345 そして、他社の流れの変化をすべて把握するのは難しい
Another side ハンジバル帝国
後宮に存在する、籠の中の庭園で始まったお茶会。
そう命名していいのか、わからないほど、参加する人は豪華であり。
そして、楽しむという言葉が欠片も思い浮かばないほど緊迫感に満ちていた。
「陛下の言われた犬、ダズロを魔界に送り込んだのは、ちょうど一月前ですわ」
そんな空気の中でも笑みと毅然とした態度を崩さず、ハンジバル帝国第三皇女、アンリは頭の中でどこまで説明するかを思考する。
彼女の目的は、この無駄でしかない戦争の終結。
そして、来るべき意味のある戦争へ備えること。
「その時の彼の顔は、なかなか見ものでしたわ。何度も何度も冗談かと聞いてきたときは、つい笑ってしまいましたわ」
まるで困惑した犬のようだったと伝えながら彼女は、口とは別のことを常に考える。
どのタイミングでどの情報を、順番と候補の取捨選択こそがこの場において最大の鍵。
対岸に我々の確実な敵がいるのにもかかわらず、わざわざ同じ場所に住む存在同士で戦わなければならない。
そんな確信めいた思想の下、秘密裏に行動していたが、ついにそれを最たる障害である父親に悟られてしまった。
それ自体はいい。
露見することも計算の内だ。
「無駄話はいい。さっさと話を進めろ」
「失礼しましたわ。では目的から話していきましょうか、そうですわね。ダズロを魔界に送り込んだ理由とも言えますわね」
あからさまにならない程度に、口回しを増やし、思考するための時間を稼ぎ、頭の中での情報整理を絶やさない。
「三割は情報収集、もう三割は戦力の確保、そして残りの四割は好奇心ですわね」
どこまで説明すれば、目の前の黙ってこちらの説明を聞く父親である皇帝と叔父である宰相を納得させられるか。
そして、本来の目的を隠し通すことができるか。
実話に基づいた雑談も、父親である皇帝にとっては耳障りな音でしかない。
一刀両断され、時間稼ぎも難しいと来た。
この手段のなかで虚偽は使わない。
使ってはならない。
使えば、この二人はその虚偽を隙として容赦なく切り開いてくる。
どちらの血も持つ彼女だからこそ、虚偽が愚策だというのを理解している。
なので、言わないという方法こそが最善の防護策。
しかし、ただ沈黙するのではなく、いかにして話の中で矛盾なく、素通りさせるか。
そこが重要。
見えずらい脇道に宝箱を隠し、それを探しに来た冒険者たちに気づかせないがごとく、自然を装わなければならない。
「………」
相槌すらない会話を不快だと思うことはない。
これが父なのだと、子供として愛されていることは自覚しているが、皇帝としてこの場にいるのならアンリは子ではなく、ただ一人の女として向き合われている。
「きっかけは、ダズロの研究書でしたわ」
情報を吐き出し、納得すればそれで終了。
なんとも呆気ない関係だ。
「古の戦争で使われたダンジョン。彼の存在が稼働しているのはそこまで多くはありません。残ったダンジョンの奥底は魔界に通じていると言われています」
しかし、今この場限りにおいては皇帝として正しい行動であると、アンリは思っている。
反対に、私人としてこの席に座ろうものなら、いかな手段を用いても煙に巻いてやろうと躍起になったに違いない。
この機会は彼女にとって危機ではあるが、チャンスでもある。
「しかし、それはダンジョンの最奥にたどり着いた勇者のみぞ知り、その勇者が魔王を討伐したからこそそうだという認識があるほかありません」
この皇帝と宰相こそが、主戦派の旗頭。
穏健派の筆頭の中にも大貴族はいるが、この二人を前にすれば一枚も二枚も劣る。
彼女自身が旗頭になれば話が違ってくるが、アンリの目的と穏健派の目的は噛み合っていない。
戦争終結を掲げる穏健派の行動はアンリにとっては過程にすぎず、彼女は次の魔王襲来に備えるべきという、方向性の違う主戦派と言ってもいい。
なので、目の前の二人には戦うべき相手を変えてもらう必要がある。
しかしこの場限りで、この二人を納得させ説得することなど不可能だというのも理解している。
なので、この場では楔を打つことにする。
「ありとあらゆる、書物を読みましたが、その部分に関しては一貫してすべて同じ文章」
にこりと、おかしいですわねと口にするアンリであった。
「ほかに目撃者がいない、ただ唯一、生き残った勇者のみがその情報を伝えてくる」
大抵の令息、令嬢ならこの笑みだけで、そうですねと同意を引き出せるも、貴族社会の戦場で百戦錬磨の二人には通用しない。
「なので、私、確認しようと思いまして、それが真実かどうか。ダンジョンの奥は本当に魔界に繋がっているのか、そして勇者の言い伝えは正しいのか。ダズロに研究させました。それが、『二年』ほど前」
あくまで自分の感情を隠すためだけの笑み。
そして、二年という月日を口に出すための流れ。
「我が、この戦を起こそうと準備を始めたころか」
「はい、その通りです」
「あなたからすれば、都合のいい隠れ蓑ができたということですか」
「はい、その通りです。叔父様」
戦というものは全てにおいて、準備の段階で勝敗が決まる。
兵糧、兵士、軍略。
ありとあらゆることを想定するために、ありとあらゆる物事を動かさなければならない。
それは彼女からしたらまたとない機会。
アンリはこの戦の動きを察知した段階で、その流れの中に彼女にとって必要な流れを作りだした。
エルフにとって二年という月日は長いとは思わない。
しかし、彼女にとっては結果が出るまでの日々は一日千秋の思いだった
そして。
「二年という月日を長いと感じたのはこの時だけでした。ダズロから結果を聞いたときは天に舞い上がれるのではと錯覚するほど喜びました。ダンジョンそのものの存在の意義を知れた時は正に」
ニコリと今度は別の意味を込めて彼女は微笑む。
「怖気が走りました」
嘲笑とは違うも、日向の光のような明るい笑みから一転、吹きすさぶ雪原かのような綺麗ではあるも冷たい笑みに変わったアンリに皇帝と宰相は得もいえぬ物を感じ取る。
「何があった、いや」
その正体は知らねばならないとルージアナ皇帝は直感に従い、娘への問いかけを。
「何を知った」
投げかける。
「一つの真実を」
その問いかけに答えるアンリは笑みを解き、感情を解き、無にて皇帝へ向き直る。
ゾクリと背筋に感じる怖気。
大の大人が年端もいかない少女に、恐怖を感じた。
「足元をおろそかにしないことは結構ですが、あまり足元ばかり見ていては、振り上げられた剣に気づけませんよ。陛下」
表情にこそ出さないが、確かに感じた感情を沈め、クスリと感情を戻し、再び笑ったアンリは自分の知り得る情報を開示し始める。
女官がテーブルに用意したお茶など目もくれず、冷めきったことにも気づかず、この檻の中の空気は完全に皇女によって制された瞬間であり。
「では、お話を続けますね」
その時間はもうしばらく続きそうだ。
ところ変わってここは魔界。
「おお、ヨシヨシヨシヨシ」
おっさんと呼んでも差し支えない大人が、熊型の魔獣の顎の下を全力でモフっている光景ははっきり言って異常としか言えない。
「ああ、なんだろう。最初は皇女様から笑顔で、魔界行ってくださいって言われたときはふざけんなって思ったけど、環境が整ったら意外と悪くないかもしれませんね」
ダンジョンの奥地を改造し、作り上げた工房は衣食住を完備した彼の住居となっている。
「食料は魔物たちが取ってきてくれますし、魔法を使えばお風呂にも入れて、衣服に関してもこの服、自動洗浄機能と自動補修機能付きですからそもそも洗う必要がない。強いて言うなら退屈が敵かと思いましたが、冷静に考えてみると魔法の理論を考えていれば時間なんて無限につぶせます」
今もわしゃわしゃと自前で作ったブラシによってモフモフになった熊の毛並みを堪能しつつ、独り言が増えたダズロは後宮で雇い主が父親とバトルしてることなど露とも知らず、この毛並みはたまりませんとアニマルセラピーによって仕事の疲れを癒している。
「疲れた時は、適当に選んでブラッシングして、毛並みのいい魔獣に癒してもらえばいいのでは? あれ? ここって女気がないだけで天国なのでは?」
日々、皇女の無茶振りに応えてきたダズロは初めて、彼女の手から離れ長期出張的な感じで敵地に送り込まれたが、まさかの敵地が居心地良いことに気づく。
「冷静に考えれば、ここは異世界。かなり貴重な素材を揃えて、準備しなければ来ることはまず不可能。対策を施せばさらに隠れることはできる。あれ?これ、私、あの悪女の魔の手から逃げ出せたのでは?」
むふぅとリアル熊に抱き着き、そのモコモコと獣特有の暖かさに包まれながら、現状を把握し、このまま仕事を放り出してここに永住してもいいのではと頭によぎる。
その光景はダメなおっさんが、巨大な熊の人形に体を預けているようにしか見えず、人によっては白い視線を送らざるを得ない光景。
「………」
しかし、今の彼にはそんなことは関係ない。
もしかしたらという可能性を見いだし、希望にすがろうと全力で思考を巡らし、その希望の実現を目指す。
「………」
その思考も満面の笑みを浮かべる雇い主の笑みを思い出すだけでプルプルと体が震えだす。
使い魔にした熊の魔獣が何事かと、震え出したダズロを見るも当の本人はそれどころじゃない。
「だめです。あのお姫様相手じゃたとえ異世界でも安心できない。たとえ地の果てでもありとあらゆる手段を探して、ここを特定して、そのあと折檻。このコースまで見えてますよ」
ダズロの頭の中でゴゴゴゴと擬音を響かせながら、笑顔で立つ巨人のアンリはダズロにとって恐怖の象徴。
昔、とある事情で命の恩人でもある彼女には絶対の服従。
言い方を変えれば、弱みを握られていると言ってもいい。
しかし、雇い主としては格別。
手当は出るし、給与も申し分ない。
ただ、能力の上限一杯を求められるだけで、限界以上は酷使されない。
ついでに、私語中に側付きの女官の冷めた視線が突き刺さってくる。
とある特殊な性癖を持つ輩なら、ご褒美な仕事場かもしれないが、楽して稼ぎたいをモットーにしているダズロにとってはあまりいい職場ではない。
「はぁ、このまま癒され続けるだけの仕事ってありませんかねぇ」
最後にモフっと癒されてから、ダズロはそっと熊の魔獣から離れる。
離れると熊の魔獣は役割は終わったと、その場から立ち去っていく。
「面倒ですけど、面倒ですけど! さぼると後が大変なので、お仕事しますかぁ」
大事なことを二度言い、ダズロはそっと頭を切り替える。
ダンジョンの再構築。
「はぁ、これ、作るの大変なんですけど」
それが、今ダズロが取り掛かっている作業。
理論上は可能とされるその技術を、彼はいま実証しようとしている。
工房の中心にそびえるように立つクリスタル。
大きさにして、五メートルはあるその代物は周囲の魔素を吸収し、莫大な魔力を着々と貯めている。
これが完成すれば、ある意味で彼の雇い主の目的は達成されると言ってもいい。
時間が彼の味方をすればそれも現実的になる。
「邪魔さえなければ、どうにかなりますけど、そうは言ってられませんよねぇ。そろそろ、本格的に情報収集始めませんと、次の報告書の時、大変ですし」
要塞化は四割がた完了している。
しかし、完全とまではいかない、
古のダンジョンはその風貌を変え、組織的に運用できるようになった使い魔たちが巡回し警護に当たっているのはそのためだ。
「えっと、一番近い町はここから山三つ越えたところにありますけど、一番近い場所ですと、バレた時が大変ですから、最低でももう山三つくらい離れたところが好ましいですねぇ」
研究の傍ら、使い魔によって作られた地図を取り出し、どの町に情報収集に行くべきかダズロは悩む。
「大きい町であればあるほど、人間への迫害が大きいですね。かといって顔剥ぎとかコストのかかる術は面倒ですし、大きい町は使い魔が簡単に入れないようになってしまいますし………」
あれやこれやと、悩み。
最終結論は。
「はぁ、協力者がいないのは面倒ですねぇ」
結局自分が動くほかない。
「コミュニケーションにはあまり自信がありませんが、仕方ないですか」
地図を、しばらく眺めた後に机上から、一本のピンを取り出し。
「まずは、この世界に溶け込める人材の確保と参りましょうか」
そして目的地に指定された箇所にピンを刺す。
「遠いですが背に腹は代えられません。囮と言う意味で襲うのは格好の的ですし。狙うは、ダークエルフの里ですかね」
皮肉にもそこは次郎たちが、訪れたことのあるダークエルフの里、そこをダズロは最初のターゲットに選ぶのであった。
今日の一言
関係者じゃない、他社を把握するのはほぼ不可能だ。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




