240 一時の憩い、それは長いはずなのに短く感じる
疲れたと、ただそう思う日が来るのはいつ以来か。
それも体を動かして疲れたのではなく、ただひたすら勉強をして疲れたと思うのは学生以来だろうか。
ただ違うのは昔、学生の時にやった一夜漬けのような座学でただひたすら暗記させられるのではなく、どこかの有名教授の授業のように効率よく、そしてわかりやすく、覚えやすく、ただただ記憶しやすく理解しやすくされた講義は俺と北宮の限界ギリギリのラインを見極めていた。
朝の始業の鐘からつい三十分ほど前まで、この時元室内で五時半の定時の鐘が鳴るまで続けられた座学は俺たちに多大なる脳への負担を強いた。
歴史に始まり、組織運営のやり方、魔王の存在を理解するための帝王学に、貴族を相手にするときに使う礼儀作法、領地運営のやり方に、税収の管理方法、軍団を維持し運営する方法に、軍を指揮する方法。
ダンジョンテスターである俺たちに必要なのか? と思うくらいに多種多様な講義。
あたふたしながら社交の場でのダンスの踊り方を学んだ時に南が必要なのかと疑問をこぼした際に。
監督官曰く。
『使う使わないはともかく、貴様らは今後この知識を学び積み上げ磨き上げた経験を保持する相手と接する機会が増える。その際に恥をさらさないための知識だ』
とのこと、すなわちダンジョンテスターというポジションでも上に上がれば他部署と接する機会が増えるということだろう。
確かに言われてみればその通りだ。
平社員であれば自分のことに専念すればいいが、上に行くなら当然それ以外のことも手掛けることがある。
そうしたら、その方面のプロとも接する機会は出てくる。
その際に共通の話題と知識がなければ連携を取れないということらしい。
魔王軍の幹部が学ばなければならない内容は多岐にわたり、今日は概要だけと言っているが大学受験の時もここまで詰め込まなかったぞと言えるくらい普段の数倍から十数倍脳をぶん回した。
一緒に講義を受けていた北宮など、講義が終わったとたんにお菓子食べてくると一言残して席を立った。
この後夕食が待っているのにもかかわらず、普段ならカロリー計算をしている北宮がだ。
魔紋で強化した肉体なのにもかかわらず、脳に糖分を求めた。
一日でやる量ではないとも思いつつも、途中途中で休憩は挟まれていたし、こっちの理解度を超えていたわけでもない。
過去類を見ない効率的な講義を施されたわけだ。
「ああ、タバコがうめぇ」
かくいう俺自身も煙草で頭の整理をしていた。
俺の方はステータスの差でなんとか余裕を持つことができたが、北宮の表情はやばかった。
目が虚ろとはあれを言うのだろうと例に挙げられるくらいに瞳が曇っていた。
初日でこれだと思うと残りはどうなるかとぞっとする。
「明日を考えると……」
その感覚と不安は口にはしない。
辛くはあるが逆にここまで期待されているのだと思うと、やってみるかとやる気が湧き出てくる。
ならばあとはどれだけ耐えられるかの話だ。
幸いなことに俺はやすりで精神をすり減らすような会社に勤めていた社畜魂がある。
多少のことでへこたれるほどやわな精神はしていない。
だが。
「しっかりと飯食わんといけないんだがなぁ」
精神的には耐えられても肉体的に食欲がわかないのはどうしたものか。
頭しか使っていないから肉体的には疲れていないが、肝心の体を動かすための司令塔が疲れ切ってしまっている。
なので、腹はすいているはずなのに食欲がわかないという状態だ。
「覚えがある、この感覚すげぇ久しぶりに感じたぞ」
この感覚、最近はなかったが、昔はいくらでも感じていた感覚だ。
残業、そして残業。
徹夜明けの脳の疲れ、体が休息を求めている信号だと今更ながら理解した俺は昔の俺はどれだけ追い込まれていたんだと苦笑するほかない。
煙草がうまいと思いつつ、一人時元室内で用意された宿泊施設の喫煙所で煙草を吸う。
喫煙所にある時計を見れば、この一本を吸い終えればちょうどいい時間だというのがわかる。
無理にでも食べておかないと後に響くと思いつつ、口にくわえた一本を味わうように吸い灰皿に灰を落とす。
その工程がなんとも心地よい。
そしてほんの数分の憩いではあったが、多少なりとも持ち直した俺はその足で食堂に向かう。
「そういえば、教官たちも一緒に食べるのか?」
この時元室は現在施設維持のスタッフと監督官に教官二人、そして俺たちパーティーメンバーがいる。
スタッフは別のところで当然食べるだろうが、教官や監督官はどうなのだろうかとふと疑問に思う。
別に嫌だということはない。
キオ教官やフシオ教官とは月に何度か一緒に飲みに行くような関係が続いているから今更嫌だと思うような感情はわかない。
むしろ、どんな食事が出てくるのか、どんな酒を奢ってくれるのかと楽しみにしている部分すらある。
逆に監督官とは食事に行ったことはなかったが、こちらとしては食事に行くことや一緒に食事をとることに対して嫌がる理由はない。
強いて言うなら教官たちよりも多少食事の礼儀に気をつかうことくらいだろうか。
前の会社の上司だったら、どんな高級料理店に連れていってくれると言ってもそれなら近場の牛丼店で飯を食べた方が百倍マシだと思っていただろう。
いかに上等な飯でも一緒に食べる相手が嫌な奴だとうまいと思わない。
そんな経験は過去に嫌と言うほど味わった。
今はそんなことのない環境だと思い、その思考が胃を刺激したのかさっきまで感じなかった空腹感を訴えてきた。
これなら問題ないなと食堂までの道のりを思い出しながら進んでいると何やら前の方が騒がしい。
この先は確か、自動販売機があるエリアだったはずだが、何か問題があったのか?
少なくともこの声は海堂たちではないのは確か。
ではだれが騒いでいるのか、どうせ通り道、ここで何か事件が起こるはずもなく食欲を満たす前に好奇心を満たすとしよう。
「お嬢様!! こんな場所に来てまでそんな体に悪い物ばかり、お食事でしたら私の方で用意しますと言っているではありませんか!!」
「貴様の用意する食事は食べるのに時間がかかるだろうが」
「時間が惜しいのも、仕事が大事なのも重々承知しておりますが、その仕事もお体が健康であってこその話です。こちらの世界に来てから毎日毎日毎日コンビニ弁当や牛丼、ハンバーガーにカップ麺。いかに強靭なお嬢様のお体とていい加減体調を崩しますよ!」
俺はなんとも珍しい光景を見ているのではないか。
なにせ、あの監督官が怒られ、バツの悪そうな顔でメイドの視線から逃れようとしているのだ。
「そもそも、本日は部下の方と一緒に食事をとられるご予定があったのではありませんか! なのにそんな代物を用意して」
「仕方ない。急な仕事が入ったんだ。次郎たちにはあいつらがいるから問題はないだろう」
「問題ございます!! たとえ将軍のお二方がいようとも、ないがしろにしていいわけではございません。部下との交流も仕事の一つです! それにその仕事はこの研修が始まる直前に渡されたもの、本来でしたらお嬢様が対処するような代物ではございません!!」
瞬きしても目の前の光景は変わらず。
どこか見覚えのある縦長のカップ麺の容器を片手に持つ監督官は、綺麗な姿勢なまま自動販売機の前で佇んでいた。
それ自体はまぁ、なくはない光景なのだろう。
俺も社畜を経験した身。
今でこそ、スエラやヒミク、メモリアと料理を作ってくれる存在がいるが、昔は少しでも仕事の時間や休憩時間を確保するために食事時間を短縮するためにジャンクフードやコンビニ飯といったものには世話になった。
ゆえにさっきの監督官の言葉は理解できるし納得もできる。
では目の前の光景のどこが信じられないかと言われれば。
「まったく! 私が目を離すとお嬢様はこうやって私生活をないがしろにされますね。昔からそうです。本当に仕事以外はダメなんですからお嬢様は」
監督官をお嬢様と呼び、注意する存在が俺には信じられなかった。
あの監督官をダメ呼ばわりか。
素直にすごいと思う。
ゆらりと揺れる先端がとがり黒く細長い尻尾は悪魔の尻尾だ。
そのことから頭に角はないものの監督官を注意する存在が悪魔だというのはわかる。
だが、問題はそこではない。
女性にしては高身長である監督官に対してその存在の身長は半分、とまではいかなくてもかなり低く見える。
パーマのかかったショートヘアは綺麗な明るい桃色。
キラキラと輝くような翡翠色の瞳。
綺麗な女性の監督官と対を成すようなかわいらしい顔立ち。
その容姿を際立たせるようなフリルたっぷりのメイド服。
秋葉原とかにいそうな感じのロリメイドがさっきから監督官を叱っているのだ。
目の前の光景がフシオ教官が見せている幻影ではないかと疑うくらいに信じられない。
今も腰に手を当て、見上げるように監督官を叱っている。
集中しているせいか少し視線をずらせば俺に気づきそうなのだが、俺に気づく様子はない。
代わりに監督官は俺には気づいているようで、さっきからちらりとこちらを見ようとしているが。
「お嬢様!! 私が話をしている最中に余所見とはどういうことですか!! 今日という今日はしっかりと私生活を改善していただくと言質をいただくまで、私は引きませんからね!!」
その都度ロリメイドさんが監督官の視線を修正しているのでそれはできていない。
普段の監督官ならその行為を許すはずもなく、ただ一言黙れと言って相手を威圧したりするのだろうが、その様子が見受けられないのも不思議だ。
困惑の表情を見せる監督官というのもレアだ。
さて、そんな光景を見て若干現実逃避気味になってきたが、そろそろ現実を直視するとしよう。
「言ってくだされば、そのようなものを買わなくても私が仕事をしながら食べられるものをご用意しますのに、それすら面倒だと言い便利だからといってそのようなものばかり食べて、挙句の果てには部屋に帰るのも面倒だと会社の宿直室を私物化。衣類が足りないと私に連絡を寄越せばその場はご――」
うん、このまま聞くとかなりまずいことになるのがわかる。
とくに「ご」の先を言わせてはいけない。
主に監督官のプライベート状況を知って、俺が監督官に抹殺されかねない的な意味で。
この先はロリメイドさんに言わせてはならないと危機感を感じた俺は逃げずに、あえて大きな声で監督官に声をかける。
それはもうわざとらしいほど大きな声で。
「お疲れ様です監督官、どうしたんですか? っとそちらの方は……」
今来ました風に話しかける。
呆然としていた時間を含めて俺がいたことに気づいていた監督官からすれば白々しすぎるような行為ではあるが、さっきの流れを断ち切るにはこれしかないと一瞬で思いついた内容がこれなのだ。
遅いぞと睨む監督官には勘弁してくださいと苦笑するしかない。
「あ、あら、私ったら道端で騒いでしまってはしたない。お見苦しい姿を」
そして俺は俺で行動した甲斐あり、さっきまでヒートアップしていたロリメイドさんはさっと表情を取り繕い姿勢を正し、ゆっくりと裾を掴みお辞儀をしてくる。
「私、エヴィアお嬢様の側使いであるタッテと申します」
「あ、これはご丁寧にどうも、自分は田中次郎と申します。監督官には日ごろからお世話になりまして」
「まぁ! あなた様が次郎様でしたか!!」
その仕草は自然で、ついこっちもサラリーマン時代の癖が出て頭を下げて名刺を出しそうになる。
ただ、名刺を出そうとする仕草の前にうれしそうに顔を輝かせるタッテさんによってその仕草は止められる。
目の前のロリメイド改め、タッテさんが言う次郎様が俺かどうかわからないが、監督官がしまったという感じで額に手を当てている仕草をしているあたり、おそらく俺のことなのだろう。
「タッテ」
「はい」
そして、事の流れを把握していない俺からすればこの後の展開はわからない。
なのでこのまま事の成り行きを見守ろうと思うのだが。
「話はあとで聞く、だから今は下がれ」
「お断りします」
主であろう監督官の願いをバッサリと笑顔で断るメイドがこの世にいるとは思えなかった。
そしてバッサリと監督官の指示を切り捨てたタッテさんのその瞳からは、好奇心やこの場を楽しもうとする愉悦といった感じは見受けられず、むしろ何か使命に燃えた闘魂の雰囲気を感じ取った。
「お嬢様に仕えて幾百年、このタッテ、今この時を逃すわけには参りません!! ええ、このような機会を!!」
大事なことだから二回言ったのか?
まるで幾多の敵を前にして立ち往生して見せた弁慶のごとく不退転を見せるメイドさん。
その姿勢を見て監督官はどうするか。
仕事ならバッサリと容赦なく、切り捨てるはずなのだが。
「……」
「……」
俺の予想に反して、自動販売機の前で監督官とタッテさんは睨みあってしまうのであった。
今日の一言
少し気持ちを落ち着けたら次に行こう。
今回は以上となります。
毎度の誤字の指摘やご感想ありがとうございます。
面白いと思って頂ければ、感想、評価、ブックマーク等よろしくお願いいたします。
※第一巻の書籍化がハヤカワ文庫JAより決定いたしました。
2018年10月18日に発売しました。
同年10月31日に電子書籍版も出ています。
また12月19日に二巻が発売しました。
2019年2月20日に第三巻が発売されました。
内容として、小説家になろうに投稿している内容を修正加筆し、未公開の間章を追加収録いたしました。
新刊の方も是非ともお願いします!!
また、講談社様の「ヤングマガジンサード」でのコミカライズも決定いたしました。
これからもどうか本作をよろしくお願いいたします。




