347 異国の地を踏み出すのにはちょっとした勇気がいる
Another side 箱根
「トウキョウという都市への調査は最小限にします」
異世界に渡り、拠点を得たイスアル遠征組。
その四人組は、移動した初日はさすがにすぐに休もうということになり、その日の晩。
エシュリーの涙ぐましい努力によって、どうにか料理が用意された。
コメと呼ばれる穀物の扱いに苦労し、炊飯器や冷蔵庫、ガスコンロといった未知の調理用具をマニュアル片手で使い方を把握し。
用意されていた簡単な料理レシピを頼りにどうにかこの国の食事を用意したら、次は風呂。
給湯器と呼ばれる機械を駆使し、お湯を張ったかと思えば、ニシアの世話のため一緒に入浴。
シャワーという細長く伸びた管からお湯が出た時と、髪を乾かすドライヤーの存在を知ったときは聖職者ではあるものの、少なからず女性としての感動を彼女にもたらした。
そして、向こうの世界にはない技術を目の当たりにしたエシュリーは焦った。
わずか数時間で味わった、未知の技術。
これを用意したのはこちらを歓迎するためではない。
ここの世界のこの国の人にとってはなんら特別な要素もない代物。
この技術がごく当たり前に存在するからだと認識したからだ。
異世界から来た勇者が何故に、イスアルで不便を感じていたか、それを理解した後の判断は早かった。
男二人が、明日に備えてと布団という寝具に身を横たえ、ニシアの寝る用意を整え暇になったタイミングを彼女は逃さない。
魔法によって強化された体と、身に着けた回復魔法を駆使し、睡眠時間を限りなく少なくし、マニュアルの読破に努めた。
エシュリーのその日の睡眠時間は、わずか二時間。
頭の疲労も、バナナという果物の糖分を摂取し、疲労をごまかし、なんとかこの国の地理と基礎的な公共交通機関の使い方、そして紙幣概念、さらに用意されたスマートフォンの使い方を身に着けた。
「しかし、この国で最も人が集まる場所はそのトウキョウと呼ばれる場所なのでは?」
そして、日の出とともに起きてくる三人の朝食を用意する。
正直にエシュリーは、この世界の利便性に感謝しつつ、元の世界の不便さに戻れるのか?と一抹の不安を感じつつも、その日の朝を迎える。
他人の苦労など露知らず、男二人が眉間にしわを寄せた。
テーブルに並べられた朝食のメニューはトーストとスープ、サラダに、スクランブルエッグ、ベーコンとソーセージ、さらにミキサーを用いてのフレッシュジュース。
エシュリーからすれば完全に豪華な朝食であるのだが、貴族二人にすれば貧相な食事なのだろうと表情から彼女は悟り、内心で、なら食べるなと罵倒するもニシアが黙って食べ始めたことをきっかけに、二人からの文句は出ることはなかった。
不慣れな調理器具で、熾天使と貴族をもてなせる最低限の朝食を用意したエシュリーは、これが毎日続くのかと焦りを感じつつも、食事を終え、エシュリーが後片付けをしている背後では今後の方針を話し合っている。
ニシアの方針に、疑問を呈したのはマジェス。
彼は研究者としての側面が非常に目立ち、新しい魔法の開発に目がない。
しかし、悪癖で自身の研究が妨げられることを非常に嫌う傾向がある。
なので、別の仕事をするときは効率性を求めることが多い。
実力もあり、魔法への知識に明るい。
噂では神代の魔法をいくつか習得しているとのことと、エシュリーは出会う前の情報収集で聞いていた。
そんな彼が、ニシアの方針に噛みつくのは予見できたが、あいにくといま彼女は食器を片づけている最中。
家事全般が、エシュリーに降りかかっている段階で、ニシアはともかくとして、アルベンとマジェスの彼女への扱いは聖女という地位を持つ小間使いという認識が定着しつつある。
「協力者からの情報です。トウキョウは魔王の手の者が根を張り、そこに踏み込むのは危険だとのこと。いずれ、踏み込む日が来るでしょうが、タイミングは今ではないでしょう」
「確かな情報で?」
「ええ、特にこの建物」
なので高位の存在のみで会議をしても問題はないと、ニシアに方針確認を始める男二人。
最初のきっかけで、熾天使ニシアに好印象を持たれていることも根に持っている二人。
少しでも活躍の場を求めた結果だ。
本来であれば、手柄争いなど避けるべき状況なのだが、行動的な二人をニシアは咎めず、更なる情報を二人に与えた。
東京が危険だという根拠、そしてそれを裏付ける資料を、陶磁器のような白く細長い指より机に放った代物にアルベンとマジェスは目をやる。
「この建物が、魔王軍の本拠地?でしたら、ここを重点的に調べるべきでは?」
「馬鹿か、敵の本拠地がそう安易に調べられるわけがなかろう。それくらい気づけ愚か者」
風景をそのまま収めたと言っても過言ではない絵の出来に感心するのではなく、そういう代物なのだろうと納得し、その中の情報を見定めるのは流石と言える。
見たこともない巨大な建築物。
それを、遠目で撮った代物を前にして、それぞれの意見を述べた。
だが、騎士と魔法使いの性質の差が出た解答によって視線が交わった瞬間に、バチリと火花が散る。
「拠点の建物の名前は、『MAO corporation』と言うようですが、建物自体に結界が張られ、周囲の警戒も万全、うかつに手をだせば赤子でもわかる結末になるでしょう」
そんな二人のやり取りなど、どこ吹く風か、エシュリーが淹れた食後のお茶を傾けつつ、淡々と方針の確認をする。
そして、我が意を得たと言わんばかりにマジェスはアルベンに向けて、ニヤリとドヤ顔を披露する。
「ですが、敵の居場所がわかっているのにもかかわらず放置することもまた良いこととは言えないでしょう」
しかし、その表情はそのままそっくり、アルベンとマジェスが入れ替わるような形になる。
その光景を何やっているんだと、エシュリーは寝不足ゆえか、頭痛がするのを堪えるように頭を振る。
「我々の目的は勇者の素養があるものを探すこと、わざわざ敵地に赴き危険に身を投じる必要はありません。西のほうに転身し捜索すべきです」
「魔王が勇者の素養のある者を放っておくはずがあるまい。軒並み狩りつくされた後の狩場に獲物が残っていると思うか、危険は承知、トウキョウを中心に捜索すべきだと具申します」
ローリスクローリターンかハイリスクハイリターンか。
マジェスとアルベンの意見は真っ向からぶつかる。
戦力が分散できない今、両方の意見を採用するのは難しい。
ニシアはどのような判断を下すのかと、食器を洗い終え手を拭き、民宿の食堂に入っていくと。
「二人の意見はわかりました。エシュリー、あなたはどう思いますか?」
そのタイミングを見計らって、ニシアはエシュリーに話題を振る。
「わ、私ですか?」
「はい、他に誰がいるのです」
元来、天使とは導く者。
彼女自身が方針を打ち立てることはあるが、積極的にどうすればいいかを言うことはまずない。
導き手として、導く者にまず考えさせる。
それくらいの猶予はあると、彼女は踏んで、エシュリーに問いを投げかけたのだ。
「………」
立ったまま、考え込むエシュリー。
アルベンとマジェスは当然、おもしろくないと瞳で語っているが、表情や口には出さない。
もし仮に、賛同を得られるのならそれに勝るモノはないと判断しているからか、一時、食堂は静かになる。
「ニシア様、いくつか質問よろしいでしょうか?」
「構いません。言いなさい」
しばし考えた後に、彼女は判断材料が少ないと思い、この場で唯一エシュリーたちが持っていない情報を持っているニシアからその材料を引き出したほうが良いと判断した。
「では、協力者の方はどこまでお力を貸していただけるのでしょうか?」
「戦闘行動としてはまず無理と断言します。かの方も目を欺く必要のある身、ですので、このような補助的な行動を低頻度で手伝えるといった程度と判断してください」
天使に問いかけるという行為は、なかなか勇気のいる行為だ。
しかし、必要だと判断したエシュリーに迷いはない。
まず最初に、即戦力になりそうな協力者に援助を求めるも、表立って手伝えないとニシアに釘を刺される。
「承知しました。では次に、ニシア様の術の中で、我々が単独で行動するための術はございますでしょうか」
「あります。媒体に私の魔素を貯めこめば私から離れて行動も可能でしょう。場合によっては、ある程度の戦闘も視野に入りますが、万全とは程遠いと思ってください」
「戦闘は最終手段ということでしょうか?」
「そうなります。ここは敵地、一度戦端が開かれれば、二度とチャンスはないと思ったほうがいいでしょう」
次に手数を確保することはできるかどうかをエシュリーは確認する。
四人全員で常に行動するのは目立ちすぎる。
可能であれば二人一組で、贅沢を言うのなら一人でも行動できるようにするのがベストだと判断した彼女は、現実的な方法でその術があるかどうかを確認した。
しかし、その方法も、条件付きということで、全力戦闘となるとニシアの魔素散布範囲内で行動するほかない。
だが、それを聞いてもエシュリーは顔色を変えない。
「では、魔王の配下も我々と同じ条件と思って大丈夫でしょうか?」
「「!?」」
この質問はエシュリーがしようと思っていた質問の中で一番重要だと思っている。
その証拠に、アルベンとマジェスはそうかと何かに気づくように目が開き。
「その通りです。この国は魔王の属国ではなく、あくまで他国」
ニシアはよく気が付きましたと褒めるように微笑んだ。
「魔素のない環境は相手方にとっても死地同然。戦力差は確かにありますが、この世界に限って言えば戦闘に陥る可能性は限りなく低いでしょう」
そう、魔王の影ありと報告は受けているが、ここが魔王に支配されているとは微塵も言っていない。
それすなわち、魔王方もこの地ではまともに行動がとれていないということを指す。
エシュリーたちの強さは、ニシアという強力な熾天使の戦闘能力ではない。
彼女を基点とした、魔王軍にはない時間制限のない行動能力。
マジェスがいれば基点を作り転移魔法も使える。
ならどうすればいいかと、エシュリーは考えを導き出す。
「まず、我々が最初にやるべきは地理の把握と行動範囲の拡大、そして次に協力者の確保と当面の資金の確保が考えられます」
本国の戦況を考え、彼女たちに残された猶予はそこまでないかもしれないが、一か月二か月でタイムリミットを迎えるようなものでもない。
「勇者と敵地への情報収集は必要最小限に抑え、今は隠密行動を厳守すべきだと私は思います」
そこまで考えたエシュリーは行動拠点は確保できたが、地盤は固まっていないと判断し、まずは足場を確保することを念頭に置いた。
手柄、手柄と考えていた、アルベンとマジェスは勇者を確保することだけに目を持っていかれ、過程をないがしろにする結果となる。
「「………」」
ああ、また睨まれていると、エシュリーは男性二人の視線を感じる。
エシュリーは出すぎた真似をしたかと思いつつ、ニシアの期待を裏切れないと判断し、その視線を無視することにした。
そのことがおもしろくないと思うも男性二人は枠外に置いておき。
「本格的に行動するのは、最低でも、地の利を相手方と同等かそれ以上にしておく必要があります」
戦うにしろ逃げるにしろ、土地鑑は必要。
「よいでしょう。あなたの言うことは現実的に可能でしょう。ひとまずはその方法でいきます。二人ともよろしいですね?」
「はっ、自分に異論はございません」
「問題ないです」
その重要性を把握した男性陣も、エシュリーが打ち立てた方針に口をはさむことはない。
しぶしぶといった顔立ちで、了承する男性陣はひとまず置いておき。
「では、地の把握と資金稼ぎは二人に任せ、エシュリーあなたにやってほしいことがあります」
「私にですか?」
ニシアはそっと、一枚の紙を取り出してエシュリーに手渡しながらニッコリと微笑む。
「これは、なんでしょうか?」
チラシと言っても彼女が把握できる知識の中にそれはなく、貴重な紙に様々な文字が書かれ、先ほどニシアが見せた写真とは別の光景が移された絵がいくつか写っている。
「どうやら、この世界の神を信仰する組織のようですが、ちょうどいいです。仕える神は違えど、信仰者には違いありません。少々こちらの方々に力を貸していただくとしましょう」
もし仮に、次郎がこのチラシを見れば、あからさまな詐欺めいた宗教団体だと判断し一瞥した後捨てるだろう。
しかし、ニシアにとって、信仰と名を打っているにもかかわらず信仰心の欠片もない文言に遺憾の意を示し、どうせならと判断し、まずは地盤を固めるための教徒にしようと企てる。
今日の一言
一歩踏み出した後は、意外と気楽に歩けるもの。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




