怒った相手は泣いてごまかして、適当に言いくるめてその隙に逃げちゃえ。
団長をチラチラ見ながら、ボロボロ泣いた。
ウィッツは、その姿に驚愕した。
――10万人が絶賛する偉大なる脚本家が、僕の書いた物語に筆を入れられないと言っている。それも涙まで流して。
もしかしてこの偉大なる文豪は、僕の物語の価値を認めてくださったのではないのだろうか。だから1ミリも変えることなどできないとおっしゃってくださっている。
それも号泣しながらも。
ついさっきまで憎らしく思っていた自分が恥ずかしい。
自分がとてもちっぽけに思えてしまった。
それ以上に、嬉しくてたまらない。
涙までこみ上げてくる。
思わずウィッツは、シンの手を強く握りしめた。
「せ、先生! 僕の物語を認めてくださったのですね! ありがとうございます! 僕が全力をもってエスコートしますので、ぜひとも悲劇の戦姫エルカローゼを演じてください!」
――は? どうしてそうなる?
と、シンは目を丸くする。
団長は慌てふためく。
「ま、待て。シン君は男だ。さすがに無理に決まっている!」
――そうだ。団長、頑張れ!
と、シン。
「ですが物語を変更しない以上、先生が姫を演じるしかないのです。それを分かっておっしゃってくれているのです。そうでなければ10万人以上が続編を待ち望む偉大なる文豪が、手をつけられないと言うはずがない。賽は投げられました。もはや、やるしかないのです」
シンは思った。
何も投げていないと。
「あのですね。俺……」と言いかけるシンの手を、ウィッツはガッチリ握りしめている。
「先生! 絶対に成功させましょう!」
――もしかして、これ、逃げられないパターン?
美術班がシンを取り囲み、化粧部屋へと連れ込んだ。
ガーン劇団が総力を奮って、シンを悲劇の戦姫へとメイクアップしていった。そしてもはや逃げることも抵抗することも出来なくなった半泣き状態のシンは、幕が上がると同時に観客の前へと晒されたのであった。




