344 他社の流れに気を配れ
Another side ハンジバル帝国
軍事大国として成り立ち、イスアルの大陸西方の覇者。
実力さえあれば、人だろうが亜人だろうが登用する人種差別はない。
結果主義な縦社会組織。
それが、ハンジバル帝国。
「ふん、連合のやつらがな」
その国の頂点に立つ皇帝、ルージアナ・ハンジバルは豪華な衣装を纏っていても隠せない筋骨隆々な肉体を玉座に預け、跪いて報告する臣下の話を聞く。
その表情は精巧に造られた彫像のように動かない。
右目は剣筋により潰れ、浅黒い肌に他にも数多な傷を浴び歴戦の風格を醸し出す。
しかしその中にある頭脳は、国家の行く末を決める内容を吟味する。
「………確かなのだな?」
そして臣下の報告を聞き終え、しばし黙考した後、ゆっくりとその口は動く。
重低音なのにもかかわらず、その場にいる誰よりも耳に響き、そして叫ばずに迫力がある。
「は!連合に潜伏させていた密偵の話によりますと、間違いはないということ」
「ふん、神が向こうに味方したか」
皇帝の言葉に広間に集まった重鎮たちの口から、動揺が漏れる。
ハンジバル帝国は宗教的要素が薄い。
祈ること自体は悪とされていないが、政治に関与されることを悪としている。
政教分離が実践されているのがハンジバル帝国なのだが、それでも神という存在が敵に回ったことに対して動揺を隠すことはできない。
「うろたえるな」
ただ、皇帝は違う。
はっきりと言葉を放つだけで、揺れていた視線は瞬く間に、皇帝へと集まる。
「もとより、神が敵に回ることは承知のはずだ」
まるで巨岩のようにじっとそこにあり、その存在感によって家臣たちの心を落ち着かせる。
神権国家トライスとエクレール王国の連合に天使が遣わされたことは問題であるが、想定外ではない。
「この世は、人の手によって回るもの、神のものではない。そのための戦だと、貴公らは承知で我の判断に従ったのではなかったか?」
今さら神ごときの横槍で、我が覇道、邪魔立てされるものではないと堂々と言い放つ。
その言葉に反論し、声を上げる者はいない。
不安はあるも不満はない。
と言った感じの雰囲気が出来上がる。
そのことに不満を持つルージアナ帝がもう一度声を上げようとするが、その前にすっと流れるように口をはさむ者がいた。
「しかし、陛下。想定内だと言え、相手の目的の内容が内容ゆえ、放置は難しいかと」
宰相、エッケンバッハ・シュベーゲン。
灰色の髪をオールバックにして、黒縁の眼鏡の奥に潜む眼光は冷たい。
豪華な皇帝の衣とは打って変わっての布こそ高級品であるがそれ以外の装飾のない黒と白の衣を身に纏って、伸ばす背筋の分だけ背が伸びているのではと思わせるほど背が高い。
その男の特徴と言えるのはその耳。
常人とはことなる尖った耳は、エルフであることの証明。
「シュベーゲンよ、策はあるか?」
亜人である彼は、その長命な寿命をもってしてこの皇帝を幼少期から見守り続けた。
故に彼の皇帝が最も信頼する右腕。
なので自分が意見を出す前に、この男に意見を聞いた。
偏に長い月日が生み出した信頼故。
「異界にわたり勇者を見つけ出してくる。常人からすれば頭の中を疑うような話でございますが、彼の神の使い、それも熾天使が同道するとなればその話も現実的でしょう。仮に勇者を連れて帰られ戦況を一変されるようなことになれば我が国にはあまり良い話ではないでしょう」
わかり切ったことを話すのは、現状の認識の共通化を図るためか、そしてその意図を察している皇帝は、黙って宰相に話を続けさせる。
流々と滑らかに語られる言葉によって策があることを伝えた宰相は、そっと頭を下げ皇帝に許可を取る。
「打開策を手に入れられる前にこちらも策を打つことを具申いたします」
「申せ」
発言の許可を与えられた宰相は頭を上げ、その冷たき眼で皇帝に意見を献上する。
「第三皇女殿下をお借り申し上げたい」
その内容に初めて皇帝の表情に変化が訪れる。
ピクリとその皇帝の眉間が反応するも、それは一瞬。
変化を見逃す者の多い中、宰相だけは見逃さず、反応を窺っている。
「あれをか」
実の娘の名を告げず、あれ呼ばわりすることにこの場で文句を言う者も言える者もいない。
そして違う意味でも口を閉じるものもいる。
「はい、どうやら第三皇女殿下は〝いつもの〟企み事をたしなんでいるご様子。我が配下が、その中で一つ興味深い情報を掴んでおります」
皇帝、ルージアナ・ハンジバルには皇妃以外に四人の側室がいる。
そのうちの一人が第三皇女の母であり。
この宰相の妹。
宰相からすれば姪に当たる存在が何かをやっているという情報は、皇帝に知られることなく集められた。
皇帝が無能というわけではない。
むしろ有能だと声を大にして叫ぶ者が続出するほど有能だ。
では、なぜ、その情報が彼の耳に入らなかったのか。
それは、偏にこの宰相の血筋ゆえ中々にして巧妙に隠されており情報を掴むのに時間はかかったからだ。
才女として、そして、別の意味でも注目を浴びる第三皇女。
しかし、見つけられないわけではなかった。
まるでつもり重なり山となった落ち葉の中に綺麗な紅葉を隠すように巧妙に隠されたその企み。
そして、それを見つけた宰相は、その情報が価値あるものだということもあり、今この場になるまで彼は黙秘し黙認し続けた。
それが、皇帝の耳に入らなかった理由。
「いたずら娘が、今度はなにをしでかした」
そして宰相が興味深いと口にした段階で、ついに皇帝の表情が崩れた。
眉間に皴を寄せる姿は正しく不機嫌だと言わんばかりの表情。
他の重鎮はもし、怒りに触れることがあればと考え恐ろしくなり、口を噤むものが大半。
「そのいたずら娘が行なったことが、我が国にとって切り札となり得ますので、どうかお目こぼしをお願い申し上げます」
再び頭を下げ、そのつやのある灰色の髪の色をじっと皇帝は眺め続け、広間に沈黙が流れる。
「………よい、申せ」
ドキドキハラハラ、心臓の音がこの広間を埋め尽くすのではと思われる緊張の時間は、生唾を飲みこむことも許されない重鎮たちの心配など知ったことかと切り捨てるように皇帝が許可を出すことで振り払われるのであった。
そんな出来事があった皇城の裏手、周囲を城壁で覆われ庭師がしっかりと手入れをし日差しや景観が計算された空間。
皇帝が皇妃たちと快適に過ごすための空間。
後宮。
その中身は絢爛豪華、ありとあらゆる職人が、皇族に快適な空間を過ごしてもらおうと知識と技術のすべてを注ぎ込んだ空間。
貴族やその腕を買われ、勤めに入っている女官や女性騎士が働き、皇帝が姿を現したとなれば今行なっている仕事を止め、壁際に寄り頭を垂れる。
その空間に皇帝と宰相、そして護衛の騎士が進む。
その物々しい雰囲気は、皇帝と皇妃が愛を語り合うような雰囲気ではなく。
まるで罪人を取り立てるような、殺気に満ちた行軍。
ただ、殺気を放っているのは皇帝ただ一人。
怒りを我慢し、抑え込んでいるその気配がわずかにこぼれているような雰囲気。
その怒りが、歩みに表れているのか、ズンズンと力強く踏み込まれる勢いに、皇帝たちが通り過ぎた後女官たちは何事かと顔を見合わせる。
「あ奴はどこにいる?」
「恐らくいつもの場所かと」
「そうか」
後ろに付き従う宰相に、目的の人物がどこにいるかと問いかければどこにいるかわかっているように、宰相は目的地を答える。
振り返ることなく、問いかけた皇帝はやはりかと思うように、進路を変えず、さらにその歩力を強める。
後宮を進み、その道筋は建物の中に入るのではなく、後宮からいける一つの庭園へと繋がっている。
向かう先が、太陽によって照らされているにもかかわらず、そこまで明るくなく、けれど暗いとは決して言えない空間になっているのが光量でわかる。
「これは、陛下、このような場所にお越しになられるとはおめずらしい。何か御用でございましょうか」
その空間に皇帝は迷わず踏み込む。
そして、踏み込んだ空間は言わば木でできた鳥かごのような空間であった。
木々が籠を作り出し、色鮮やかな花が彩り、その中央で淡い黄色のドレスを着た少女がテーブルの前に座り、カップを持ち、一人の女官を傍につけお茶を楽しんでいたが、誰かが来て、その誰かが実の父親だと知ると慣れた仕草でカップを置き、その足で立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げ頭を下げる。
そしてゆっくりと頭を上げた先にある表情は、正しく令嬢。
まるで一輪の百合の華のような、数多の令息を魅了した笑みを浮かべ彼女は父親を出迎えた。
叔父とは違った薄い緑色の髪を流し、その流れた髪から覗く尖った耳は正しくエルフの証。
「聡いお前ならわかっていよう。我が招待されず、ここに我が来たということが答えだ」
「これは困りました。心当たりが多すぎて、私にはどれだか見当がつきませんわ」
欠片も似ていない親子の会話。
この娘が養子だと言われたほうが納得できるような対照的な容姿を持つ親子。
そんな二人の会話は、親が子のいたずらを見つけ、叱りに来た。
そして叱られるはずのことも悪いことをしたという自覚はあるが、どれかわからないととぼける子供。
そんな図式であるにもかかわらず彼女はのんびりとしている。
「あくまでとぼける気か?」
「嫌ですわ陛下。私はただ『バレていない』ことで怒られるのが嫌なだけでですわ。本当に心当たりが多すぎてどれかわからないのです。そんな娘のためにどうか教えてくださいませんか?」
木を隠すのなら森の中。
そして謀を隠すのなら謀の中。
第三皇女、アンリ・ハンジバル。
彼女の呼び名は多々あるが、一番有名な呼び名を挙げるのなら真っ先に挙がるものがある。
『籠の中の姫』と。
その呼び名は決して高嶺の花とか囚われの姫だからというわけではない。
何をしでかすかわからないから、この場にいろという皇帝の意思の表れ。
皇城から抜け出すのは当たり前。
社会勉強として貴族の学院に入れてみれば、貴族としての振る舞いや勉学に関しては優等生なのにもかかわらず、問題に首を突っ込みたがり様々な問題をかき乱して。
どこで学んだのだと、言わしめるような魔法を身に着けて。
顔を隠し、知らないうちにA級冒険者となっていた時はさすがの皇帝も開いた口が塞がらなかった。
お転婆という言葉が可愛く聞こえるほどの好奇心の塊。
目を放せば何をしでかすかわからない。
それがかわいらしく、首を傾げている第三皇女だ。
その見た目、その仕草、その口に騙されて調子にのった令息たちがどれほどいたか。
「………貴様の犬が随分と面白い場所に向かったようだな」
そんな娘相手に駆け引きするのは時間の無駄だと判断した皇帝は隠すことなく、切り出した。
「ああ、そちらの話でしたか」
犬と言われ、纏う雰囲気も表情も変えていないのにもかかわらず場の空気が寒くなったと皇帝の側仕えの騎士が感じた。
その空気を換えた存在がまだ年端もいかない少女だという。
この親にしてこの子ありと言わしめる。
「ほかに心当たりがあるのか?」
「先ほども申し上げた通り、心当たりならいくらでも」
隠すことはないが、言いはしない。
そしてあの叔父があってこの姪がある。
腹芸こそが、彼女の十八番。
雪山に積もる雪の塊を差し出してもなお、雪が減ったと感じさせない。
皇帝自身も、彼女の挑発に乗り問い詰めるのは現状最もしてはいけない悪手と理解している。
もし仮に挑発に乗り、吐けと言えば皇帝は無駄な時間を過ごすことになる。
その事実が明白なのを理解している。
この言い回しは、アンリなりの処世術であり、遅滞戦術である。
ここでの会話で重要なのが、何を指しているかを明確に問いただすこと。
ただ闇雲に全て話せと言われれば、彼女は全て話すだろう。
しかし、皇帝にとって一番都合を悪くして。
そして彼女が都合のいい順番で、彼女がやったことを嬉々として話すだろう。
それこそ、彼女が隠したがっていることを『一番最後』に回して。
全て聞くとなれば相手は長き時を生きるエルフ、有限の命である人間の皇帝からすれば無駄この上ない時間が待っている。
「それで、お話をお聞きになりますか?」
それを理解している彼女は、どうぞお座りになってくださいと籠の中の席を勧める。
一緒に閉じ込められるのが、彼女にとって最も都合のいい話だと理解している。
「犬の行き先と、犬が何をやっているかだけ話せ」
「あら、それだけでよろしいのですか?」
「二度は言わん」
だからこそここが落としどころだと皇帝は理解する。
宰相が掴んでいる情報は、アンリの傍でうろちょろしていた宮廷魔導士の姿が見えず、その足取りを追っていたら一つの古代遺跡に行きついたという事実。
その遺跡から魔法陣が見つかり、行き先が判明したことだけ。
彼女がなんのためにわざわざ貴重な手札を動かしたかを問い詰めれば、元の木阿弥。
彼女は嘘は言わないが、真実を話すには時間がかかる。
「ええ、では、話しますのでどうかお座りになってください。陛下」
そして今度の誘いに乗り、護衛の騎士は入り口に控え、皇帝の背後に宰相が控える形で席に座り。
向かいにアンリが座る。
「では、まず最初に私の家庭教師のダズロがどこで何をしているかと言えば」
遠回しの世間話などこの皇帝が求めている話ではない。
それを理解しているアンリは、彼の皇帝が求めている情報を素早くそしてわかりやすく伝えようとその頭を働かせ。
「今は、魔界でせっせと働いていると思いますわ」
すこしだけ茶目っ気を出して話し始めるのであった。
今日の一言
目的は違えど、利害は一致している。
毎度のご感想、誤字の指摘ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍がハヤカワ文庫JAより出版されております。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売されております。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズが連載されております。
そちらも楽しんでいただければ幸いです。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




