350 仕事が増えるとわかっていても、やらねばならぬ時がある
決断する覚悟とエヴィアは言った。
それが何か、と聞く必要がないほど、俺はその言葉の意味がはっきりと理解できてしまった。
そして、餓鬼みたいに、わめき散らし、その言葉を否定して、青い言葉を吐けるほど俺は子供でもなかった。
「………スエラと子供が助かる方法は、ないのか?」
それほどまでに、ズシンとその言葉は俺にのしかかる。
絶望という言葉が圧力になったかのように、心臓を掴み、息苦しさを感じる。
しかし、だからと言ってその言葉に屈服し、わかったと了承し割り切れるほど、希望を捨ててはいなかった。
壁に寄り掛かり、うなだれ、絶望しそうになっても、頭の中ではどうにか親と子供両方を助けられないか、方法を模索している。
地球での知識とこの会社に入社してからの知識、その両方の中に出産に関する知識は少ないし、医学的知識や薬に関する知識と言ったのも乏しい。
それはそうだ。
あくまで俺は前職はしがないサラリーマンで、今は戦闘者。
医者や薬剤師、といった人を救う側の存在ではない。
「医者の見立てでは、スエラが出産するまでの期間は早くても一か月、これでも早産だと言っているが、子供の健康が維持できるギリギリのラインだとも言っていた」
わからないという言葉を否定したくて、可能性に縋るように頭の中で模索して、それでも自分は無力だという事実を突きつけられようとも諦めたくないという気持ちが、エヴィアに縋るように方法を尋ねた。
その言葉を聞かれるとわかっていた彼女は、膝をつき、座り込んだ俺に語り掛けるように優しく説明してくれている。
俺の視界には、エヴィアがしゃがんだのがわかるだけで、彼女がいったいどんな顔で俺に話しているかなどわからない。
「そして現状維持できるのは、もって二週間。金銭面や薬の在庫、治療が続けられないといった話ではない。それ以上はスエラの体力が持たないと言っている」
「っ」
声色は優しくとも彼女は厳しい現実を突き付けてくる。
それが俺に必要な言葉だからと思い、俺に告げているのがわかる。
そっと肩に置かれる手が、何よりの証拠だ。
エヴィアを責めるのはお門違いなのは、わかっている。
だが、このどうしようもない感情は一体全体どこに向ければいいんだ。
いっそのこと、俺が悪いと責められたほうがまだマシだと、自己嫌悪にすら陥りそうなのをエヴィアは引き留めてくれている。
「ここはダンジョンだ。私の権限で魔力供給自体に問題ない環境は整えられる。だが、いくら魔力を供給しても、その魔力を子供へと供給するのはスエラの体を介しての話だ。魔紋を介して魔力を供給できる量には限度がある。たとえスエラの体内に魔力を送りこんでも、その魔力は常に子供へと供給される」
わかるかと、問うエヴィアに俺は力なく頷くほかない。
どうにかできるのならエヴィアがどうにかしている。
「下手に、スエラを魔法や薬で強化すれば、母体や胎児にどんな影響が出るかわからない」
そして彼女は、俺がすべき行動をきっと厳しくも示してくれる。
それができないということは。
「そして魔力のない存在は、徐々に体力が低下し、やがて衰弱し始める」
あとは、わかるな。
とエヴィア自身も悔しそうな声で、俺に未来を示す。
「………」
だが、その言葉だけには返事をするどころか、頷くことすらできない。
子供を諦めれば、スエラは助かるという道筋があっても、その子供を楽しみにし、毎日笑顔を浮かべていた彼女の顔を思い出してしまう。
「………」
「………」
「………」
「………」
それを知るのは、俺だけではない。
メモリアなど、すすり泣くように小さく嗚咽を漏らしていた。
ガンと壁を叩くのはケイリィさんだろうか。
そっと膝から崩れ落ちたのはヒミクだろう。
そして、ギュッと俺の肩を掴む力が籠められるのはエヴィア自身も悔しいのだろう。
力があっても、圧倒的魔力があっても、権力があっても、助ける方法を知らなければなんの意味もない。
『諦めるしかないのか?』
そんな、俺の声に似た音が俺の頭の中に響いたような気がした。
いや、ちがう。
その声は紛れもなく、俺の心から出た言葉だ。
それを振り払いたい一心で、嫌だと念じれば。
『ならば、スエラを見捨て、子供も殺すか?』
それも嫌だと叫びたい。
三人の命の内、一人は助けられる方法はある。
だが、二人は助からない。
三人を助けようと足掻けば、三人は助からない。
一かゼロ。その選択肢は残酷に俺の心を抉る。
「考える、時間は、あるのか?」
そんな心情の中かろうじて絞り出せた言葉はそれだけだった。
即決断など、できるわけもなかった。
「………リミットは三日だ。現状、確実にスエラを助けるのならそれ以上の時間は待てない。時間が経てば経つほど、スエラの体力は確実に削られ、消耗する。子供という大きなものを体外に出すには、な」
優柔不断だとエヴィアは笑うことなく、俺の質問に答えてくれる。
そして、こんな大事なことをたった三日で決断しろと、残酷に告げられる。
たった三日で何ができる?
奇跡的に同じ症状の妊婦を助けたような技術が生み出されるのを神にでも願えと言うのか。
「………スエラに会えるか?」
そんな崖っぷちの最中で俺が何をすべきか考えた末に思いついたのが、スエラに会いたいという願望であった。
なんの解決策も思いつかない、頭ではそれが精いっぱいであった。
「ああ」
そんな俺の願いをエヴィアは叶えてくれた。
固く閉ざされた扉を潜るため、うまく力の入らない体に鞭を打ち、立ち上がり、浄化の魔法をかけられ、そしてうっすらと結界のような膜につつまれ俺たちはスエラのいる場所に通された。
「スエラ」
そこは俺の知る、集中治療室のような部屋ではなかった。
中に入って真っ先に目に入ったのは浅い浴槽のような代物。
それ以外にちいさな精霊みたいなものが周囲を漂うだけで、医療機器のようなものはない。
浴槽には絶えず、薄緑色の液体が垂れ流し状態で、常に新しいものに変わっているように見えた。
そこに横になり、湯浴着のような衣服に身を包み、薄い緑色のような液体に体を浸らせスエラは眠っていた。
俺の呼びかけにも答えることなく、ただ黙々と眠っていた。
「魔力を効率的に吸収できるようにする魔法薬だ。この部屋自体も魔素の濃度は高めに設定されているが、それだけだと魔素の吸収効果は悪い。だから、現状こうするしかなかった」
そんな俺の脇に立ち、治療方法を説明してくれるエヴィア。
これが治療方法かと、漠然と思う他なかった。
点滴のように管を通し、血管を介して魔力を補給しているのかと思っていたが想像とは違って少しほっとした。
浴槽の脇に立ちそっと中を覗き込めば、本当に眠っているだけなのではと思うほど彼女の寝顔は穏やかだった。
ここで俺が大声を上げれば、彼女は跳び起きてくれるのではと、子供じみた発想すら思い浮かんできそうだ。
「………手を握っても大丈夫か?」
そんなことは流石にできないと理性では抑えつけるも、側に来ただけで彼女に触れたいと願望が出てしまった。
ちらりとエヴィアが視線で付き添っているダークエルフの女医に問いかければ、わずかな時間ならと頷いてくれ、手袋をはめた女医が浴槽から出したスエラの手を拭き、俺に手を取るように言ってきた。
「スエラ」
手を握ったから何ができる。
そんな理性の言葉など、関係ないと言わんばかりに両手でスエラの左手を握る。
ほんのりと暖かい彼女のぬくもりが彼女が生きているという証を示してくれ、俺の心に安心感を与えてくれる。
「俺は、どうしたらいい?」
そして、その安心感が我慢していた枷を外し、弱音を吐きださせる。
眠っている彼女に、そんな言葉が届くはずもなく。
ただ、沈黙が返ってくるだけ。
スエラの命と子供の命。
三つの命の行く末を決めるなんて。
「どうすれば、いいんだよ………」
そんな決断を下せる気がまったくというほどなかった。
俺は、スエラの恋人であり、夫になる。
そして、俺は彼女を愛していると断言できる。
それが、足枷になってしまっている。
エヴィアはタイムリミットが三日と言ったが、時間が経てば経つほど俺はこの決断を下せないと思う。
もし下すのなら、今この時。スエラの手を握っているこの瞬間を除いては無理だ、と直感的にわかった。
それ以外のタイミングで下した決断は間違いなく、後悔するとわかってしまった。
医者の許す時間は、良くて数分。
その間に決めねばならない。
そう思った俺はつい、スエラの手を握る手に力が入ってしまう。
「っ」
「! スエラ!」
条件反射、だったかもしれない。
ただ俺の握った手が、痛かっただけかもしれない。
それでも一瞬だけ、スエラの口元から声が漏れ、俺は咄嗟に彼女の名前を呼んだ。
周囲もその反応に気づいたのか、視線が集まる。
「………じ、ろう、さん?」
そして、うっすらと目を開け、ゆっくりと辺りを見回した後、手を握る俺に気づいて俺の名前を呼んでくれた。
「ああ、ああ」
スエラが目覚めた。それだけなのにもかかわらず俺はうれしくなり、背後で信じられないと言っている女医の言葉など耳に届かず。
ただ、俺の名前を肯定するように頷くしかできなかった。
「わたし、は、いったい」
目覚めたスエラは現状を把握できていないのか、何があったかを思い出そうとしている。
そんな彼女にどう説明したらいいか迷っていると。
「スエラ、よく聞け」
「エヴィア、さま?」
すっと、迷わずエヴィアが一歩前に出てきて現状の説明を始めた。
目覚めたばかり、そして現状の把握できていない彼女に向けて、簡潔かつ分かりやすく伝える。
それはいつまでも起きてはいられなく、そしてもう一度眠ったら起きてくる確率のほうが低いとみて、その間に決断させようとするエヴィアの優しさだった。
「………」
「理解できたか?」
「はい」
現状、スエラと子供の命が危険にさらされ、子供を助ける術がないという内容をあらかた説明し終えたころ、弱弱しい声は変わらないがスエラは意識をしっかり保とうと、手を握る力が籠められるのがわかる。
「次郎さん」
そんな彼女は、俺を呼ぶ。
「なんだ」
俺は静かに彼女の言葉を待つほかなかった。
そして、俺の中で一つの覚悟が決まっていた。
これから放たれる言葉、その言葉で俺のこれからの行動が決まるのではと思う気持ちがあったからだ。
「私、死にたくないです」
そう、かすれるような声で彼女は想いを吐露した。
「ああ」
それはすなわち子供のことを諦めるという彼女の気持ち。
「ですが」
ではなく。
「子供を犠牲にしてまで助かりたくありません」
子供と一緒に生きたいと言う、スエラの心の叫びだった。
魔力が今も吸い続けられてロクに力が入らないにもかかわらず、彼女はこれが自分の気持ちだと伝えるようにギュッと俺の手を握る。
「次郎さんとの間に子供ができたと知ったときは本当にうれしかった」
「ああ」
「次郎さんが、子供ができたと知って喜んでくれた時、本当にうれしかった」
「ああ」
「次郎さんが子供と、私を、大事にしてくれてると感じた時、本当にうれしかった」
「ああ」
そしてそんなスエラの言葉を胸に刻むように頷き、聞く。
段々と彼女が起きていられる時間のリミットが迫っている。
手を握る力が一瞬解けたかと思うと、まだだと彼女は再び俺の手を握りしめる。
「ケイリィが、からかいながらも祝ってくれたことがうれしかった」
「ああ」
「メモリアが、自分のことのように喜んでくれて、うれしかった」
「ああ」
「ヒミクが、この子たちのために料理を作ってくれることがうれしかった」
「ああ」
「エヴィア様が、私が子育てに専念できるようにと心配してくれることがうれしかった」
「ああ」
砂時計の砂のように彼女との時間が無くなっていくのがわかる。
最初に握っていた手の力よりも、弱弱しくなっているのが、それを告げている。
だが、スエラはまだ伝えないといけないことが残っていると言わんばかりに、最後の力を振り絞って俺の手を握った。
「みんなが、この子たちが生まれることを、望んでくれたことがうれしかった」
「ああ」
それは当たり前の言葉なのかもしれない。
しかし、彼女にとっては何よりもうれしいことだったのだろう。
「だから、この子たち、と、生きたい」
そんなスエラは最後に俺の目をしっかりと見て告げた。
「わたしと、おなかのこども、を」
もう、絞り出すような力も残っていないのに。
スエラは最後まで、言うために。
「たすけて」
気力を振り絞り。
「次郎」
俺に託し、眠りについた。
すっと、力の抜けた手をもう一度握っても彼女は目覚めることはない。
それは、はたから見れば無理無謀と言われるかもしれない願いだった。
だが、覚悟は決まった。
愛する女が助けを求めたのだ。
ここで踏ん張らねば男が廃る。
「ああ、わかった。後は」
優しく握っていた手を、浴槽に入れる。
その際に液面に映った俺の顔は、先ほどまでの不安で満ちた顔ではなく。
「任せろ」
覚悟を決めた男の顔であった。
今日の一言
覚悟は決まった。
あとは、やるだけだ。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




